Baabarr

3.5
Baabarr
「Baabarr」

 日本において、世界史の授業でムガル朝の創始者の名前が「バーブル」と教えられているが、これは誤りと言ってよく、インドにおける一般的な発音は「バーバル」である。そのムガル朝創始者バーバルとは関係ないが、バーバルという名前のギャングが主人公の犯罪映画「Baabarr」が2009年9月11日から公開中である。ウッタル・プラデーシュ州を舞台とした重厚な映画とのことで、観る価値ありと判断し、映画館に足を運んだ。監督は「Deewaanapan」(2001年)や「Alag」(2006年)のアーシュー・トリカー。

監督:アーシュー・トリカー
制作:ムケーシュ・シャー、スニール・S・セーン
音楽:アーナンド・ラージ・アーナンド、スニール・スィン
歌詞:アーナンド・ラージ・アーナンド
振付:ガネーシュ・アーチャーリヤ
出演:ソーハム(新人)、ミトゥン・チャクラボルティー、オーム・プリー、スシャーント・スィン、ウルヴァシー・シャルマー、ムケーシュ・ティワーリー、ティーヌー・アーナンド、ゴーヴィンド・ナームデーオ、シャクティ・カプール、ヴィヴェーク・ショーク、ヴィシュヴァジート・プラダーン、カシシュなど
備考:PVRアヌパム4で鑑賞。

 ウッタル・プラデーシュ州の州都ラクナウーの片隅に、アマンガンジという犯罪者の巣窟となっている地域があった。そのアマンガンジに住む一般的な屠殺業者の六人兄弟末っ子として生まれたバーバルは、近所の下らないいざこざに巻き込まれて弱冠12歳で人を殺し、以後、犯罪者の道を進む。

 2004年。バーバルはウッタル・プラデーシュ州を代表するギャングに成長していた。バーバルは殺人、誘拐、脅迫など、様々な容疑で指名手配されていたが、政治家の票田となっているアマンガンジという地域の特殊性や、地元の犯罪者と癒着した汚職警察官ダローガー・チャトゥルヴェーディー(オーム・プリー)などのおかげで自由闊歩していた。バーバルに父親はいなかったが、叔父(ティーヌー・アーナンド)が面倒を見ており、バーバルはその娘のズィヤー(ウルヴァシー・シャルマー)と恋仲にあった。また、長男のサルファラーズ(シャクティ・カプール)は刑務所にいたが、次男のナワーズ(ムケーシュ・ティワーリー)が兄弟の中の親分であり、バーバルも彼を慕っていた。

 そこへ、エンカウンター・スペシャリストのドゥイヴェーディー警視(ミトゥン・チャクラボルティー)が、バーバル対策のために赴任して来る。早速ドゥイヴェーディー警視はバーバルに会いに行き、警告をする。だが、バーバルは聞く耳を持たなかった。

 州政府の入札を巡って、バーバルはライバル・ギャングのボス、タブレーズ(スシャーント・スィン)と対立を深める。バーバルはバイヤー・ジーと呼ばれる政治家(ゴーヴィンド・ナームデーオ)の娘の結婚式に潜入し、彼のところに匿われていた裏切り者のソーンカルを抹殺する。だが、バーバルは逃げ切れずに警察に逮捕される。

 バーバルの公判が行われたが、タブレーズは弁護士に変装して裁判所に潜入し、バーバルを撃つ。一命を取り留め、保釈も得られたバーバルであったが、しばらくは療養生活を送らざるをえなかった。だが、回復した後は執拗にタブレーズを追跡し、殺そうとするが、すんでの所で逃げられてしまう。

 ギャング間の抗争が激化し、時の政権は非難にさらされていた。とうとうギャングの一掃が命令され、ドゥイヴェーディー警視の指揮の下、アマンガンジを初めとした犯罪者の温床が一斉に捜索を受ける。このときタブレーズは逮捕されるが、バーバルの行方は分からなかった。まずは叔父が尋問され、次にナワーズが捕まって殺されるが、情報は得られなかった。

 アマンガンジの人間関係を熟知していたチャトゥルヴェーディーは、バーバルの恋人ズィヤーに目を付ける。叔父は、ナワーズの居所を教えたことでバーバルに殺されており、ズィヤーはひとりぼっちになっていた。チャトゥルヴェーディーはズィヤーを使ってバーバルと連絡を取り、彼が西ベンガル州の州都コールカーターに住む妹アーフリーンのところにいることを突き止める。バーバルは逮捕されてしまう。

 ウッタル・プラデーシュ州政府はバーバルを自州に移送させようとするが、バーバルがフェイク・エンカウンターにより殺されることを恐れた高等裁判所は、無条件にはそれを許さなかった。八方塞がりとなったが、チャトゥルヴェーディーが州首相に妙案を提案する。それは、タブレーズをわざと逃がし、バーバルを殺させるというものだった。ドゥイヴェーディー警視もそれに乗る。だが、チャトゥルヴェーディーはさらに奥の手も用意していた。

