Purani Jeans

3.5
Purani Jeans

 2014年5月2日公開の「Purani Jeans(古いジーンズ)」は、友情と愛情の狭間に翻弄された5人の友人たちの青春ドラマである。「3 Idiots」(2009年/邦題:きっと、うまくいく)や「Yeh Jawaani Hai Deewani」(2013年/邦題:若さは向こう見ず)などと似ていて、現代から過去の友情を振り返る作りになっている。

 監督は新人のタヌシュリー・チャタルジー・バス。キャストは、アーディティヤ・スィヤール、タヌジ・ヴィールワーニー、イザベル・レイト、サリカー、ラティ・アグニホートリー、マノージ・パーワー、ラジト・カプールなどである。アーディティヤは「Ek Chhotisi Love Story」(2002年)に出演していた少年で、本作が本格デビュー作になる。タヌジはラティ・アグニホートリーの息子で、「Luv U Soniyo」(2013年)でデビューしたばかりだ。また、イザベル・レイトはインド映画界で活躍するブラジル人女優という変わり種であり、「Talaash」(2012年)や「Sixteen」(2013年)に出演している。

 時は1996年、舞台はヒマーチャル・プラデーシュ州の山間の町カサウリー。サム(アーディティヤ・スィヤール)、スィド(タヌジ・ヴィールワーニー)、ボビー、スージー、ティノの5人は、「カサウリー・カウボーイズ」を自称する仲良し5人組であった。サムが留学先のロンドンから帰ってきたことで、5人は再びつるむようになる。王族出身で陽気なサムと、文学肌のスィドは特に気が合い、親友同士であった。サムの父親は彼が6歳の頃に愛人と逃げてしまい、アルコール中毒になったシェリー(サリカー)は荘園のマネージャー、アビジート(ラジト・カプール)と再婚するが、サムはアビジートを毛嫌いしていた。

 サムとスィドは、ムンバイーからカサウリーに移住してきた美女ナヤンターラー(イザベル・レイト)に恋をする。ナヤンターラーはサムの好意に気付きながらも、スィドに惹かれていた。だが、サムはスィドの気持ちに気付かず、ナヤンターラーを恋人扱いし出す。スィドは米国留学を夢見ており、その面接のために数日間デリーに行っていたことがあった。その間、ナヤンターラーの妹で、ボビーと付き合っていたアーイシャーの妊娠が発覚し、ボビーが行方をくらますという事件が起きる。このときアーイシャーとナヤンターラーに寄り添ったのはサムだった。デリーから帰ってきたスィドは、この事件をきっかけにサムとナヤンターラーが付き合うようになったと勘違いする。

 スィドの米国留学が決まり、お別れパーティーが開かれた。その夜、スィドとナヤンターラーは二人きりになり、セックスをする。それをスィドが見てしまい、スィドが裏切ったと考える。その直後、スィドは崖から落ちて死ぬ。スィドはそのまま米国に発ち、二度とカサウリーに戻らなかった。

 12年後、米国に住むスィドの元に母親の訃報を聞き、カサウリーに帰ることになる。そこで古い思い出が蘇ってくる。スィドは、スージーとティノと再会し、ナヤンターラーにも会う。ナヤンターラーは婚約しており、もうすぐ結婚する予定だと知る。スィドは、サムの母親シェリーを探す。シェリーは孤児院を経営していた。シェリーから、サムが死んだ夜、サムと自分の間で口論があったことを明かす。サムから受け取った手紙と贈り物があり、スィドはそれを受け取る。手紙には、スィドとナヤンターラーの関係を祝福するメッセージが書かれており、贈り物は古いジーンズだった。

