
2017年8月25日公開の「Qaidi Band(囚人バンド)」は、何らかの事件の容疑者になって逮捕され、刑務所で「裁判中(Undertrial/UT)」の状態にある人々がロックバンドを組むという物語である。インドの司法制度の欠陥に苦しむ人々の存在にクローズアップする社会的メッセージも込められた娯楽映画になっている。
プロデューサーはアーディティヤ・チョープラー。監督は「Do Dooni Chaar」(2010年)や「Ishaqzaade」(2012年)のハビーブ・フィイサル。音楽はアミト・トリヴェーディー。主演は新人のアーダル・ジャインと「Bajatey Raho」(2013年)でデビューしたアンニャー・スィン。アーダルの母親は、巨匠ラージ・カプールの娘リーマーであり、名門カプール家の一員に数えられる。
他に、サチン・ピルガーオンカル、ミカイル・ヤワルカル、プリンス・パルヴィンダル・スィン、ラーム・カプールなどが出演している。
映画の舞台になっている「中央刑務所」は、架空の州のものと考えられる。自動車のナンバープレートは「MS」だったが、そのような州は実在しない。ウッタル・プラデーシュ州やビハール州など、北インドの州をイメージしていると思われる。
「中央刑務所」の看守デーヴィンダル・ドゥリヤー(サチン・ピルガーオンカル)は、8月15日の独立記念日に、裁判中(UT)囚人でバンドを結成し、大臣の前で演奏することにした。音楽に自信のある囚人を集めてオーディションをし、サンジュー(アーダル・ジャイン)、ビンドゥー(アンニャー・スィン)、ルーフィー(ミカイル・ヤワルカル)、マスキーン・スィン(プリンス・パルヴィンダル・スィン)、サンゲ、オグ、タティアナの7人が選考された。
パイロットになるのを夢見ていたサンジューは、裕福なカップルのケンカに関わったことで殺人の濡れ衣を着せられ判決を待つ身だった。歌手になるのを夢見ていたビンドゥーは、子守として働いていた家の主人にレイプされそうになり、子供を連れて逃げたところ、誘拐と窃盗の濡れ衣を着せられた。ルーフィーは、購入した新車が盗まれテロに使われたことでテロリストと疑われ刑務所にいた。
彼らは「サイナーニー・バンド」を名乗り、刑務所内で開催された独立記念日の式典で、詩心のあるルーフィーの作詞した歌詞をサンジューがロック調にアレンジした「I am India」というオリジナル曲を披露する。その出来に大臣もご満悦で、メディアが大々的に報じたことでインド中に知れ渡る。大臣は、来年の選挙を見据え、サイナーニー・バンドのメンバーを保釈せずに刑務所に留めておくようにドゥリヤーに指示するとともに、毎週YouTubeに新曲をアップロードする任務も課す。
早期の保釈を期待していたビンドゥーは当初歌うことを拒否するが、ドゥリヤーに脅され、渋々歌うことになる。既にサンゲは他の刑務所に移され、ベラルーシ人のタティアナは母国に送還されていたため、残ったメンバーはサンジュー、ビンドゥー、スーフィー、マスキーン、オグの5人だった。彼らは有名なロックバンド「ミドルフィンガー」と共演し、彼らから「ロック・ロード」というロックバンドのコンペティションの存在を知る。優勝バンドには500万ルピーの賞金が出るとのことだった。サンジューたちは脱獄してロック・ロードに出演し、賞金を獲得して、ナヴィーン・ヴァチャーニー(ラーム・カプール)のような有能な弁護士を雇う計画を立てる。
サンジューたちはドゥリヤーに、ちゃんとした楽器がほしいと要望を出し、一緒にショッピングモールに買い物に行く許可を得る。サンジューたちは買い物客から注目され、そこで即席のライブを行う。混乱の中でサンジューたちは脱走する。サンジュー、ビンドゥー、ルーフィーは待ち合わせてミドルフィンガーに会いに行くが、彼らが脱獄したことを知ったリーダーのヴァレーは警察に通報する。遅れてやってきたマスキーンとオグが警察の急襲を知らせ、サンジューとビンドゥーは脱出に成功するが、ルーフィー、マスキーン、オグは捕まり、拷問を受ける。
サンジューとビンドゥーはロック・ロードの会場に行き、主催者トゥリカーに事情を説明して、出演の許可を得る。二人は公判の遅れによって最大刑期よりも長い時間刑務所に入れられているUT囚人がたくさんいる現状を訴え、歌を歌い出す。ドゥリヤーが踏み込んでくるが、二人は同情した聴衆に助けられ再度脱出する。
ロック・ロードにサンジューとビンドゥーが現れたというニュースがインド中を駆け巡り、ヴァチャーニーの耳にも届く。ヴァチャーニーは無料でサイナーニー・バンドのメンバーの弁護を引き受け、彼らは保釈を得る。自由の身になった彼らは、まだ刑務所に残されたUT囚人たちのためにチャリティーコンサートを行い、彼らを次々に解放する。
