ローヒト・シェッティーと言えば、ヒンディー語映画界において数々のヒット作を送り出して来たヒットメーカーである。アクション映画とコメディー映画が持ち味で、どちらかと言えば細かいことを無視した大味な作品を作る映画監督だ。メッセージ性は低いが、ヒット率が高いため、業界の中で一目置かれている存在である。2015年12月18日公開の「Dilwale」は、シェッティー監督の11作目の作品である。
主演はシャールク・カーン、ヴァルン・ダワン、カージョル、クリティ・サノン。他に、ヴィノード・カンナー、カビール・ベーディー、ボーマン・イーラーニー、ジョニー・リーヴァル、サンジャイ・ミシュラー、ムケーシュ・ティワーリー、パンカジ・トリパーティー、ヴァルン・シャルマーなどが出演している。主演から脇役まで、非常に豪華な俳優陣である。
舞台はゴア。兄のラージ(シャールク・カーン)が経営するガレージで働くヴィール(ヴァルン・ダワン)は、偶然出会った女の子イシター(クリティ・サノン)と恋仲になる。イシターにはミーラー(カージョル)という姉がいた。彼らには両親はいなかった。ある日、ヴィールとイシターは親代わりの兄と姉を引き合わせる。ところが、この2人には過去に因縁があった。 ラージはかつて、カーリーという名前のマフィアで、ブルガリアで活動していた。カーリーのライバル・マフィアのドン、デーヴ(カビール・ベーディー)の娘がミーラーであった。カーリーとミーラーは恋仲となり、ある日、父親を引き合わせるが、デーヴは元々カーリーの父ランディール(ヴィノード・カンナー)をおびき寄せるために娘の結婚を承諾していた。その場で銃撃戦となり、ランディールとデーヴは相打ちとなる。駆けつけたミーラーは、カーリーが父を殺したと勘違いする。ミーラーはブルガリアを去り、カーリーもマフィアから足を洗ってインドに戻った。二人がゴアにいたのは全くの偶然であった。 ミーラーはカーリーを許していなかった。イシターとヴィールの結婚は認めるが、ヴィールに対し、兄とは縁を切ることを条件とする。兄を慕っていたヴィールは、イシターよりも兄の方を取り、結婚は諦める。だが、ヴィールは、兄とミーラーを仲直りさせることで自分たちの結婚が実現すると考え、計画を練る。
ローヒト・シェッティー監督の映画としては珍しく、ロマンス主体の映画だった。意図的に、男女の恋愛に加えて、兄弟愛や姉妹愛も重ね合わされており、人間ドラマに仕上がっていた。とは言え、アクションやコメディーも盛りだくさんで、自動車がひっくり返るようなド派手なシーンも目白押しだった。
大味な作りは相変わらずで、ストーリー展開はご都合主義であるし、編集も荒い。ただ、ヒンディー語映画界で一番コテコテのインド映画を作っているのもシェッティー監督であり、このような気軽に鑑賞できる娯楽作を求める層も多くいるため、必要な映画だと感じる。ロマンス主体だったためか、シェッティー作品にしては興行的な成功の度合いが低かったようだが、彼にとっての新境地を拓いたという点では、前進のあった映画だと評することができる。
シャールク・カーンとカージョルの共演はこれで7作品目だと言う。二人は、1990年代のベストカップルのひとつだ。この二人の映画と言うと、やはり「Dilwale Dulhania Le Jayenge」(1995年)が最も印象的だが、その題名の一部を切り取ったような「Dilwale(心ある者)」は、同作を想起させる狙いがあることは明白である。カージョルは2010年に第二子を出産して以来、しばらくスクリーンから遠ざかっていたが、「Dilwale」によって復帰し、以後、女優活動を再開させている。
1990年代に活躍したシャールクとカージョルに加えて、新世代のスターたち2人――ヴァルン・ダワンとクリティ・サノン――が主演を務めていた。だが、彼らの弟または妹という設定になっており、まだまだシャールクとカージョルをパパ俳優・ママ俳優に固定してしまわない力が働いているのを感じる。ヴァルンとクリティが演じたヴィールとイシターにはキャラに深みがなかったのは残念であるが、彼らの失敗ではない。
「Dilwale」は、ヒンディー語映画界で娯楽をもっとも徹底的に追求しているローヒト・シェッティー監督の作品。アクションやコメディーも目白押しではあるが、ロマンスの要素が強く、シェッティー作品にしては珍しい。シャールク・カーンとカージョルの共演や、その他スター性のある俳優たちの演技など、見所は多いが、細かい部分を気にせずに観る能力も必要となる。ブルガリア・ロケの回想シーンの美しさは必見だ。