
「Bhonsle」は、2018年10月5日に釜山国際映画祭でプレミア上映され、インドでは2020年6月26日からSonyLIVでOTTリリースされた作品である。ムンバイー特有の集合住宅「チャール」を舞台にし、マラーター人と北インド人の対立が深まる緊張状態の中で交わされる心の交流がじっくりと描かれている。
監督は「Ajji」(2017年)のデヴァーシーシュ・マキージャー。主演はマノージ・バージペーイー。他に、サントーシュ・ジュヴェーカル、イプシター・チャクラボルティー・スィン、ヴィラート・ヴァイバヴ、アビシェーク・バナルジー、ラージェーンドラ・スィサードカル、カイラーシュ・ワーグマレーなどが出演している。
ちなみに、プロデューサーの一人シャバーナー・ラザーはマノージ・バージペーイーの妻である。
60歳になり、ムンバイー警察を定年退職したガネーシュ・ボーンスレー(マノージ・バージペーイー)は、「チャーチル・ミトル・マンダル」というチャール(集合住宅)で孤独な生活を送っていた。ガネーシュは定年延長を希望していたが、その手続きは滞っていた。
ボーンスレーの住むチャールには主にマラーター人と北インド人が住んでいた。マラーター至上主義政党に属するタクシー運転手ヴィラース(サントーシュ・ジュヴェーカル)はチャールのマラーター人をまとめ上げて北インド人に対抗させ、政党から認めてもらおうと躍起になっていたが、住民からは距離を置かれていた。北インド人のラージェーンドラ(アビシェーク・バナルジー)はチャールの北インド人をまとめ、ヴィラースに立ち向かおうとしていた。
ガネーシャ生誕祭が近づいていた頃、ボーンスレーの隣にビハール州から看護師のスィーター(イプシター・チャクラボルティー・スィン)とその弟ラールー(ヴィラート・ヴァイバヴ)が引っ越してくる。人付き合いの悪いボーンスレーはスィーターたちとほとんど会話を交わさなかったが、彼が急に倒れたときにラールーが気付いて助けを呼び、病院でもスィーターに看病してもらったことで、彼らに恩義を感じ、交流するようになる。ただ、病院で検査をしたことで、ボーンスレーが脳腫瘍のステージ4であることが分かる。
チャールでは、ヴィラースが仕上げたマラーター人を賛美する壁のスローガンに黒インクが投げつけられる事件が発生しており、ヴィラースは北インド人に対する怒りを募らせていた。それはラージェーンドラに強制されてラールーがやった行為だった。ラールーはボーンスレーにそれを打ち明け、ボーンスレーはある晩、ラールーと共に壁を塗り直す。
翌朝、ヴィラースは壁がきれいに塗られていたのを見て、自分が子分たちとやったと主張する。それを聞いたボーンスレーは皆の前でヴィラースを問い詰める。ヴィラースはラールーを叩き、ボーンスレーがヴィラースを叩くが、そのままボーンスレーは倒れてしまう。スィーターとラールーが彼を部屋まで連れていく。
その晩、夜道を歩いていたスィーターはヴィラースにレイプされる。目を覚まし、スィーターからその話を聞いたボーンスレーは、トイレで洗濯をしていたヴィラースに殴りかかり、彼を殺した後、自身も息を引き取る。
極度にセリフが少なく、ほとんどを映像で語ることに特化した作品だ。特に主人公のボーンスレーはほとんど口を開かない。口を開いたとしても、ボソボソっとしゃべるので、何を言っているのかよく分からない。最初はボーンスレーがどういう人物なのかよく分からないのだが、映像を頼りに情報を集めることで、次第に彼が何を望み、どういう状態にあるのかが分かってくる。セリフに頼らなくても雄弁に語ることができるのは優れた映画の印である。
さて、映画の舞台はムンバイーのチャールである。吹き抜けの中庭を中心にして部屋が並ぶ高層の建築物で、基本的には低所得者向けの集合住宅だ。ムンバイーの産業を支える労働者を収容するために18世紀以降建設され、ヒンディー語映画にもよく登場する。ムンバイーを象徴する居住空間だ。ボーンスレーもチャールの一室に住んでいた。どうやら家族はいないようで、一人で孤独な生活を送っていた。