映画の冒頭では、アッサム州のマチャル・ラルン(Machal Lalung)が紹介される。1928年生まれのマチャルは1951年に「重大な損害」を与えた容疑で逮捕され、その後54年間、判決を待ち続けて刑務所に収容され続けた。2005年にようやく無実の判決が下り解放されたが、そのとき彼に渡されたのはたった30万ルピーの補償金と月1,000ルピーの支援金のみだった。マチャルは2007年に死去した。
ただし、この映画は決してマチャル・ラルンの伝記映画ではない。無実の罪によって人生の大半を刑務所で過ごすことになったマチャルの悲劇は、映画のテーマを明確にするために紹介されただけだ。「実話にもとづく」とされているが、基本的にはフィクション映画である。
インドでは裁判の件数が司法システムの許容量を超えており、「裁判中(UT)」状態のまま刑務所に収容され続けている人々が大量にいる。実際に罪を犯して収容されている者にとっては、刑法で規定されているその罪の最大服役期間を超えても自由を奪われ続けている問題がある。無実の罪で収容されている者は、判決のこの大幅な遅延によって、さらに深刻な不利益を被ることになる。「Qaidi Band」の主人公であるサンジューとビンドゥーは、無実の罪で収監されたUT囚人である。
ただ、刑務所の中にいたのでは彼らにできることはほとんどなかった。チャンスが訪れたのは、刑務所の100周年を記念して、看守のドゥリヤーが囚人のバンドを作って大臣の前で披露したいと思い付き、彼らがバンドメンバーになったことからだった。刑が確定した囚人には労働があるため、裁判中のUT囚人たちでバンドが組まれることになり、サンジューとビンドゥーが選ばれたのだった。英領時代、この刑務所にはインド独立に命を捧げたフリーダムファイターたちが収容されていた。ドゥリヤーの発案物であるこのバンドは、「サイナーニー・バンド(闘士のバンド)」と呼ばれた。独立記念日式典で彼らが演奏した「I am India」が世間から大きな注目を集め、彼らは刑務所の外に向けてメッセージを伝える手段を得ることになる。最終的に、彼らは脱走してでもコンペティションに出場し、聴衆の前でインドの司法の問題点を訴える。また、釈放後の彼らは、自分たちと同じような境遇のUT囚人たちを音楽の力を使って支援する活動を始める。
UT囚人の問題を訴えるだけならさまざまな手段があったであろう。たとえばNGOなどを絡ませることも可能だった。だが、「Qaidi Band」では、音楽といういかにもインド映画らしい手段を使い、UT囚人たちに「翼」を与えることで、歌と踊り、そして感動に満ちた娯楽作品に仕上がっていた。理想主義的な展開と結末ではあったが、このくらいの予定調和があった方が後味がよい。典型的なヤシュラージ・フィルムス印の作品だ。
もうひとつ、バンドのメンバーに注目してみたい。サイナーニー・バンドは当初7人のメンバーから成っていた。国籍で分類すると、サンジュー、ビンドゥー、ルーヒー、マスキーン、サンゲの5人はインド人であったが、オグはナイジェリア人、タティアナはベラルーシ人であった。また、インド人を地域で分類すると、サンジュー、ビンドゥー、マスキーンはパンジャーブ人、ルーヒーはベンガル人、サンゲはナガランド人になる。ナガランド州のキャラがヒンディー語映画に登場するのは珍しい。サイナーニー・バンドの代表曲が「I am India」であることや、インドの多様性と統一性を強調するその歌詞からも分かるように、この映画はインドは多様だが統合しているというメッセージを発信している。ただ、パンジャーブ人への偏重があるのは否めないし、なぜナイジェリア人とベラルーシ人がわざわざ入ったのかは不明である。
音楽がテーマの映画なので音楽も映画の出来と密接な関係があるわけだが、「Qaidi Band」では奇才アミト・トリヴェーディーが起用され、ぬかりがなかった。「I am India」は現代インドの国歌とでも呼ぶべき名曲であるし、「Jag Mag」、「Hulchul」、「Poshampa」など、力強い曲が多かった。
「Qaidi Band」は、いかにもアーディティヤ・チョープラー製作の映画らしい、インドの多様性と統一性を声高らかに歌い上げた作品である。さらに、インドの司法のキャパオーバーによるUT囚人たちの受難が中心テーマに据えられ、早急な改善が求められていた。シンプルな筋書きであるがゆえに分かりやすく、気軽に楽しめる上質な娯楽映画である。興行的には大失敗に終わったものの、再評価されるべき映画だ。