 スィドはナヤンターラーと結婚し、サムの夢だった、パリにあるジム・モリソンの墓参りをする。

 タヌシュリー・チャタルジー・バス監督は女性だが、映画は男の友情を歌い上げる内容であった。「カサウリー・カウボーイズ」を自称する仲良し5人組は、似た者同士の集まりというよりは、サムのカリスマ性と資金力によって成り立っているグループであった。王族出身で裕福なサムは、常に仲間たちに奢る役を担っており、しかも陽気なムードメーカーだった。ロンドン留学から帰ってきたサムは、ドアーズのジム・モリソンに傾倒しており、ミュージシャンになるのが夢だった。主人公のスィドは、その5人の中でも一番知性派で、文学者になる夢を胸に秘めながら、親の希望に添って工学を学んでいた。

 この5人に、ナヤンターラーとアーイシャーという姉妹が絡む。男性の仲良しグループに女性が絡んでくると、案の定、友情の崩壊の引き金になる。アーイシャーはボビーと付き合い出すが、アーイシャーが妊娠してしまい、ボビーは責任逃れのために逃げてしまう。また、サムとスィドは同時にナヤンターラーに恋をしてしまい、これが二人の仲を引き裂く。こうして、かつて強固な結束を誇ったカサウリー・カウボーイズはバラバラになってしまうのである。

 サムとスィドの関係崩壊は、避けることができたものだ。特にスィドがきちんとナヤンターラーとの仲をサムに伝えられていれば、このような事態は起こらなかったかもしれない。だが、ナヤンターラーにも重大な責任がある。サムとスィドの二人に言い寄られていることに気付きながら、態度をはっきりさせなかった。そして、いざスィドと関係するようになった後は、その関係をサムに伝える役割をスィド一人に押しつけた。スィドがそれをできずにいると、彼をそそくさと見捨てる素振りを見せる。ナヤンターラーの行動はあまりに不規則で謎だった。女性監督の作品とは思えないほど、女性キャラがミステリーであった。

 全く知名度のない若い俳優たちを起用したフレッシュな顔ぶれの映画だったが、青春群像劇らしい若さや爽快さがよく出せていた。単に浮かれた映画ではなく、サムが背負っているものをかなりヘビーにしており、それがいい重石になっていた。サムは、裕福だったものの、愛情に飢えていた。実の父親に捨てられ、母親には避けられ、恋人と思っていた女性には裏切られた。誰にも愛されていないと感じたサムは、ジープを駆って崖からダイブし、自殺してしまう。

 サムがドアーズのジム・モリソンを崇拝しているという設定は珍しい。それだけでなく、映画の随所に彼へのオマージュが込められていた。例えば映画の冒頭には、「友人とは、君がありのままの姿でいられる完全なる自由を与えてくれる人のことだ」というジム・モリソンの名言が引用されており、これがそのままこの「Purani Jeans」の主題にもなっていた。スィドは、サムのおかげで小説家になる夢を叶えることができ、ナヤンターラーとも結婚できたのである。また、サムは、27歳という若さで亡くなったジム・モリソンを羨ましがっていたが、彼も27歳を待たずに命を絶つことになる。そして映画の最後には、パリにあるジム・モリソンの墓が登場する。インド映画ながら、まるでジム・モリソンに捧げられた映画のようだ。こういう作りも、女性監督の感性とは思えない。

 舞台になったカサウリーは標高1,800mの位置にある山間の町で、英領時代に駐屯地として発展した。避暑地としては、シムラーやマスーリーなどと比べたら知名度は低い。カサウリーを舞台にしなければならなかった強い理由は感じなかった。英領時代の影響からキリスト教の影響は比較的強い地域で、教会もある。一応、サムはキリスト教徒という設定になっていた。

 「Purani Jeans」は、若き日の友情や失われた愛情を取り戻す過程を描いた青春ドラマである。スターの起用はないが、フレッシュな顔ぶれで、映画の雰囲気に合っていた。多少、台詞回しが演劇的すぎると感じるシーンはあったし、女性監督の作品とは思えないほど、男の友情に全面的に寄り添った内容だったのは気になったが、全体的にはよくまとまった映画だ。興行的には全く振るわなかったが、悪い作品ではない。