Manmarziyaan

4.0
Manmarziyaan
「Manmarziyaan」

 アヌラーグ・カシヤプ監督は監督、プロデューサー、そして時に俳優として、2000年代以降のヒンディー語映画の進化を早めた最重要人物であるが、映画マニア受けするような作品を好んで作るため、必ずしも普遍的な人気のある監督ではない。業界内では「またアヌラーグが何かやってる」という感じの扱いであることは、「AK vs AK」(2020年)でも自虐的に表現されていた。2018年9月18日公開のヒンディー語映画「Manmarziyaan」は、カシヤプ監督が久々にド直球のロマンスに挑戦した作品である。だが、彼らしい斬新なストーリーであった。

 主演はアビシェーク・バッチャン、ヴィッキー・カウシャル、タープスィー・パンヌー。アビシェークは既にベテランであるが、ヴィッキーとタープスィーは旬な若手俳優である。彼らの他にも多数の俳優が出演しているが、この3人が完全に映画を支配しているため、脇役の印象は薄い。題名となっている「Manmarziyaan」とは「自分勝手」「わがまま」という意味である。

 舞台はアムリトサル。ルーミー(タープスィー・パンヌー)は、DJのヴィッキー(ヴィッキー・カウシャル)と付き合っており、家族の目を盗んでは逢瀬を繰り返していた。ルーミーは一度妊娠をし、中絶していたが、二人はお互いを強く求め合っていた。ルーミーは、家族にお見合い結婚をさせられそうになったため、ヴィッキーに結婚を求めるが、ヴィッキーは肝心なときにすぐ逃げ出してしまっていた。呆れたルーミーはお見合い結婚をすることにし、ロンドンから嫁探しにやって来たロビー(アビシェーク・バッチャン)と結婚することになる。ヴィッキーはルーミーの結婚を止めようとし、彼女と駆け落ちまでしようとするが、やはり肝心なときに逃げてしまっていた。こうしてロビーとルーミーは結婚する。

 ロビーはルーミーがヴィッキーを忘れられていないことを重々承知していたが、彼は寛大な人物だった。彼女に時間を与え、まだ引き返せると諭す。ルーミーはロビーの目を盗んでヴィッキーと会っていた。それを知ったロビーはルーミーと離婚することにする。それを知ったヴィッキーはルーミーと結婚しようとするが、ルーミーはヴィッキーは結婚に向いていないと確信し、彼を突き放す。ヴィッキーはオーストラリアへ発ってしまう。ロビーとルーミーは正式に離婚をするが、家庭裁判所からの帰り、話している内に、お互いが結婚を維持したいと考えていることを知り、やはり結婚し直すことを決める。

 「Manmarziyaan」のプロデューサーは、「Tanu Weds Manu」(2011年)や「Raanjhanaa」(2013年)の監督、アーナンド・L・ラーイである。ルーミーのキャラクターは、「Tanu Weds Manu」のタンヌーを思い起こさせるものであったし、そのストーリーは、「Raanjhanaa」やアヌラーグ・カシヤプ監督の出世作「Dev. D」(2009年)を合わせたようなものだった。つまり、ラーイ監督とカシヤプ監督のテイストがうまく化学反応し合った作品だった。

 恋の三角関係はロマンス映画の基本であるが、使い古されたその方程式を、よくここまでオリジナリティあるストーリーに料理したな、というのが率直な感想であった。

 ルーミーは強くヴィッキーを求め、ヴィッキーも強くルーミーを求めていた。だが、ヴィッキーは結婚を突き付けられたことで躊躇してしまい、何度も彼女を裏切る。ルーミーは何とかヴィッキーを洗い流そうとするが、なかなかできない。それ以上にヴィッキーはルーミーの結婚後も彼女に付きまとった。二人はお互いのために生まれて来たように相性がピッタリであったが、それは結婚という束縛から離れたときに真実であった。結婚という枠にはめられようとしたとき、二人は本能で違和感を感じ取り、どちらかが拒絶することになり、遂に二人の結婚は成就しない。

 ルーミーとヴィッキーの恋愛を、寛大に、そして辛抱強く、見守ったのがロビーであった。彼はお見合い写真で彼女の姿を一目見て気に入ってしまい、彼女のFacebookを見て、会う前から彼女の情報を集めていた。結婚後、冷たい態度を取る彼女を冷静に受け止め、心からヴィッキーが抜けていない彼女に時間と選択肢を与える。まるで聖人のような存在である。

 「Manmarziyaan」の最大の見所は、家庭裁判所で離婚の手続きを終えてから、ロビーがルーミーを家まで送るシーンだ。裁判所から家までは徒歩圏内で、二人はいろいろな話題を話しながら家へ向かう。このときルーミーは、かつてロビーにされた質問に全て答え、ロビーも彼女に、今までしなかったような過去の思い出を話す。離婚後にやっと心を通い合わせることができた二人。だが、お互いに鞘当てしながらの会話だったため、なかなか言うべきことが言い出せない。一歩間違えばそのままお別れになってしまうところだったが、最後はFacebookが助けてくれた。音楽に満ちた作品だったが、このシーンだけは無音で、じっくりと二人の会話を映し出す。カシヤプ監督らしい工夫であった。

 最近のヒンディー語映画にしては挿入歌の数が多く、どれもストーリーと親和性が高かった。何より、音楽監督アミト・トリヴェーディーの個性光る楽曲の数々であった。ただ、歌の数が多すぎて、中だるみする場面があったのは否めない。

 ヒンディー語映画ではあるが、パンジャーブ州アムリトサルが舞台の映画であり、パンジャービー語の使用頻度が高かった。挿入歌の歌詞もほとんどがパンジャービー語であった。台詞や歌詞の中に「Fyaar」という造語が出てきたが、これは「Pyaar(愛、恋)」と「Fuck」を合わせた言葉であろう。

 ストーリーとは何の脈絡もなく、双子の姉妹や双子の兄弟が通りすがりで登場して踊りを踊ったりする変な演出もあったが、これもカシヤプ監督の遊び心であろう。

 「Manmarziyaan」は、ヒンディー語映画界の風雲児アヌラーグ・カシヤプ監督の直球ロマンス映画。古典的な三角関係モノであるが、カシヤプ監督らしい凝り捻ったストーリーで、予測可能な展開ではない。アミト・トリヴェーディーによる挿入歌も素晴らしい。2010年代のヒンディー語映画界を代表するロマンス映画だ。