毎週のように新作が公開されるヒンディー語映画。1年には52週ある訳だが、期待作が公開されるタイミングはある程度決まっている。それは祝祭シーズンであったり、まとまった連休を含む週であったりする。1年の最初の期待作公開のタイミングは、1月26日の共和国記念日前後の週である。記憶に新しいところでは、「Rang De Basanti」(2006年)がこのタイミングで公開されて、その年の映画業界快進撃に弾みを付けた。今年は、人気男優サルマーン・カーンが自らストーリーを書き起こし主演も務めたエピックドラマ「Veer」が共和国記念日週の2010年1月22日に公開映画となった。予告編を見る限り、19世紀のインドを舞台にした壮大なスケールの映画で、こういう映画は「Jodhaa Akbar」(2008年)以来久々であった。監督は、大ヒットエピックドラマ「Gadar: Ek Prem Katha」(2001年)を撮ったアニル・シャルマー。サルマーンの恋人で人気女優カトリーナ・カイフにそっくりの女優がデビューすることでも話題であった。
「Veer」はピンダーリーに属する架空の英雄を主人公にした映画である。ピンダーリーとは、18~19世紀に、パターン族やジャート族など尚武の部族によって形成された武装集団で、当時デカン高原から北インドまでを支配下に置いていたマラーター同盟と組んだり離れたりしながら、インド亜大陸を次々と植民地化して行く英国と戦った。ピンダーリーが猛威を振るったのはマールワー地方(現在のマディヤ・プラデーシュ州南西部)が中心であるが、「Veer」ではラージャスターン州が主な舞台となっており、英国と手を結んだラージプートとの敵対関係がストーリーのひとつの主軸となっていた。
監督:アニル・シャルマー
制作:ヴィジャイ・ガラーニー
原作:サルマーン・カーン
音楽:サージド・ワージド
歌詞:グルザール
振付:レーカー&チーニー・プラカーシュ、ロリポップ
アクション:ティーヌー・ヴァルマー
衣装:アンナ・スィン
出演:サルマーン・カーン、ミトゥン・チャクラボルティー、ジャッキー・シュロフ、ニーナー・グプター、ソハイル・カーン、ザリーン・カーン(新人)、バラト・ダボールカル、シャーバーズ・カーン、ラージェーシュ・ヴィヴェーク、ヨーゲーシュ・スーリー、アショーク・サマルト、ヴィナイ・アプテー、プル・ラージクマール、スリーンダル・スィン、リサ・ラザルス(新人)、ティム・ローレンス、ウィリアム・チャブ、ギーター・ソト、ロイ・ブランシートなど
備考:サティヤム・シネプレックス・ネループレイスで鑑賞、ほぼ満席。
ピンダーリーの部族長プリトヴィー・スィン(ミトゥン・チャクラボルティー)は、かつてマーダヴガルを支配するラージプートの王(ジャッキー・シュロフ)と協力して敵対ラージプートを撃破したことがあった。だが、マーダヴガルの王は密かに英国と手を結んでおり、戦争に勝利した後、今度はピンダーリーを攻撃し始めた。プリトヴィーはマーダヴガルの王の右腕を切り落とし、一矢を報いるが、その奇襲によって4,000人のピンダーリーが犬死にしてしまった。退却したプリトヴィー・スィンは他のピンダーリーの部族長たちの前で、マーダヴガルの王に復讐し、英国人を皆殺しにすることを誓う。ピンダーリーの言葉は絶対であった。
その頃、プリトヴィーの妻マングラー(ニーナー・グプター)は男児を産む。その子はヴィールと名付けられ、戦士として育てられる。二人の間には次男パンニャーも生まれる。
成長したヴィール(サルマーン・カーン)とパンニャー(ソハイル・カーン)はあるとき列車強盗に乗り出す。その列車には王族用車両が連結していた。その車両に躍り込んだヴィールは、そこでヤショーダラー(ザリーン・カーン)と出会う。ヴィールは一度ヤショーダラーからブローチを奪うが、そのブローチが死んだ母親の唯一の形見であることを知り、わざわざそれを彼女に返しに行く。以来ヴィールはヤショーダラーのことばかりを考えるようになった。
プリトヴィーは、英国人に復讐するためには英国人を熟知することが必須だと考え、ヴィールとパンニャーを英国ロンドンに留学させる。折りしも英国政府は植民地の原住民に英国式教育を施す政策を実行していた。ヴィールとパンニャーはロンドンの大学で学び始める。偶然そこにはヤショーダラーも兄のクンワル・ガンジェーンドラ・スィン(プル・ラージクマール)と共に留学していた。ヴィールはヤショーダラーに近付き、ヤショーダラーもヴィールを気にするようになるが、ヴィールは彼女がマーダヴガルの王の娘であることを知り、自分がピンダーリーであることを明かす。ガジェーンドラも、ヴィールとパンニャーが父親の宿敵ピンダーリーであることに勘付き、彼らを殺そうとするが、ヴィールによって殺されてしまう。ヴィールは、必ずマーダヴガルに行くとヤショーダラーに約束して去って行く。
