Hamid

4.0
Hamid
「Hamid」

 2018年12月14日にスマイル国際青少年映画祭でプレミア上映され、2019年3月15日に劇場一般公開された「Hamid」は、カシュミールを舞台に、地元民の少年と、治安維持部隊である中央予備警察隊(CRPF)との偶発的な交流を描いた作品である。「ウルドゥー語」映画として扱われているが、ヒンディー語映画としても全く問題ない。

 監督は、「The White Elephant」(2009年)や「Baankey Ki Crazy Baraat」(2015年)のアイジャーズ・カーン。キャストは、ラスィカー・ドゥッガル、ヴィカース・クマール、タルハー・アルシャド・レーシー(子役)、スミト・カウルなど。この中ではラスィカーがもっとも名の知られた俳優である。

 この映画は、劇作家アミーン・バットの戯曲「Phone No. 786」を原作にしている。「786」とは、南アジアのイスラーム教徒の間で神を表す数字として神聖視されている。

 舞台はジャンムー&カシュミール州バーラームーラー県ブダルコート。7歳の少年ハーミド(タルハー・アルシャド・レーシー)は、1年前に家を出て以来帰って来ない父親レヘマト・アリー(スミト・カウル)を待ち続けていた。母親のイシュラト(ラスィカー・ドゥッガル)は毎日のように警察署を訪れていたが、何の手掛かりも得られなかった。一家の大黒柱だった父親がいなくなったことで、彼らは貧しい生活を強いられていた。

 ハーミドはクラスメイトのビラールから、父親はアッラーの元にいると聞く。また、ハーミドは「786」が神様の電話番号だと勘違いする。ハーミドは、舟職人をしていた父親の工具箱から見つけた携帯電話で、父親を返してくれるようアッラーに頼むため、電話を掛ける。電話は掛からないが、携帯電話番号が10桁の数字だと知り、数字を組み合わせて、「9786786786」という電話番号に電話を掛けてみた。

 その電話番号は、カシュミール地方の治安維持に当たるCRPFのアバイ(ヴィカース・クマール)のものだった。アバイは当初、ハーミドからの電話を冗談だと受け止めるが、話を聞いていく内に、彼の悩みなどに真剣に耳を傾けるようになる。そして、レヘマト・アリーを探し出そうと動き出す。しかしながら、レヘマト・アリーは見つからなかった。

 折しもカシュミール地方では、地元民による反政府活動が激化していた。州首相のブダルコート訪問に合わせ、イシュラトは、家族に行方不明者を持つ他の人々と共にデモ活動に参加する。アバイは治安維持の業務に当たるが、そのときハーミドから掛かって来た電話で、自分はアッラーではなくCRPFだと打ち明ける。そして、父親は死んだと言い聞かせる。

 ショックを受けたハーミドであったが、携帯電話を土に埋め、父親が未完成のまま残した舟を完成させる。アバイは、ハーミドに赤いペンキを送る。ハーミドは、完成した舟を赤く塗り、母親を乗せて湖を航行する。

 カシュミール問題はインドでもっともセンシティブなトピックであり、その映画化には神経を使う。「Hamid」では、カシュミール独立派の地元民、中立派の地元民、CRPFと、多様な視点からバランスの取れた描写が徹底されており、どちらかに偏ることがない。地元少年の電話がアッラーと話をしようとして掛けた電話が、カシュミール人を弾圧するCRPFの隊員につながるという物語の起点は、マジカルリアリスム的でもあるが、よく制御された演出のおかげで、非現実的な展開に走ることもない。極度に楽観的でもないし、かといって悲痛すぎることもない。どちらかといえば、未来に向けた前向きな一歩を観客に見せて映画を終えている。

 カシュミール地方では、治安維持に当たるCRPFやインド陸軍が地元民を抑圧しており、それが度々不幸な事件を引き起こしている。「Hamid」の核心的なテーマは行方不明問題である。カシュミール地方各地には治安部隊による検問が設けられ、地元民はそれを通るたびにチェックを受ける。そして、少しでも不審に思われれば連行され、そのまま行方不明になってしまう者も少なくない。行方不明になった人々の多くは殺されたと考えられる。このような人権蹂躙がますます地元民のインド政府に対する感情を悪化させており、反対運動や時には暴動まで引き起こしている。主人公ハーミドの父親も、ある日突然行方不明になっていた。

 これだけならばCRPFは完全な悪役だが、CRPFの隊員であるアバイをハーミドと対をなす登場人物として設定したことで、緊迫した中にほのぼのとした温かみが生み出されている。アバイは地元民に対して強硬派だったが、ハーミドと話す内に、カシュミール人が直面している問題や彼らの感情に直接触れることとなり、カシュミール人を「任務の対象」としてではなく、人間として捉えることができるようになっていく。また、CRPFの隊員も家族と離れて任務に当たっており、投石をして来る地元民を前にして、命がけで責務を果たしている。CRPFの隊員たちにも一人一人、感情を持った人間としての顔が与えられており、決して彼らだけを非難することはできなくなっている。

 舟職人の一家を主人公にした点はユニークだ。カシュミール地方は、シュリーナガルのダル湖など、水資源豊かな土地で、人々は「シカーラー」と呼ばれる舟を活用して生活をしている。カシュミール地方が舞台になると、シカーラーは必ずといっていいほど登場するが、それを作っている人々が登場したのは初めて見た。ハーミドは、自分が立派な舟職人になればアッラーから父親を返してもらえると思い込み、工房で舟作りを学び始める。そこで彼は師匠に「舟はなぜ水に浮かぶのか」という素朴な疑問をぶつける。師匠は、「水は舟を浮かばせもし、沈めもする」と返答し、その不思議さを理解することこそが舟作りの極意だと教える。これは、カシュミール問題全体を解決する糸口として捉えることもできる。カシュミール問題は、少し判断や行動を誤るだけで、カシュミール渓谷全体を沈めてしまうほどの大きな問題だが、その解決法次第では、カシュミール地方を浮かばせることにもなる。「Hamid」が提示していたのは、今回、偶然にも地元少年とCRPF隊員の間で心の交流が生まれたように、政府、住民、治安部隊などがきちんとコミュニケーションを取り、相手を人間として扱っていくことで解決の方向に向かっていくというものだったと感じられる。

 子供が主人公の映画であり、子役のキャスティングが成否を分ける。その点、ハーミドを演じたタルハー・アルシャド・レーシーの演技は絶賛に値する。彼は実際にカシュミール出身であり、この映画で国家映画賞最優秀子役賞を受賞した。母親イシュラトを演じたラスィカー・ドゥッガルも優れた演技をする女優だ。

 「Hamid」は、カシュミール問題を非常にバランスの取れた視点で描いた作品だ。しかもかなり現実的なストーリーテーリングに徹しながら悲痛になりすぎず、悲しい中にも未来に少しだけ希望を抱かせるような終わり方をしている。その代わり、政治的な主張は希薄で、ヒューマンドラマとしてまとめてある。カシュミール問題は非常にセンシティブな問題であり、この辺りの仕上げ方は致し方ないとも感じる。子役の演技が素晴らしく、一見に値する映画になっている。