2010年7月16日には3本の新作ヒンディー語が一挙に公開された。どれもそれぞれ面白そうな映画であるため、全てを観ることを計画していた。「Lamhaa」(2010年)は既に金曜日に見たが、日曜日に残りの2作「Udaan」と「Tere Bin Laden」を続けて観ることにした。映画の梯子は、2つのマルチプレックスが隣り合わせになっているサーケート・プレイスが最近のデリーでは便利だ。と言っても、サーケート・プレイスのモール、DTスターで2本とも観ることになったが。
まず鑑賞したのは「Udaan」。2010年カンヌ国際映画祭の「ある視点」部門にインド映画として初めて出品された作品である。監督はヴィクラマーディティヤ・モートワーニー。アヌラーグ・カシヤプと共に「Dev. D」(2009年)の脚本を書いた人物で、本作が監督デビュー作となる。また、アヌラーグ・カシヤプがサンジャイ・スィンやロニー・スクリューワーラーと共にプロデューサーを務めている。音楽と歌詞も、「Dev. D」で注目を集めたアミト・トリヴェーディーとアミターブ・バッターチャーリヤのコンビが担当。よって、「Udaan」は「Dev. D」チームの新作と言える。
監督:ヴィクラマーディティヤ・モートワーニー(新人)
制作:サンジャイ・スィン、アヌラーグ・カシヤプ、ロニー・スクリューワーラー
音楽:アミト・トリヴェーディー
歌詞:アミターブ・バッターチャリヤ
衣装:ゴーピカー・マルカン
出演:ラジャト・バルメーチャー(新人)、ローニト・ロイ、アーリヤン・ボーラーディヤー、ラーム・カプール、マンジョート・スィン、アーナンド・ティワーリー、スマント・マストカル、ラージャー・フーダー、ヴァルン・ケッティー、シャウナク・セーングプター、アクシャイ・サチデーヴ
備考:DTスター・サーケートで鑑賞。
シムラーの名門ボーディングスクール(全寮制学校)に8年間通っていたローハン(ラジャト・バルメーチャー)は、深夜寮を抜け出して映画を観に行ったことが寮長のラートールにばれ、3人の仲良し仲間と共に放校処分となってしまう。ローハンは故郷であるジャールカンド州ジャムシェードプルに戻る。 父親のバイラヴ(ローニト・ロイ)は厳格な人物で、ローハンは父を恐れ嫌っていた。特に、ボーディングスクールに通っていた8年間、一度も会いに来てくれなかったことを不満に思っていた。母親はずっと前に亡くなっていた。家に戻ると、ローハンは自分の部屋に見知らぬ少年がいることに気付く。父親の再婚相手の子供、アルジュン(アーリヤン・ボーラーディヤー)で、まだ6歳だった。だが、アルジュンも父のことを恐れて暮らしていた。体罰も頻繁に受けていた。 ローハンは作家になることを夢見ていたが、バイラヴはそれを許さなかった。バイラヴは鉄工所を経営しており、ローハンにも同じ仕事を強制的にさせようとしていた。ローハンは、早朝父とジョギングし、午前中は鉄工所で働き、午後は工科大学で勉強をするという暮らしをさせられることになる。だが、ローハンは夜中家を抜け出して、父の自動車を勝手に運転し、町に繰り出して、酒を飲んだりタバコを吸ったりしていた。工科大学の先輩で、同じく夜遊びをしていたアップー(アーナンド・ティワーリー)のグループと仲良くなり、夜な夜なジャムシェードプルを遊び歩くようになる。 バイラヴの弟ジミー(ラーム・カプール)はローハンの良き理解者だった。作家になりたいと言うローハンを影で応援した。だが、バイラヴは決してローハンの詩作を認めようとしなかった。ローハンは大学にも行かなくなり、鉄工所での仕事を終えた後は河畔の草むらに寝転んで詩作に励んでいた。 大学の成績が発表された。当然のことながらローハンは落第であった。家に帰ると、バイラヴが意識不明のアルジュンを病院へ連れて行くところだった。ローハンも同伴する。バイラヴは、アルジュンが階段から落ちたと言うが、実際は学校で友達に重傷を負わせて追い出されたアルジュンに酷い体罰を加えたことが原因だった。だが、この入院をきっかけにローハンとアルジュンは心を通い合わせるようになる。また、ローハンが作ってアルジュンに語り聞かせた物語は病院でも評判になる。それでも、バイラヴはローハンの文才を認めなかった。しかもローハンの落第がばれてしまう。ローハンは鉄工所で朝から晩まで働かされることになってしまった。また、アルジュンはボーディングスクールに送られることになる。 さらに、バイラヴは再々婚をし、家にはマードゥリーという女性と、その娘が住み始める。もはや居場所を失ったローハンは、自暴自棄になって父の自動車をボコボコに破壊し、警察に逮捕される。釈放された後、ローハンは家出をすることを決意する。ムンバイーで、ボーディングスクール時代の親友たちがレストランを開いていたため、彼もムンバイーへ行こうとしていた。最初は単身旅立とうとしたが、ジミーおじさんの家に1泊して考え直し、アルジュンも連れて行くことにする。バイラヴがいない隙にローハンはアルジュンを連れ出し、共に旅立つ。
