インド映画にダンスは欠かせず、コレオグラファーが必ずと言っていいほど映画作りに参加している。ダンスの振り付けや指導は、もしかしたら必要とされる才能が映画監督とかぶるのかもしれない。コレオグラファーから監督に転身する例がここのところ目立つ。その中で最も成功したのがファラー・カーンであろう。元々ヒンディー語映画界のトップコレオグラファーとして名を知られていたが、「Main Hoon Na」(2004年)で監督デビューし、その後2007年に大ヒット映画「Om Shanti Om」(2007年/邦題:恋する輪廻 オーム・シャンティ・オーム)を送り出した。同じくヒンディー語映画界の売れっ子コレオグラファー、レモ・デスーザも「F.A.L.T.U.」(2011年)や「ABCD: Any Body Can Dance」(2013年)などを監督しているが、まだファラー・カーンほどの成功は収めていない。
ファラー・カーンよりも監督デビューは遅いが、彼女と同じくらい監督としても認められた存在となっているのがプラブデーヴァーだ。インドが誇る最高のダンサーであり、「インドのマイケル・ジャクソン」の異名を持つ彼は、テルグ語映画「Nuvvostanante Nenoddantana」(2005年)で監督デビューした後、「Pokkiri」(2007年/タミル語)、「Wanted」(2009年)、「Rowdy Rathore」(2012年)などの大ヒット作を監督しており、最高のダンスとアクションを組み合わせた徹底的な娯楽映画で定評を得ている。南インドを主なフィールドとしながら南北インドにまたがって活躍して来たプラブデーヴァーだが、ここのところヒンディー語映画での露出が増えている。
2013年12月6日公開の「R… Rajkumar」は、プラブデーヴァー監督の最新作だ。主演は落ち目のシャーヒド・カプールと売れ筋のソーナークシー・スィナー。ソーヌー・スード、アーシーシュ・ヴィディヤールティー、ムクル・デーヴ、アスラーニー、シュリーハリなどが出演。ヒロインがソーナークシーで悪役がソーヌー・スードという配役は、大ヒット映画「Dabangg」(2010年)を意識したと指摘されても仕方がないだろう。音楽はプリータム、作詞はアヌパム・アモード、マユール・プリー。
ダルティープルでは、ケシの花栽培を巡って、マーニク・パルマール(アーシーシュ・ヴィディヤールティー)とシヴラージ・グルジャル(ソーヌー・スード)という2人のギャングの間で抗争が繰り広げられていた。そこへ迷い込んだのが流れ者のロミオ・ラージクマール(シャーヒド・カプール)であった。ラージクマールは、パルマールとシヴラージの銃撃戦に巻き込まれる中、チャンダー(ソーナークシー・スィナー)という美女に一目惚れし、ダルティープルに留まることを決意する。 ラージクマールはシヴラージの組織に入り込み、信頼を勝ち得て右腕となる。ラージクマールはカースィム(ムクル・デーヴ)と共にパルマールに何度も打撃を与える。とうとうこの抗争に決着を付けることになり、ラージクマールとカースィムはパルマールの家に忍び込むが、そこでラージクマールはかねてから惚れ込んでいたチャンダーを見つける。なんとチャンダーはパルマールの姪であった。とりあえず暗殺は延期となり、2人はシヴラージの元に戻る。また、このときラージクマールとチャンダーは相思相愛の関係となる。 翌朝、シヴラージは沐浴しているチャンダーを見て一目惚れする。そして急転直下、シヴラージとチャンダーが結婚し、両家の間の抗争に終止符が打たれることになる。それを認めないラージクマールはシヴラージに反旗を翻し、1ヶ月後にシヴラージとチャンダーの結婚式において自分がチャンダーと結婚すると宣言する。 シヴラージはチャンダーの心を勝ち取ろうとしたり、ラージクマールを殺そうとしたり、いろいろ努力するが、どれもうまく行かなかった。そのとき、香港を拠点にマリファナの密売に手を染めるアジト・ターカー(シュリーハリ)がダルティープルにやって来る。それを迎えたのがラージクマールであった。実はラージクマールは流れ者ではなく、ターカーによって送り込まれたのだった。シヴラージがターカーにケシの花の買値を引き上げるように要求していたため、ターカーは彼を懲らしめようとしていた。 ところがシヴラージは状況を正確に察知し、先手を打ってターカーと取引をする。ラージクマールは罠に掛かり、ターカーに腹部を刺され、シヴラージからトドメをされる。ラージクマールはそのまま生き埋めにされるが、それを救ったのがカースィムであった。ちょうどその頃、シヴラージとチャンダーの結婚式が行われていたが、そこへラージクマールが駆け付ける。シヴラージとラージクマールは死闘を繰り広げるが、ラージクマールが勝利を収める。ラージクマールはターカーをも殺し、チャンダーと結婚する。
