Secret Superstar

5.0
Secret Superstar
「Secret Superstar」

 日本と同様にインドでもYouTubeは言わずもがな人気で、YouTubeでの動画投稿をきっかけに有名となる例も増えている。その元祖と言えば、2011年から映画音楽のカバー動画を投稿し始め、その歌唱力がセンセーションを巻き起こしたシュラッダー・シャルマーではなかろうか。このような新しい世の中の動きをヒンディー語映画界も敏感に感じ取っており、物語の中にYouTubeが組み込まれる例がチラホラ出て来た。2017年10月19日公開のヒンディー語映画「Secret Superstar」もその一例である。この映画は中国で大ヒットを記録し、日本でも「シークレット・スーパースター」の邦題と共に2019年8月9日から一般公開された。ヒューマントラストシネマ渋谷で鑑賞した。

 「Secret Superstar」の監督はアドヴァイト・チャンダン。「Dhobi Ghat」(2010年)などで助監督を務めていた人物で、本作が監督デビュー作となる。プロデューサーはアーミル・カーンとその妻キラン・ラーオ。音楽監督はアミト・トリヴェーディー。主演は、「Dangal」(2016年)の主演ザーイラー・ワスィーム。アーミル・カーンが出演している他、メヘル・ヴィージ、ラージ・アルジュン、ティールト・シャルマー、モーナー・アンベーガーオンカルなどがキャストに名を連ねている。また、歌手のシャーンとモーナーリー・タークルが特別出演している。

 映画は、遠足を楽しんでいる生徒たちのシーンから始まる。そこで、主人公のインスィヤー(ザーイラー・ワスィーム)に歌と音楽の才能があることが紹介される。列車の中で彼女はギターをつま弾き、夢見る少女らしい純粋な歌を歌う。青春映画らしいスタートである。だが、列車がヴァドーダラー駅に到着し、母親のナジュマー(メヘル・ヴィージ)が登場すると、急に深刻な様相を帯びて来る。彼女の顔に傷があったのだ。そして父親ファールーク(ラージ・アルジュン)の登場により、この映画のテーマのひとつがはっきりする。家庭内暴力である。ファールークは家庭内で専制君主であり、ナジュマーは夫から恒常的に暴力を受けていた。また、インスィヤーはファールークから可愛がられていない様子がうかがわれる。一方、弟のグッドゥーは父親からの溺愛されていた。

 インスィヤーは歌手になるのが夢だったが、ファールークは彼女がギターに触れるのすら面白く思っていなかった。だが、ナジュマーは娘の才能を認め、彼女の夢を応援しており、首飾りを売ってまでして、彼女にラップトップPCを買い与える。インスィヤーはそのPCを使って動画を作成し、YouTubeにアップロードする。その際、身元が分からないように、彼女はブルカーをかぶり、「シークレット・スーパースター」を名乗った。その動画は瞬く間に話題となった。しかし、インスィヤーの成績が落ちたことで、ファールークはギターの弦を切り、ナジュマーが首飾りを勝手に売ったことを知って、ラップトップPCは壊されてしまう。ナジュマーもファールークの暴力に震え上がるばかりであった。全ての人が夢を見られる訳ではない・・・インスィヤーは落ち込む。このようなストーリーである。

 インド映画の基本は伝統の保持である。ドキュメンタリー映画や社会派映画はその限りではないが、「Secret Superstar」のような娯楽映画は基本的に伝統的な価値観を守ろうとする。家庭内暴力がテーマの映画であれば、夫の改心など、円満な方向へ持って行くのが通常である。だが、「Secret Superstar」は、娘が両親の離婚を画策するという、前代未聞の筋書きであった。インスィヤーは母親と強い絆で結ばれていた。彼女がギターを始めたのもインスィヤーが6歳のときに母親がギターを買い与えたからだ。しかしながら、インスィヤーは学がなくて字が読めず、また、経済的に自立していないため、夫に抵抗することができなかった。インスィヤーはそんな母親の姿勢には不満を持っていた。とうとうインスィヤーは、母親が幸せになるには、離婚をするしかないと考え始める。そして、自分で離婚訴訟に強い弁護士のところへ行って相談し、必要な書類をもらって来る。

 最近のヒンディー語映画は、男性キャラが草食系であることが多い。相対的に女性キャラが強く、映画を支配するまでになっている。男性キャラが優しいのは主人公に限ったことではなく、父親にもそれが及んでいる。例えば、「Badhai Ho」(2018年)では、典型的な草食系父親が登場している。だから、ここまで亭主関白で暴力的な父親像が描写されたヒンディー語映画を久しぶりに観た気がする。ヒンディー語映画の変化を観察することで、インドもだいぶ変わって来たと感じていたが、映画だけで社会の変化を判断するのは危険である。やはり、まだまだ男尊女卑的な家庭の力関係は根強く、この映画で取り上げられているように、インドで家庭内暴力に悩まされる女性の数は減っていないだろう。その解決策としてこの映画は離婚を提示していた。それは極端な解決策ではあるが、女性側からも離婚という選択肢があるということを社会に示したことは、ナジュマーのように学識のない女性たちにとって特に意味のあることであろう。