ボーンスレーの住むチャールでは、ヴィラースという人物が北インドから移住してきた住民を共通の敵に設定することで、マラーター人をまとめ上げようとしていた。ムンバイーは各地から移民を受け入れて発展してきたコスモポリタン都市だが、マハーラーシュトラ州に位置しており、地元住民はマラーター人になる。マラーター人の中には、北インドからの移民に仕事を奪われているという意識があり、極右政党シヴ・セーナーはその不満を刺激してマラーター人を票田化することで勢力を伸ばしてきた。2000年代からは北インド人の排斥運動が激化した。ひとつの争点になったのが鉄道採用試験だ。インド鉄道は国営であり、インド鉄道に就職すると公務員になれる。低所得者層にとってインド鉄道への就職は社会的地位を向上させるための入口になっている。シヴ・セーナーやその他の極右政党は、マハーラーシュトラ州で行われる鉄道採用試験の受験者をマラーター人に限定するために活動を行ってきた。映画の中でもこの件について簡単な言及がある。ボーンスレーのチャールで起こっていたマラーター人と北インド人の間の緊張状態は決して特殊なことではなく、ムンバイーおよびマハーラーシュトラ州各地で起こっていたことだった。
では、ボーンスレーはマラーター人か否か。インド人ならば「ボーンスレー」姓を見ただけで彼がマラーター人であることが分かる。なぜなら「ボーンスレー」姓はマラーター人に特有のものだからだ。しかも、マラーター人が英雄視する17世紀の偉大な指導者チャトラパティ・シヴァージーの姓でもある。チャールの中でボーンスレーは年長者ということもあったが、ボーンスレー姓ということでもヴィラースから一目置かれていた。
一方、スィーターとラールーは北インド人であった。方言からビハール州出身であることが分かる。「Bhonsle」の中に特定の州名は出て来ないが、北インド人は十把一絡げに「バイヤー」と呼ばれていた。北インド人は呼びかけの言葉として「兄貴」という意味の単語「バイヤー」をよく使うからだ。おそらくチャールの住民の中には、ビハール州以外の北インド人も含まれていたと思われる。北インド人をまとめていたラージェーンドラがどの州の出身かは特定できなかった。
「Bhonsle」は、マラーター人のボーンスレーが北インド人のスィーターとラールーに助けられ、スィーターがヴィラースにレイプされたことで、今度はボーンスレーが我が事のように怒り、ヴィラースに報復するという筋書きになっている。同じチャールに住む住民を出身地で分断しようとする票田政治への警鐘だと解釈すればいいだろう。ボーンスレー、スィーター、ラールーだけではない。チャールの住民は誰も対立を望んでいなかった。ヴィラースのような政治家志望のチンピラが自身の利益のために住民の中に出身地による亀裂を生じさせようとしているだけだった。
ただ、ボーンスレーがヴィラースを殺す最後は決して胸のすくような描写をされていなかった。トイレの狭い個室で二人が乱闘し、二人とも息絶えて横たわる姿が、ガネーシャ生誕祭で海に流されバラバラになったガネーシャ像と重ね合わされていた。ガネーシャ生誕祭は、1893年に反英活動家バール・ガンガーダル・ティラクによって始められたが、その目的は単なる信仰や発散ではなく、人々を一致団結させナショナリズムを盛り立てることだった。そのガネーシャ生誕祭がコミュニティーの分断を招いている皮肉が最後の映像に込められていたと解釈できるだろう。
ボーンスレーを演じたマノージ・バージペーイーは、セリフではなく、動きや存在そのもので語る高度な演技を見事にやり切っていた。彼の実力を極限まで引き出した作品のひとつだといえる。
全体的にその他の俳優たちもストーリーに溶け込む演技を見せていた。ヴィラース役のサントーシュ・ジュヴェーカル、スィーター役のイプシター・チャクラボルティー・スィン、そしてラールー役の子役俳優ヴィラート・ヴァイバヴなどが好演していた。
「Bhonsle」は、マラーター人の間で北インド人排斥運動が高まるムンバイーを背景に、とあるチャールの中に政治が入り込んで共存が崩されていく様子を追った作品だ。だが、その中でも人間同士の助け合いがあり、人間性が分断を克服する姿が描かれる。それを、実力派俳優マノージ・バージペーイーが、極限まで無駄をそぎ落とした演技で演じる。まるで静かな地鳴りのような映画だが、心に響くものがある。
