プラブデーヴァーはインドが誇る最高のダンサーかつコレオグラファーである。「インドのマイケル・ジャクソン」と称される彼の軟体動物のような体の動きに付いて来られるダンサーはインド広しと言えどそうはいない。彼の主なフィールドはタミル語映画やテルグ語映画だったが、2005年から映画を監督するようになり、2009年には初めてヒンディー語映画「Wanted」を監督、ヒットさせた。以後、ヒンディー語映画界において彼のプレゼンスは非常に強まった。また、サルマーン・カーン主演の「Wanted」は、ヒンディー語映画界に南インドのアクション映画リメイクのブームを巻き起こしたため、彼の映画史における貢献度は小さくない。「Wanted」の後、彼はアクシャイ・クマールを主演に起用して「Rowdy Rathore」(2012年)、シャーヒド・カプールを主演に起用して「R… Rajkumar」(2013年)などを撮っており、それぞれヒットさせている。
だが、必ずしも彼の映画が質的に優れているという訳ではなかった。「Wanted」以前、ヒンディー語映画界ではアクション映画不毛の時代が続いており、その空白をプラブデーヴァーなどがうまく埋めたのである。成功の方程式は、南インドでヒットした脚本を練り直し、スターパワーを使って力技で映画にすること。それがプラブデーヴァー作品の興行的成功につながっていた。だが、ここに来て彼の運にも陰りが見え始めている。
2014年12月5日に公開された「Action Jackson」は、プラブデーヴァーのヒンディー語作品第5作だ。今回はアジャイ・デーヴガンを主演に起用している。2011年のテルグ語映画「Dookudu」のリメイクとされているが、定かではない。だが、作りは完全に南インド映画のフォーマットである。これがフロップに終わった。観てみたが、本当にひどい出来であった。プラブデーヴァーの映画作りが次第に雑になって来ているように思われる。昨今のヒンディー語映画界では、安易な南インド映画のリメイクが横行しており、興行的にも振るわなくなって来ている。このような状態になるであろうことは、「100カロール・クラブ」という用語が作られた頃から予想をしていたが、南インド映画リメイクのブームを作り出した張本人であるプラブデーヴァーの映画からその「終わりの始まり」を知ることになろうとは、皮肉である。
前述の通り、「Action Jackson」の主演はアジャイ・デーヴガンである。ヒロインは3人おり、重要度順にソーナークシー・スィナー、マナスヴィー・マムガイー、ヤミー・ガウタムとなる。ソーナークシーについては、現在最盛期の女優であり、説明の必要がない。マナスヴィーは2010年のミス・インディアで、本作が女優デビュー作。ヤミーは「Vicky Donor」(2012年)などに出演していた女優だ。他に、クナール・ロイ・カプール、アーナンダラージ、ラザーク・カーンなどが出演している。また、シャーヒド・カプールとテルグ語映画俳優プラバースがカメオ出演している。なお、作曲はヒメーシュ・レーシャミヤー、作詞はシャッビール・アハマドとサミール・アンジャーンである。
ムンバイー在住のゴロツキ、ヴィシー(アジャイ・デーヴガン)は、アンラッキーな女の子クシー(ソーナークシー・スィナー)と出会い、恋に落ちる。ところがヴィシーをラッキーマスコットだと勘違いしたクシーの友人たちが、彼の写真をSNSにアップロードしたことで、事件が起こる。ヴィシーは、バンコク在住の国際的マフィア、エグザヴィア(アーナンダラージ)の片腕だった男ジャイ、通称AJ(アジャイ・デーヴガン)にそっくりだった。AJは訳あってエグザヴィアから追われており、プネーに潜伏していたのだが、たまたまそのときにはムンバイーに来ていた。SNS上でヴィシーの姿を見つけたエグザヴィアは、部下の殺し屋ペドロ(ケータン・カラーンデー)や密通する警官にAJを探させた。一方、AJは、ヴィシーに因縁を付けたゴロツキたちにリンチに遭い、自分とそっくりな人物がムンバイーにいることを知る。 AJは警察に逮捕され、ペドロに引き渡される。だが、AJは一騎当千の力を持つ最強の殺し屋であった。AJはその力を解放し、単身でペドロたちを一網打尽にする。そして、ヴィシーと対面し、自分の過去を語る。 AJはエグザヴィアにもっとも信頼された殺し屋であった。あるとき、敵対マフィアにエグザヴィアの妹マリーナー(マナスヴィー・マムガイー)が誘拐されるという事件が起きた。AJは一人で敵対マフィアのアジトに乗り込み、一人残らず抹殺して、マリーナーを救出する。これを機にマリーナーはAJに一方的に恋をするようになるが、AJにはアヌシャー(ヤミー・ガウタム)という妻がいた。