しばらくアクション映画不毛の時代を迎えていたヒンディー語映画界にアクション映画を復権させたのはアーミル・カーン主演「Ghajini」(2008年)であったが、その流れを決定づけたのが翌年公開のプラブ・デーヴァ監督「Wanted」(2009年)であった。これらは南インド映画のリメイクであり、ヒンディー語映画界でアクション映画が再びトレンドとなった背景には、南インド映画界の刺激があったことは否めないだろう。だが、2010年の「Dabangg」は南インド映画のリメイクではなく、そこには他にも様々な潮流の合流が見られる。例えば1970年代から80年代に掛けてヒンディー語映画界で活躍したマンモーハン・デーサーイー監督のスタイルである。ただ、「Dabangg」以降も南インド映画のリメイクが続いていることから、やはり南インド映画の影響は甚大だったと評価せざるを得ない。
南インド映画の影響は何もリメイクに限られず、南インド映画界の監督がヒンディー語映画界に進出する動きも活発になっている。マニ・ラトナム監督やプリヤダルシャン監督は別格としても、例えば「Ghajini」のARムルガダース監督のヒンディー語映画第2作「Holiday」が公開間近となっており、今後も彼はヒンディー語映画の監督も務めることになりそうだ。だが、何と言ってもプラブ・デーヴァ監督の動きが最も顕著だ。やはりヒンディー語映画の予算や収益は、市場が限られる南インド映画に比べて非常に魅力的なのだろう。彼の最新作「R… Rajkumar」は、特定の南インド映画を原作としている訳ではないが、南インドのアクション映画のエッセンスを活用した作りとなっている。
かつてはアクションシーンにおいてタミル語映画やテルグ語映画に一日の長があった時代があった。だが、南北の人材交流が活発になる中、その差はほとんど解消されたと言っていい。「R… Rajkumar」のアクション映画は、南インド映画的ではあるものの、既にヒンディー語映画でもよく見るスタイルのものとなっており、目新しさはない。ダンスシーンにおいては未だに格差はあると言っていいだろう。純粋にダンスシーンだけを切り抜いて比較するならば、南インド映画のダンスのテクニックはあらゆる意味でヒンディー語映画に勝っている。しかし、ヒンディー語映画はダンスシーンやミュージカルシーンをよりストーリーに溶け込ませる努力をしており、そういう意味では先を行っていると評価してもいいのかもしれない。「R… Rajkumar」のダンスシーンは、「Gandi Baat」や「Kaddu Katega」など、単品では素晴らしいものが多かったが、ストーリーとの融和性という観点からは必ずしも自然なものではなかった。
「R… Rajkumar」の最大の弱点は、「Dabangg」にあった北インドらしさに欠けていたことだ。おそらく「Dabangg」を非常に意識して、北インドの架空の町を舞台にした映画を作りたかったのだろう。ケシの花の栽培が行われている町、ということなので、マディヤ・プラデーシュ州ニーマチがイメージに一番近いかもしれない。登場人物の名前からも北インドらしさが出ている。だが、インドを広く旅行している者の目からすると、風景などから一発でこれは北インドの景色ではないと分かってしまう。大部分はマハーラーシュトラ州で撮影されたようで、グジャラート州カッチ地方やバンコクなどでのロケシーンがあるが、北インドでのロケは行われていない。ロケ地というのは非常に重要で、特に北インドのストーリーを映画にしようと思ったら、北インドで撮影しなければ出ない味がある。少なくとも北インドの町や景色をセットで再現できるだけの経験がなくてはならない。「Dabangg」と比較した場合、「R… Rajkumar」からは正当な土の匂いがしなかった。
他の部分は平均的な娯楽映画だったと言えるのではなかろうか。アクション、ロマンス、ドラマなどが程よく散りばめられており、極度に悲しくなるようなシーンはなかった。興行的にもヒットとなったようだ。プラブデーヴァー監督は独自のスタイルを確立しており、彼の映画ならこういう感じだろうという安心感と共に観ることができるようになっている。彼がダンサーとしてカメオ出演するのもお約束となっており、毎回どんなステップを見せてくれるのか楽しみである。シャーヒド・カプールはヒンディー語映画ではダンスがうまい男優の一人であるが、彼が何とかプラブデーヴァーの人間離れしたダンスに付いて行っているのが見られるのも楽しい。ソーナークシーも悪くなかった。もはやプラブデーヴァー映画はひとつのブランドである。
「R… Rajkumar」は典型的なプラヴデーヴァ映画で、娯楽の王道を行っている爽快な作品だ。ヒンディー語映画としての観点から観ると弱い部分もあるのだが、古き良きインド映画の伝統を今に伝える作品として価値がある。