題名「Udaan」は「飛翔」を意味する。作家志望の少年が、暴力的父親の支配から抜け出して、夢に向かって飛翔するという筋書きであった。おそらく物語の核心は、ローハンとアップーの会話の中にあるだろう。インドの地方中小都市に生まれ育った若者は、大きくなったら「ファミリービジネス」への参加を義務づけられており、「ドリームビジネス」は許されていない。夢を実現するための努力をするチャンスが与えられないばかりか、夢を見ることすら禁止されている。そんな現状を描き、主人公をそこから「飛翔」させることで、映画をまとめている。
「飛翔」をしたことはいいのだが、はっきり言ってそれはあまり解決策になっていない。「飛翔」と表現すれば聞こえはいいが、父親から逃げ出しただけで、勇気ある一歩を踏み出したとは必ずしも言えない。通常のインド映画の文法に則るならば、父親の改心があって円満な「飛翔」があるはずだが、父親は最後まで暴力を改めず、全てが解決されずに終わってしまっており、そこが引っかかった。
映画全体には、主人公ローハンとその腹違いの弟アルジュンの、愛情への渇望感が渦巻いている。ローハンもアルジュンも幼くして母親を失っており、母親への憧れが強い。それに加えて父親は全く愛情のない冷血漢である。この二人の様子を見ていると、こちらまで愛情の喉が渇いてくるほどだ。この渇望感も、結局最後まで満たされることはない。一応ローハンとアルジュンの間で心のつながりができるのだが、それも被害者の連帯感みたいなもので、母性愛のような無償の愛情とはほど遠い。優しいジミーおじさん夫婦の存在も、二人にとって助けになり得たのだが結局それは不発で終わってしまう。このように映画の中に解決がないために、観客は心を完全に飛翔させ切れずに映画館を出ることになってしまう。リアリズム映画と表現すればいいのだろうが、この観客を突き放したストーリーは、どこかインド離れした作品だと感じた。
しかしストーリーテーリングはうまかったし、俳優の演技もしっかりしていた。脚本の行き場のなさを除けば、とても完成度の高い映画で、監督の確かな才能を感じさせられた。ローハン役のラジャト・バルメーチャー、バイラヴ役のローニト・ロイ、アルジュン役のアーリヤン・ボーラーディヤー、ジミー役のラーム・カプールなど、新人またはメリンストリーム映画であまり見ない顔ぶれの俳優陣であるが、皆とてもリアルな演技をしていた。
「Dev. D」の音楽を担当して奇才を発揮したアミト・トリヴェーディーは、今回は抑え気味の作曲をしている。作家を目指す主人公を反映して、とても詩的な歌詞の曲もいくつかあり、映画の雰囲気を盛り上げていた。
この映画の大きな特徴は、ジャールカンド州ジャムシェードプルでロケが行われたという点であろう。20世紀初頭にジャムシェードジー・ターター率いるターター鉄鋼によって創設された「鉄の町」ジャムシェードプルは、東インドを代表する工業都市であり、ヒンディー語圏の都市でもあるが、ヒンディー語映画の舞台となることは稀である。劇中、ローハンとバイラヴは早朝ジャムシェードプルをジョギングするが、その中でジャムシェードプルの風景や名所がいくつか映し出され、何となく町の雰囲気をイメージすることができる。
台詞はほとんどヒンディー語であるが、舞台がジャムシェードプルであることを踏まえて、文法性がほとんど消滅した形の訛ったヒンディー語が話される。だが、ただ文法性がないだけなので、理解の支障にはならないだろう。
「Udaan」は、完全に映画祭向けの、暗めの映画である。エンディングで多少の救いが用意されているが、それまでは徹底的に悲壮感溢れる展開となっており、通常の娯楽映画にあるような、映画館を出るときの爽快感はほとんど期待できない。メッセージも曖昧である。よっぽど芸術映画が好きでなければ、無理して観なくてもいい作品である。