 とは言っても、主人公インスィヤーが体現しているのは、新しいインドの新しい女性像だ。彼女は誰にも言い負かされないほど気が強く、夢を叶えるためにあの手この手を使って前へ突き進む。15歳という設定だが、一人で飛行機にも乗ってしまうし、母親に離婚という大胆な策を提示したりもする。夢を見ること、そして夢を叶えるために勇気を持って行動することの大切さを彼女は示している。映画の強いメッセージのひとつである。

 インスィヤーだけではない。実は、この映画には芯の強い女性たちが他にもいる。離婚訴訟のスペシャリストである弁護士シーナー・サバーワーラー(モーナー・アンベーガーオンカル)とインスィヤーをムンバイーに呼び寄せた音楽監督シャクティ・クマール(アーミル・カーン)に離婚を突き付けた妻(映画には登場せず)である。これらのキャラから、女性たちが自ら考え、自立し、自分で行動するひとつの潮流が浮き彫りにされている。これもひとつのインドである。

 そして、物語終盤になると、実は、あれほど脆弱に見えたナジュマーも、一人のファイターであったことが明らかになる。彼女が戦ったのは、女児堕胎というインドの悪習である。インドでは、結婚時に花嫁側から花婿側に多額の持参金を支払う習慣があるために女児が産まれるのを嫌う傾向があり、極端な場合は胎児が女児だと分かった時点で中絶してしまう。インスィヤーを身ごもったとき、多分に漏れず、ファールークも堕胎しようとした。だが、ナジュマーは産もうとした。無理矢理病院に連れ込まれたナジュマーは脱走し、そのまま姿をくらまして、インスィヤーを産んでから家に戻って来た。「インスィヤー(女)」という名前にも、そういう過去の事件と、それに対する母親の信念が込められていた。ナジュマーはそのことをインスィヤーに秘密にしていたのだった。

 女性キャラに比べると、この映画では男性キャラが脇に追いやられている。アーミル・カーンにしても、シャクティ・カプールを冗談半分で演じているところがあったし、インスィヤーの恋人チンタン(ティールト・シャルマー)も完全に主導権をインスィヤーに握られていた。一方で、ファールークは完全な悪役として単純化されており、彼に感情移入する余地は全くなかった。

 インド娯楽映画の最大の特徴のひとつは、歌と踊りである。ヒンディー語映画では、踊りのウエイトが減って来ているものの、歌は必ず入ると言っていい。インド娯楽映画の評価をする際、歌や踊りがいかにストーリーとシンクロしているかは、重要な指標となる。「Secret Superstar」は、歌手を志望する主人公の物語であり、踊りはなく、歌に特化していた。映画に登場する順番は、夢を見る少女の気持ちを歌った「Sapne Re」、自分の才能を世に問う不安を表現した「Main Kaun Hoon」、母親への愛情を歌った「Meri Pyaari Ammi」、そして、愛する人への気持ちをストレートに歌った「Nachdi Phira」である。それぞれ、その時々のインスィヤーの心情や状況をよく表現しており、最高の評価を与えたい。ちなみに、これらの歌はメーグナー・ミシュラーが歌っており、歌詞はカウサル・ムニールが書いている。

 歌のいい映画は自然と心に強く響く。典型的なシンデレラ・ストーリーであったし、父親を完全な悪と仕立てることで話を単純化し過ぎていたきらいもあったが、母娘の強い絆が非常に強力に働いており、涙なくしては観られない。これだけ泣いた映画は「Rab Ne Bana Di Jodi」(2008年)以来かもしれない。

 映画の時間軸は明確に提示されていなかった気がするが、タミル語映画「3」(2012年)の「Why This Kolaveri Di」の大ヒットが同時代の出来事として出て来ていたため、2012年と考えていいだろう。まだこの頃、インドではスマートフォンはそれほど普及しておらず、動画を投稿するのも、この映画で描写されているように、PCからが普通だった。

 「Secret Superstar」は、YouTubeで一躍人気となった歌手志望の少女の物語。だが、そこには家庭内暴力や女児堕胎の問題が巧みに絡んでおり、母娘の強い絆が太い芯となって映画全体を貫いている。特に終盤は涙が乾く間もないほど感動的なもの。インド本国で大ヒットした他、中国でも異例のヒットとなっている。日本での公開規模は残念ながら小さいが、口コミベースでヒットとなって欲しい。ついそんなことを祈ってしまう傑作である。