Nanu Ki Jaanu

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Nanu Ki Jaanu
「Nanu Ki Jaanu」

 2018年4月20日公開の「Nanu Ki Jaanu(ナーヌーの恋人)」は、お化けの登場するロマンス映画である。21世紀のヒンディー語映画界ではホラー映画がジャンルとして確立し、多様なホラー映画が作られるようになっているが、この映画もホラー映画をラブコメ風に料理し、インド映画のフォーマットに適合させた作品のひとつだ。

 監督は「War… Chhod Na Yaar」(2013年)のファラーズ・ハイダル。主演はアバイ・デーオールとパトラレーカー・ポール。他に、マヌ・リシ、ブリジェーンドラ・カーラー、ラージェーシュ・シャルマー、ヒマーニー・シヴプリー、マノージ・パーワー、シュレーヤー・ナーラーヤンなどが出演している。

 デリー在住のナーヌー(アバイ・デーオール)は、ダッブー(マヌ・リシ)などの仲間と共に不動産の横領などを生業にするマフィアだった。ある日、ナーヌーは道端で交通事故に遭って倒れていた女性スィッディー(パトラレーカー・ポール)を病院まで運ぶ。スィッディーは助からなかったが、彼女のことが忘れられなくなり、マフィアの仕事も手に付かなくなる。また、スッディーの父親バーリー(ラージェーシュ・シャルマー)は氷工場を経営していたが、スィッディーの死を受け入れられないがために、彼女の遺体を氷漬けにして保存していた。

 その事故以来、ナーヌーは自宅で怪奇現象に悩まされるようになる。最初は冗談だと思っていたダッブーたちもナーヌーの家で怪奇現象を目の当たりにする。そこでナーヌーはその家を早めに手放そうとするが、そこへ田舎から母親(ヒマーニー・シヴプリー)が来てしまう。ナーヌーは、家にお化けがいると言って警告するが、母親は信じなかった。

 母親は田舎に帰ろうとするが、事故に遭って意識不明の重体となる。ナーヌーは、お化けの仕業だと考え、この行為を糾弾する。だが、実は彼女は、下階に住む男性によって怪我をしたのだった。それを知ったナーヌーはお化けに謝る。

 ナーヌーは次第に、家に住み着いたお化けが、交通事故で死んだスィッディーであることに気付く。ナーヌーはスィッディーの父親バーリーを探し出して家に呼ぶ。バーリーは、お化けがスッディーであることを確信し、彼女はナーヌーに恋をしていることも伝える。ナーヌーは、スィッディーのひき逃げをした者を探し、彼女を成仏させることを決める。

 ところが、ナーヌーは、自分のせいでスィッディーが事故に遭ったことに気付く。彼はバーリーのところへ行ってそれを明かし、自分を殺すように言う。だが、スィッディーはそれを止め、父親にナーヌーを許すように言う。そして、あの世へ去って行く。

 基本的にアバイ・デーオールの主演作に外れはないのだが、この「Nanu Ki Jaanu」は、ユニークではあったものの、物語に論理性を欠いており、完成度の低い映画で終わってしまっていた。

 やはりお化けの描写がとても弱かった。お化けの姿を敢えて見せないという選択肢もあったとは思うが、中盤から全身青くなった亡霊のスッディーを映し出してしまっており、途端に幼稚なホラー映画に成り下がってしまっていた。

 今回、アバイはあまり真剣に演技をしていないように感じた。その上、ミスキャスティングにも感じた。アバイはどちらかといえばソフトでお人好しな役柄が似合うのだが、今回彼が演じたのは不動産マフィアである。優しい顔をしているので、

 脚本上面白いのは、女性の幽霊が、自分の死の原因を作った男性に恋をし、彼の家に住み着いてしまうことである。しかも、スィッディーは酒や煙草にうるさい幽霊であり、ナーヌーが家に酒を持ち込むとことごとく破壊してしまう。その代わり、家に忍び込んだ泥棒を撃退したり、部屋を整頓したりと、頼もしい存在でもある。彼女が居着いた場所が、コンロの上の排気口という点は何ともおかしかった。

 単なる娯楽映画で終わらせず、教訓めいたメッセージが込められていたのはインド映画ならではといえる。スィッディーとの出会いを通してナーヌーは、人々を脅して金を稼ぐ仕事から仲間と共に足を洗い、誠実に生きることを学ぶ。お化けも誠実さも目に見えないとして無理矢理まとめていた。また、スィッディーにしても、ヘルメットをかぶらずにスクーターに乗っていたから、事故で頭を打って死んだ責任は自分にあるようなことを言っていた。なんと、「ヘルメットをかぶりましょう」という交通安全標語みたいなメッセージを発信する映画になっていたのである。ちっともホラー映画ではない。

 「Nanu Ki Jaanu」は、ホラー映画の一種ではあるが、ホラー要素は限りなく希薄だ。何しろ幽霊が人間に恋をして家に住み着いてしまうという展開である。むしろラブコメ映画に含めた方が適切である。完成度は低いので、無理して観る必要はない映画である。