Tum Milo Toh Sahi

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Tum Milo Toh Sahi
「Tum Milo Toh Sahi」

 最近は週に公開される映画が多すぎて付いて行けない。この時期公開される映画は駄作や訳あり作品が多いので、全てを観る必要もない。どうしても映画が観たかったら、監督やキャストなどを見て慎重に選び、時間に余裕があれば観に行けばいい。ただ、普段は映画祭などでしか公開されないような芸術映画も公開されるため、チェックするに越したことはない。2010年4月2日の週は「Sadiyaan」(2010年)を観て失敗したのだが、もう一本、「Tum Milo Toh Sahi」を観ることにした。

監督:カビール・サダーナンド
制作:ニキル・パンチャーミヤー
音楽:サンデーシュ・シャーンディリヤ
歌詞:イルシャード・カーミル
出演:ナーナー・パーテーカル、ディンプル・カパーリヤー、スニール・シェッティー、ヴィディヤー・マールヴァデー、リハーン・カーン、アンジャナー・スカーニー、モホニーシュ・ベヘル、ヴラジェーシュ・ヒールジー、アミト・ベヘル、スミター・ジャヤーカル(特別出演)、タニーシャー(特別出演)、ラーガヴ・サーチャル(特別出演)
備考:サティヤム・シネプレックス・ネループレイスで鑑賞。

 舞台はムンバイーのラッキー・カフェ。ディルシャード・ナーンジー(ディンプル・カパーリヤー)経営のラッキー・カフェは、周辺の学生やサラリーマンに人気であった。

 多国籍企業のブルーベルは、喫茶店チェーンを立ち上げることにし、ラッキー・カフェのロケーションに注目する。ラッキー・カフェを買収してこの位置にブルーベル・カフェの本店を置くことが計画され、アミト・ナーグパール(スニール・シェッティー)が担当者となる。

 実はアミトはラッキー・カフェのことをよく知っていた。妻のアニーター(ヴィディヤー・マールヴァデー)と出会ったのもこのカフェであった。アミトはディルシャードに買収の相談に行くが、ラッキー・カフェを生き甲斐としていたディルシャードは絶対に首を縦に振らなかった。アミトとアニーターの夫婦仲は元々よくなく、この件をきっかけに別居状態となってしまう。アミトは意地でもラッキー・カフェを手に入れるため、あれこれ手を尽くす。その中で、ラッキー・カフェの建物の所有権がディルシャードにないことを発見する。アミトと弁護士(モーニーシュ・ベヘル)は裁判所から立ち退き命令を取り、ディルシャードに立ち退きを要求する。

 一方、弁護士事務所に勤務していた頑固一徹のタミル人スブラマニヤム(ナーナー・パーテーカル)は無理矢理定年退職させられてしまう。偶然のきっかけからスブラマニヤムはディルシャードと出会い、ラッキー・カフェに出入りするようになる。ラッキー・カフェが直面している問題を知ったことで、スブラマニヤムはディルシャードを法的に手助けし始める。ところが、ディルシャードは何か秘密を抱えており、スブラマニヤムにも話そうとしなかった。

 ラッキー・カフェにはたくさんの学生が出入りしていたが、その中でもシャーリニー・カスベーカル(アンジャナー・スカーニー)はリーダー格であった。また、陸軍入隊前に大学に一時的に入学するためにデヘラー・ドゥーンからムンバイーにやって来ていたビクラムジート・スィン(リハーン・カーン)は、スブラマニヤムの家に下宿しており、ラッキー・カフェにも出入りしていた。ビクラムジートはシャーリニーに密かに恋をしていたが、シャーリニーはミュージシャンのラーガヴ・サーチャル(本人)と付き合っている様子であった。ビクラムジートは恋を諦めて故郷に帰ろうとするが、スブラマニヤムに勇気付けられ、ムンバイーに留まる。そのときにラッキー・カフェの問題が発生したため、彼はカフェをヘリテージに登録し、ブルーベルの買収に対抗することを発案する。シャーリニーはラーガヴにも助けを求めるが、彼は乗り気ではなかった。シャーリニーはラーガヴと絶交し、学生たちで運動を進めることにする。しかし、アミトはヘリテージ委員会を買収し、カフェのヘリテージ化を防ぐ。

 とうとうラッキー・カフェを巡って裁判が行われることになった。その中で、ラッキー・カフェの建物の元々の所有者イーラーニー氏の遺言が焦点となる。ディルシャード自身は、そんなものは存在しないと主張するが、スブラマニヤムはそれを見つけて来て提示する。実はイーラーニー氏とディルシャードは内縁状態にあり、ディルシャードの娘もイーラーニー氏との間に出来た子供であった。遺言には、ラッキー・カフェの建物の所有権をディルシャードに譲ることも書かれていた。遺言が存在したことで裁判するまでもなくディルシャードの勝利となり、ラッキー・カフェはそのまま残ることになった。また、裁判中にアミトは自分の不正を告白して謝罪したため、それをきっかけとしてアニーターと仲直りすることになった。ビクラムジートは陸軍に入隊して、軍服を着てラッキー・カフェに戻って来た。