 バーバルは移送中に自動車を下ろされる。タブレーズが逃げたことを知り、全ての策略を悟ったバーバルは反抗するが、取り押さえられる。そのとき、チャトゥルヴェーディーはバーバルにそっと耳打ちする。自分の銃を使え、と。バーバルはチャトゥルヴェーディーのホルスターから拳銃を奪い、ドゥイヴェーディーを撃つ。そしてチャトゥルヴェーディーを人質に取って逃げようとするが、チャトゥルヴェーディーは銃を隠し持っており、バーバルを撃ち殺す。チャトゥルヴェーディーは、フェイク・エンカウンターを使って、邪魔者のドゥイヴェーディーとバーバルを同時に葬ったのだった。

 世間では、チャトゥルヴェーディーはギャングの親玉バーバルを射殺した英雄となり、彼は特進して警視に就任した。そしてちゃっかりズィヤーを愛人としていた。だが、犯罪の芽はバーバルを殺しただけでは摘まれなかった。チャトゥルヴェーディーもまた、復讐心に燃えた子供に暗殺されてしまったのだった。

 インド最大の人口密集地かつ犯罪多発地域ウッタル・プラデーシュ州を舞台として、些細な事件に巻き込まれて12歳で殺人を犯してしまった主人公の人生を主軸に、犯罪者の温床が犯罪を生み、犯罪がまた犯罪者を生んで行くという負のサイクルがいかにして回っているのかを描き出した重厚な作品。この物語に正義は存在しない。アンダーワールドの人間はライバル同士の仁義なき抗争に明け暮れ、警察はアンダーワールドと癒着して甘い蜜を吸い、政治家は恐怖にさらされた生活を送る人々を票田としていいように扱う。弱肉強食の世界では「目には目を」のルールのみが守られ、それによって暴力と殺人は新たな暴力と殺人の序章となって行く。バーバルが生まれ育ったのもそんな環境であり、バーバルが死んだ後もそれは変わらなかった。大人と子供の区別もなく、銃を持っているか否かのみが優劣を決める。12歳で殺人を犯したバーバルは、大物ギャングに成長した後にフェイク・エンカウンターによって殺されてしまうが、それを仕組んだ汚職警官チャトゥルヴェーディーもまた、バーバルを慕っていた近所の少年によって銃殺されてしまう。

 日本人に多少解説が必要なのは、エンカウンターとフェイク・エンカウンターのことだろう。エンカウンターとはギャングやテロリストなどとの遭遇戦のことで、警察は、武装集団から銃器などによる攻撃を受け、正当防衛が必要となったことを理由に、司法手続きなしに犯罪者たちを殺すことができる。逮捕すると裁判が面倒であるし、釈放されることも多いので、インドの警察はギャングやテロリストをエンカウンターによって殺すことを好む。エンカウンターを専門とする警察官はエンカウンター・スペシャリストと呼ばれ、「Baabarr」でもドゥイヴェーディー警視がエンカウンター・スペシャリストと呼ばれていた。また、フェイク・エンカウンターというのは、エンカウンターに見せかけて容疑者を殺害してしまう行為のことである。事件を手っ取り早く解決したいとき、犯人や、犯人と思われる人物をとりあえず殺し、後で「犯人が発砲して来た」などと理由を付けてその行為を正当化することがインドではよく行われているようである。当然、濡れ衣を着せられたらたまったものではない。エンカウンターによって殺害されたテロリストとされながら、実はテロリストではなかったのではないかと思われる事件がいくつか起こっており、度々問題となっている。劇中では、主人公バーバルがフェイク・エンカウンターによって殺されてしまった。

 映画の中では州首相と野党リーダーが出て来たが、明らかに州首相の方は社会党(SP)のムラーヤム・スィン・ヤーダヴ、野党リーダーの方は大衆社会党(BSP)のマーヤーワティーがモデルとなっていた。両者ともウッタル・プラデーシュ州を代表する政治家である。時代も2004年と明記されており、この頃はムラーヤム・スィン・ヤーダヴが州首相、マーヤーワティーが野党であった。2007年の州議会選挙によりこれがひっくり返り、現在はマーヤーワティーがウッタル・プラデーシュ州の州首相を務めている。

 主人公バーバルを演じたのはソーハムという新人男優。全くバックグラウンドが分からないのだが、非常に迫力のある演技をしており、衝撃のデビューと形容しても差し支えないだろう。バーバルを追うエンカウンター・スペシャリストのドゥイヴェーディー警視を演じたのは、北インドの大衆にもっとも敬愛されているミトゥン・チャクラボルティー。貫禄の演技であった。他に、ムケーシュ・ティワーリー、ゴーヴィンド・ナームデーオ、シャクティ・カプールなど、渋い俳優が目立った。ヒロインのウルヴァシー・シャルマーは「Naqaab」(2007年)でデビューした女優で、まだブレイクの兆しは見えない。

 ヒンディー語の牙城であるウッタル・プラデーシュ州を舞台にしているだけあり、言語はコテコテのヒンディー語である。特にチャトゥルヴェーディーが話すのは、ラクナウー周辺で話されているアワディー方言である。ヒンディー語初級者には難易度高めの映画と言える。

 「Baabarr」は、犯罪の負のサイクルを描き出した佳作である。ムードは暗く、重苦しく、決して万人向けの映画ではない。プラカーシュ・ジャー監督の「Gangaajal」(2003年)や「Apaharan」(2005年)みたいな重厚な映画が好きな人なら観てもいいだろう。