マリーナーは、何度もAJにアプローチするが、彼は全く動じなかった。妹の願望を知ったエグザヴィアはアヌシャーを殺して無理矢理AJを妹と結婚させようとする。アヌシャーは重傷を負ったが何とか命はあった。また、彼女は妊娠もしていた。AJは彼女を連れてインドに逃げ、ムンバイーの病院に入院させて、自身はプネーのレストランでウェイターとして働いていたのだった。今回ムンバイーに来たのはアヌシャーの手術のためだった。 AJはヴィシーに、アヌシャーの手術と出産が終わるまで、自分になりすましてバンコクへ行き、時間を稼いで欲しいと頼む。ヴィシーはそれを引き受けて、親友のムーサー(クナール・ロイ・カプール)と共にバンコクへ渡る。エグザヴィアとマリーナーはAJの帰還を喜び、早速結婚式の準備を始めるが、しばらく後に偽物だと気付き、AJはまだムンバイーにいることを知る。エグザヴィアはAJをおびき寄せるために、ムンバイーの病院からアヌシャーと生まれたばかりの子供を誘拐し、バンコクに連れて来るが、このときまでにAJとヴィシーは入れ替わっており、AJも既にバンコクにいた。AJはエグザヴィアとマリーナーを殺しにし、妻と子供を救い出す。
良く言えば非常に大味な映画、悪く言えば支離滅裂で雑な映画だった。脚本からキャスティングまで、うまく行っているものがひとつもない。なぜプラブデーヴァーがこの映画を作ろうと思ったのかさえ分からない。ヒンディー語映画の質を下げ、南インド映画に対する偏見を助長させる、あってはならない作品だった。
瓜二つの二人またはそれ以上の数の人物が登場し、何らかの事件を巻き起こしたり、何らかの事件に巻き込まれたりする、というプロットは、古今東西で見られる使い古されたフォーミュラだ。その場合、その二人は性格が正反対だったり、立場や状況が全く異なっていたりするのが定石である。マーク・トウェインの「王様と乞食」やチャールズ・チャップリンの「独裁者」(1940年)など、そのような例は枚挙に暇が無い。では、もし双子でもなく、たまたま顔がそっくりな二人が、あまり性格など違わないという設定の物語があったらどうだろうか。それが「Action Jackson」であったが、はっきり言って何のメリハリもなかった。ヴィシーは腕っ節が強いし、AJはそれ以上に強い。一方は街のゴロツキ、もう一方は殺し屋。全く同じではないものの、ベクトルは一緒だ。そしてこれらを演じるアジャイ・デーヴガンはほとんどヴィシーとAJを演じ分けようとしていなかった。一体何のための一人二役だったのだろうか。
また、ヴィシーは「踊りが大好き」という設定だった。よって、ある程度踊りが踊れる俳優を起用する必要があった。アジャイ・デーヴガンは、お世辞にも踊りがうまい俳優ではない。プラブデーヴァーなどのコレオグラファーが一生懸命振り付けしたのだろうが、はっきり言って全く踊れていなかった。むしろアジャイでも踊れるような動作を組み合わせて映像のマジックで踊っていることにすべきであった。これではアジャイが赤っ恥をかくだけだ。
プラブデーヴァー映画で楽しみなのはダンスシーンである。他は悪くても踊りだけが突出していれば、まだ救いようがあった。だが、残念ながら彼自身が登場して絶妙な踊りを見せるエンドクレジット曲を除けば、大したものがなかった。もちろん、踊りが下手なアジャイが踊りを踊っていることが大きな敗因だ。
何の取り柄もない映画ではあったが、唯一光っていたのは、本作がデビュー作となるマナスヴィー・マムガイーだ。それも通常のタイプのデビューではなく、悪役として堂々の演技をしていた。マフィアの妹で、AJに横恋慕し、何としてでも彼を手に入れようとする魔性の女。彼女の存在がAJの逃亡やエグザヴィアとの確執を招き、物語の大きな原動力となった。ストーリー進行への貢献度から言ったら、メインヒロイン扱いのソーナークシー・スィナーよりも高いし、インパクトもあった。「Ajnabee」(2001年)で悪役として衝撃のデビューをしたビパーシャー・バスに似たものを感じた。「Action Jackson」の収穫は、マナスヴィー・マムガイーだ。ちなみに、もう一人のヒロイン、ヤミー・ガウタムはほとんど見せ場がなかった。
「Action Jackson」は、これまでヒンディー語映画でヒットを連発して来たプラブデーヴァーが初めて大きくこけた作品だ。それもそのはず、作りは非常に雑で、主演のアジャイ・デーヴガンも完全なるミスキャストである。しかしながら、悪役として戦慄のデビューをしたマナスヴィー・マムガイーはとても楽しみな存在だ。それしか褒めるところがない。