 3組の異世代のカップルを通して、ラッキー・カフェを巡る騒動の顛末を描いたオムニバス形式の映画。それぞれのストーリーや登場人物は相互に密接に関連し合っており、全体としてひとつのまとまったストーリーになっていた。そしてそれぞれのストーリーはそれぞれの世代の抱える代表的な問題に取り組んでいた。すなわち、もっとも若いビクラムジートとシャーリニーのカップルは恋愛を、30代~40代のアミトとアニーターの夫婦は、愛と責任の葛藤を、そして60代前後のスブラマニヤムとディルシャードは、独り身の老人同士の精神的つながりを描いていた。

 その中でも映画のハイライトはスブラマニヤムとディルシャードのストーリーである。死んだ母親を今でも敬い、孤独で頑なな人生を送るスブラマニヤム。地元で人気のラッキー・カフェを経営し、人々の心の拠り所となっているディルシャード。正反対な性格の二人であり、出会いも争いから始まったのだが、徐々にお互い近付いて行く。いざラッキー・カフェに危機が訪れたときには、スブラマニヤムは全力でディルシャードを援護する。それでも彼女は、最後の秘密を打ち明けなかった。そこでスブラマニヤムは裁判の場を使ってディルシャードの心をこじ開け、結果的にラッキー・カフェを救ったのであった。ディルシャードと娘の関係が説明不足な気もしたが、スブラマニヤムとディルシャードの関係は、ナーナー・パーテーカルとディンプル・カパーリヤーの好演もあり、とても味わい深く描かれていて良かった。

 それ以外の2組のカップルについてはちぐはぐな面が目立った。アミトを演じたスニール・シェッティーはハッスルし過ぎの演技であった。まるでどう猛な獣のように終始鼻息が荒く、挙動不審であった。アニーターを演じた「チャク・デー・ガール」のヴィディヤー・マールヴァデーは、なぜか老けた役を演じさせられることが多い。「Kidnap」(2008年)でもミニーシャー・ラーンバーの母親役を演じていて驚いた。「Tum Milo Toh Sahi」で演じたのも6、7歳の子供の母親役であるが、まだ彼女に母親の貫禄がないためにどうしても説得力に欠ける。一応もう30歳のようであるが、まだ母親俳優を目指すには早すぎるだろう。

 この二人のストーリーでは、子供のアンクルを巡る二人の態度が問題になっていた。アミトは仕事が多忙すぎてアンクルに無関心で、アンクルは彼を恐れていた。一方、アニーターは常にアンクルのことを心配しており、彼女が口にする話題もそのことだけで、それが夫婦の不仲の原因となっていた。しかし、アンクル自身にあまり焦点が当てられておらず、彼がストレスで入院してしまったシーンなどは唐突な印象を受けた。アミトとアニーターの仲直りも短絡的過ぎる描写だったように感じた。

 ビクラムジートを演じたリハーン・カーンはテレビ番組で歌手として発掘された人物のようだ。ビクラムジートは、軍人の息子として育ち、陸軍入隊前に一般国民がどんな人々なのかを知るために大学に入学するという変わった設定であった。一方、シャーリニーはモデルをしたり歌手をしたりと多忙な大学生活を送る女子大生である。演じたのは「Golmaal Returns」(2008年)などに出演していたアンジャナー・スカーニー。アーイシャー・ターキヤーに少し似た女優である。しかしこの2人のロマンスもかなりお粗末であった。ビクラムジートはシャーリニーに恋していたのだが、シャーリニーはなぜか有名歌手ラーガヴ・サーチャルと付き合っていることになっていた。ビクラムジートは一旦この恋を諦めるのだが、シャーリニーがラーガヴに振られたことでチャンスを感じる。しかし、特に自分から行動を起こしたりはしない。シャーリニーは、ビクラムジートの部屋で自分が映った写真がたくさんあるのを見て、初めて彼の気持ちを理解する。非常に受動的な恋愛であり、物語として弱かった。

 この映画の中に何かメッセージがあるとしたら、それは古いもの、文化や伝統、そして年配の人を敬うべきだということである。ラッキー・カフェのような古い建築物を保護することの大切さ、欧米式のものを無批判でありがたがって受け容れることへの批判、そして目上の人を敬う気持ちを決して忘れてはならないことなど、特にスブラマニヤムの口を通して、主張されていた。

 音楽はサンデーシュ・シャーンディリヤ。一流の音楽監督にはおそらく数えられていない人物であり、彼のディスコグラフィーを見てもあまりパッとしない。「Tum Milo Toh Sahi」でも特に目立つ曲はなかった。無理にインド映画のフォーマットに当てはめてダンスシーンを挿入しているところがあり、映画の質を落としていた。安易な気持ちでダンスシーンを入れるよりは、いっそのこと削ってしまった方が作品としてはまとまりやすい。

 わざとなのか知らないが、変なヒンディー語を話す登場人物が多かった。ディルシャードはパールスィーという設定で、グジャラーティー語を混ぜながら片言のヒンディー語をしゃべっていたし、タミル人という設定のスブラマニヤムは、やはりタミル語を織り交ぜつつ、さらに片言のヒンディー語を話していた。ビクラムジートのヒンディー語もあまりうまくなかった。よって、台詞の細かい部分を聴き取るのが困難であった。

 「Tum Milo Toh Sahi」は、ナーナー・パーテーカルとディンプル・カパーリヤーの部分のストーリーと演技だけは称賛できる。他の部分はただのオマケである。娯楽映画としてはもとより、映画祭向け映画として観ても、マルチプレックス映画として観ても、それぞれに中途半端である。無理に観なくてもいい作品だろう。


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