Satya 2

2.5
Satya 2
「Satya 2」

 「インドのクエンティン・タランティーノ」と呼ばれたラーム・ゴーパール・ヴァルマー監督の出世作のひとつに、1980年代のボンベイが舞台のギャング映画「Satya」(1998年)がある。警察がマフィア一掃のためにエンカウンターを始めた頃の物語で、写実的な描写や緊迫感あるストーリー展開に定評がある。ヴァルマー監督はその後も「Company」(2002年)や「D」(2005年)など、一連のギャング映画を撮り続けた。

 アラブ首長国連邦(UAE)で2013年10月8日に公開され、本国インドでは少し遅れて同年11月8日に公開された「Satya 2」は、一見すると15年前に作られた「Satya」の続編に見えるが、実際は独立したストーリーの映画である。ただ、「Satya」とかなり筋が似ており、ヴァルマー監督によるアレンジ入りのセルフリメイクと呼ぶのがふさわしいだろう。

 キャストにはほとんど知名度のある俳優が起用されておらず、主演のプニート・スィン・ラトンとアナーイカーはどちらも新人である。他に、マヘーシュ・タークル、アムリトリヤーン、アンジャリ・グプター、ラージ・プレーミー、アマル・セヘラーワト、アショーク・サマールト、カウシャル・カプールなどが出演している。

 「Satya 2」はテルグ語版も同時製作されており、キャストが一部異なる。主演サティヤ役はプニートに代わってシャルワーナンドが演じており、脇役のラホーティー役もマヘーシュ・タークルからイーシュワル・ラーオに代わっている。鑑賞したのはヒンディー語版である。

 時は2013年。ムンバイーに一人の男が降り立った。名前をサティヤ(プニート・スィン・ラトン)といった。サティヤは友人ナーラー(アムリトリヤーン)の家に居候し始め、アンダーワールドとつながりを持つ建築業者ラホーティー(マヘーシュ・タークル)のために働くようになる。頭が切れたサティヤは、ラホーティーのライバルを次々に抹殺し、彼の絶大な信頼を得る。また、サティヤは故郷から恋人のチトラー(アナーイカー)を呼び寄せ、ラホーティーから宛がわれた豪邸で一緒に暮らし始める。

 サティヤはラホーティーと親しい実業家たちから資金を調達し、「カンパニー」という組織を立ち上げる。また、サティヤは警察から冷遇された元エンカウンター・スペシャリスト、ソロモン(アショーク・サマールト)を殺し屋として雇う。カンパニーは瞬く間にムンバイーのアンダーワールドを支配するようになる。

 警察はカンパニーを潰すため、引退した警察官プルショッタム(カウシャル・カプール)を呼び寄せる。プルショッタムは資金が急増した者を割り出し、ナーラーを拉致する。映画製作者を志望していたナーラーは、サティヤの口利きによってスポンサーを得ていた。だが、カンパニーのことは何も知らなかった。プルショッタムの息子アビジートはナーラーを拷問し、殺してしまう。それを知ったサティヤはアビジートを惨殺する。次にプルショッタムはラホーティーを殺す。サティヤはソロモンが裏切ったと直感し、彼を殺す。

 プルショッタムはナーラーの恋人スペシャル(アンジャリ・グプター)からサティヤに辿り着く。プルショッタムは彼の家を急襲するが、チトラーしかいなかった。そのときサティヤは州首相を暗殺していた。自宅に帰ってきたサティヤは待ち伏せを受けて捕まってしまう。このとき流れ弾に当たってチトラーは死ぬ。サティヤは牢屋の中で次の作戦を考える。

 サティヤという名の謎の男がボンベイ/ムンバイーに降り立つシーンから映画が始まる点では、この「Satya 2」は15年前の「Satya」と同じであるし、余所者のサティヤが明晰な頭脳を活用してボンベイ/ムンバイーのアンダーワールドで急速に台頭していく大まかな流れも共通している。しかしながら、異なる点も多く、全く別の物語として受け止めた方がいいだろう。

 「Satya」はヒンディー語映画史に残る傑作として記憶されている。当時のヴァルマー監督はキャリアの絶頂期であり、矢継ぎ早に時代を先取りした斬新な映画を送り出していた。だが、2000年代後半くらいから徐々に彼の才能に陰りが見え始め、駄作を連発するようになった。特に、伝説的な名作「Sholay」(1975年)を非公式にリメイクして物議を醸した「Ram Gopal Varma Ki Aag」(2007年)の大失敗あたりから衰退を強く感じるようになったと記憶している。もちろん、その後も光る作品はいくつか撮っているのだが、かつてのような新進気鋭さは感じなくなった。

 「Satya 2」も、ヴァルマー作品が不調の時代に作られた作品である。はっきりいって、「Satya」の足元にも及ばない出来だ。とても同じ監督が撮った映画だとは思えない。しかも、若い頃よりも年を取った頃の作品の方が劣っているのである。失敗の原因はいくつも挙げられるが、サティヤが無敵すぎるのがもっとも興ざめである。ヴァルマー監督のホラー映画と同じ傾向なのだが、BGMで観客の心を無理矢理コントロールしようとしている点も気に入らない。ストーリーの単調さをBGMで誤魔化そうとしているように感じてしまう。

 「Satya」でJDチャクラヴァルティーが演じたサティヤは決して陽気なキャラではなかったが、まだ味があった。だが、「Satya 2」のサティヤ役を演じたプニート・スィン・ラトンは、ほとんど演技らしい演技をしておらず、仏頂面で台詞を棒読みするだけだった。ヒロインのチトラーを演じたアナーイカーにしても潜在性に欠ける。なぜこの2人の新人俳優を抜擢したのか謎である。

 「Satya」ではサティヤの背景はほとんど明かされていなかったが、「Satya 2」では、チャッティースガル出身で、ナクサライトと関係があり、政府や警察などの「システム」に恨みを持つ人物というキャラクター分析があった。ただ、何がきっかけで彼がチャッティースガルからムンバイーに出て来たのかは分からずじまいだった。

 「Satya」は、警察によるマフィアのエンカウンターが始まった時代の物語だった。興味深いことに、2013年に公開されたこの「Satya 2」では、かつてエンカウンター・スペシャリストとしてもてはやされたベテラン警察官が、ムンバイーからマフィアが一掃された後、収賄の濡れ衣を着せられて見捨てられている様子が、ソロモンを通して描かれていた。おそらくモデルになっているのは、実在するエンカウンター・スペシャリスト、プラディープ・シャルマーであろう。プラディープは1983年から25年間で312人の犯罪者を射殺した警察官だったが、2008年に汚職の容疑で停職になった。

 「Satya 2」は、ラーム・ゴーパール・ヴァルマー監督の傑作「Satya」を思わせる題名であり、確かに「Satya」と似た筋書きの映画ではあるが、続編ではなく、「Satya」と比肩できるような出来でもない。「Satya 3」があることを匂わせるような終わり方だったが、興行的には大失敗に終わっており、その望みは薄い。無理して観るべき映画ではない。