インド映画史には歴史の転換点になった作品がいくつかあるが、20世紀と21世紀を分ける分水嶺的な作品として記憶されているのがヒンディー語映画「Lagaan」(2001年/邦題:ラガーン~クリケット風雲録)だ。アーシュトーシュ・ゴーワーリカル監督、アーミル・カーン主演のこの記念碑的傑作は、従来のインド映画界にあったジンクスを全て覆し、ブロックバスターヒットになった他、海外でも高く評価され、アカデミー賞外国語映画賞にもノミネートされた。
「Madness in the Desert」は、その「Lagaan」の製作過程を記録したドキュメンタリー映画である。監督はサティヤジート・バトカル。「Lagaan」のプロダクション・エグゼクティブを務めた人物で、映画の中ではナレーターとしても登場する。元々は弁護士で、映画とは全く関係ない人生を歩んでいたが、幼馴染みのアーミルから誘われ、弁護士の職を投げ打って「Lagaan」の製作チームに加わったという。
この映画には「Chale Chalo: The Lunacy of Film Making」という題名も付けられている。2013年8月10日、ロカルノ映画祭でプレミア上映された。Netflixでは「熱砂の記憶 -ラガーン撮影記-」という邦題と共に日本語字幕付きで配信されている。ちなみに、「Lagaan」本編も日本語字幕付きでNetflixで鑑賞できる。
「Lagaan」の大ヒットを知っている者の立場からこのドキュメンタリー映画を観ると、この映画に関わった人々は歴史的な偉業に参加していることが分かるのだが、製作中、当の本人たちにとっては、この映画が本当に完成するのか分からなかった。そんな緊張感や焦燥感がとてもよく伝わってくる映像であった。また、この映画の大部分はグジャラート州のブジで撮影された。当時、インド人でもブジがどこにあるのか分からないほどの僻地であった。そして、リアリティーを出すために、地元の人々を大量にエキストラとして起用していた。英領時代の映画であるため、英国から英国人俳優も呼んでいた。国籍や文化が異なる人々が辺境の地で長期間生活を共にしながら映画の撮影を行っていた。予算もスケジュールも予定通りには進まず、しかも後戻りは不可能になっていた。関わった人々はもはや報酬や時間、そして私生活などをそっちのけにして映画の完成までひたすら突っ走った。「Lagaan」チームの一体感や使命感、そして不屈の精神が伝わってくるドキュメンタリー映画だった。
「Lagaan」の撮影は通常のインド映画とは異なる部分もあったようだ。例えば、インドではフィルムシティーなどに造営されたセットで撮影を行うことが多いし、撮影期間も1ヶ月以上続くことは稀だ。だが、「Lagaan」では、ブジの郊外に伝統的な工法で作られた家が並ぶ村を作り、しかも半年以上の時間を掛けて撮影が行われた。
とはいえ、インド映画の製作過程をプレプロダクション段階から垣間見ることのできる貴重な映像資料にもなっている。例えばインド映画の製作には「ナレーション」という過程がある。映画の発案者が、プロデューサーや主演俳優など、映画の製作にあたって重要な人物の前でストーリーを口頭で聞かせるプロセスである。文書になった脚本もあるのだが、インド映画の世界において映画の企画を立ち上げる際に一番重要なのはこのナレーションだといわれており、この「Madness in the Desert」でもアーシュトーシュ・ゴーワーリカル監督がアーミル・カーンなどにナレーションをする場面が映されている。
また、「ムフールト」はさらに独特な習慣である。元々は「吉祥な時間」を示し、結婚式の儀式を執り行う際に重視される。映画製作において「ムフールト」とは、最初の1ショットを撮影することを指す。位置づけは野球の始球式に似ている。そのシーンを使うか使わないかは別にして、プージャー(祭祀)と共に儀式的に1シーンだけ撮影を行い、映画の成功を祈るのである。「Lagaan」のムフールトは、主人公ブヴァンの母親を演じたスハースィニー・ムレーが割れた地面の上に立って空を仰ぎ見るシーンだった。その場にはアーミルの父親や叔父、そして音楽監督ARレヘマーンの姿もあった。ムフールトは「Om Shanti Om」(2007年/邦題:恋する輪廻 オーム・シャンティ・オーム)など、映画界の舞台裏を題材にした映画でも時々出て来るが、生のムフールトが見られるのは貴重である。
「Madness in the Desert」では、「Lagaan」の製作過程で数々の危機に見舞われたことが語られているが、もっとも熱を込めて取り上げられていたのが、1万人の村人たちを使って撮った、クリケットの試合のシーンだ。試合シーンは1ヶ月に渡って撮られたようだが、1万人の村人を使ったシーンの撮影は初期の内に行われた。試合シーンの撮影期間中は常時、2~3千人の村人たちをエキストラとして呼んでいたようだが、群衆を映し出す必要のあるシーンを撮るために1万人の村人が必要だった。さすがにそれだけの数の村人を集めるのは困難を極め、果たして本当に撮影当日に現場に現れるかも不安だったが、ちゃんと来てくれたようだ。ただ、この映画は時代的であるため、現代的な服装では撮れない。撮影スタッフはそれもちゃんと織り込み済みで、数千人分の衣装も用意しており、ジーンズなどで来てしまった村人を着替えさせて対応した。そのような大変な過程を経て、「Lagaan」の名シーンのひとつに数えられる群衆シーンが撮られたのである。
やはり撮影中、英国人俳優たちは次々に体調を崩したようだ。だが、彼らも元々、過酷な撮影になることを承知してこのプロジェクトに参加しており、非常に忍耐強く撮影に臨んでいた。また、クリケットの経験者を意図的に集めたとも明かされていた。撮影の合間には、インド人チームと英国人チームの間でクリケットの試合も行われ、親交が深められたという。ちなみに、「Lagaan」ではインド人チームが勝つが、この試合では英国人チームが勝ったらしい。
「Lagaan」の助監督には、後に有能な監督として知られることになる人物が多数名を連ねている。まずはキラン・ラーオ。「Dhobi Ghat」(2011年)の監督だ。後にアーミルと結婚するが、このときアーミルの妻はリーナー・ダッターで、彼女は映画のプロデューサーでもあった。「Lagaan」のセットでアーミルとキランは恋仲になったようで、実はこの辺りも深掘りすると面白いエピソードが出て来ると思うのだが、「Madness in the Desert」の中ではほとんど触れられていなかった。また、「Shootout at Lokhandwala」(2007年)などで知られるアプールヴァ・ラーキヤー監督や「Talaash」(2012年)のリーマー・カーグティー監督も「Lagaan」の助監督だった。
インド映画の金字塔「Lagaan」は全ての人が必ず観るべき映画であるが、「Lagaan」と併せてこの「Madness in the Desert」も観ると、どれほどの情熱でこの映画が作られたのかがよく分かって面白い。また、インド映画の独特な製作過程を少し垣間見ることができるのも興味深い。