ヴィールとパンニャーはインドに戻って来た。一方、マーダヴガルの王は、息子を失ってしまったために、ヤショーダラーを後継者に指名し、彼女の花婿捜しをすることにした。王は、各地の王子を呼んで、もっとも武勇に優れた者が花嫁を勝ち取るスワヤンヴァルの儀式を行うことを決める。同時に、息子を殺したヴィールを殺すため、英国と共にピンダーリー殲滅作戦を着々と進めていた。
ヴィールとパンニャーは身分を偽ってマーダヴガルの王に近付き、王城に滞在する。そこでヴィールはヤショーダラーと再会する。ヤショーダラーは、マーダヴガルの支配者としての義務感からヴィールを殺そうとするが、彼に対する愛情を抑え込むことができず、それは果たせなかった。しかし、王にヴィールの素性を明かすこともできなかった。ヴィールは、彼女が王の前で自分の名前を呼んだときに彼女と結婚すると宣言する。一方、ヴィールは王にピンダーリーについてのガセ情報を流し、マーダヴガルの兵隊と英国人の連合軍を遠くに陽動する。その間、ピンダーリーを結集させ、マーダヴガルを取り囲ませる。
マーダヴガルではスワヤンヴァルの儀式が行われようとしていた。英国からは王の友人であるフレーザー(ティム・ルーレンス)やスティーヴ(ウィリアム・チャブ)が見物に来ていた。スワヤンヴァルでは、英国から連れて来た怪力のライノ(ロイ・ブランシート)と決闘して勝った者がヤショーダラーと結婚することができるというルールであった。しかし、ライノの恐ろしげな容姿を見て、出席した王子たちは皆すくみ上がってしまう。そこへ、ヴィールが飛び込んで来る。ヴィールはライノと決闘し、わざと負けそうになる。それを見ていたヤショーダラーは耐えきれずに公衆の面前で「ヴィール!」と叫んでしまう。それを聞いたヴィールは一気に反撃し、ライノをひねり殺す。
ライノを破った勇士が、息子を殺したヴィールであることを知った王はまずヴィールに恋してしまったヤショーダラーを殺そうとするがヴィールに止められる。次にヴィールを殺そうとするが、そのとき既に城はピンダーリーの大軍によって取り囲まれていた。パンニャーは隙を見て城の大砲を無効化しており、逃げ道も塞いでいた。形勢不利を見た英国人は急にピンダーリーの肩を持つようになり、ヴィールに虐殺を回避して英国人を脱出させることを交渉し始める。
その夜、ヴィールはプリトヴィーらピンダーリーの部族長たちと会見し、マーダヴガルのラージプートを殺さず、英国人を逃がすかどうかを相談する。復讐に燃える部族長たちは皆殺しにすることを主張する。だが、ヴィールは復讐よりもさらに大きなことを考えていた。それはインドの独立であった。今ラージプートと英国人を殺しても何も変わらない。だが、ここで敢えて寛大な態度を取ることで、インドの人々に結束の必要性を伝え、英国人をインドから追い出す大きな戦いを戦う基盤を作ることができるというのがヴィールの考えであった。しかし、それを実行するにはプリトヴィーの命が必要だった。なぜならプリトヴィーは以前、マーダヴガルの王と英国人を殺すことを誓っていたからである。誓いに背く者には死あるのみというのがピンダーリーの掟であった。結果として、ヴィールとプリトヴィーが翌朝一騎打ちし、勝った者がピンダーリーの次の行動を決めることになった。
父親との決闘の前にヴィールは一旦城に戻って結婚したばかりのヤショーダラーと一夜を過ごす。翌朝、ヴィールとプリトヴィーは城下で決闘を始める。だが、マーダヴガルの王は密かに大砲を直しており、決闘中の二人に銃弾を撃ち込む。その銃弾はヴィールの右胸を貫く。その卑怯な行為に怒ったピンダーリーは城に突入する。王の臣下のラージプートも裏切りを潔しとせず、王に反旗を翻す。混乱の内に英国人たちは殺され、マーダヴガル王もプリトヴィーらに殺害される。ヴィールは、マーダヴガル城にピンダーリーの旗がなびくのを見届け、ヤショーダラーに見守られながら息を引き取る。
それからかなりの月日が過ぎ去った。プリトヴィーには孫が生まれており、ヴィール(サルマーン・カーン)と名付けられ、立派な若者に成長していた。ヴィールは祖父プリトヴィーと相撲をして噴水の中に落とす。それは父親のヴィールが遂に果たせなかったことで、プリトヴィーが待ち望んでいたことであった。
歴史的出来事にルーズに乗っかりながら、壮大なスケールの英雄譚を作ろうという意気込みは十分に伝わって来た。なるべくCGを使わず、雰囲気たっぷりのロケ地での撮影と伝統的な人海戦術によって豪華な映像を実現しようとする努力も十分に感じられた。しかし、時代考証、セット、衣装、編集などに甘さが目立ち、19世紀のストーリーとして説得力のある映像になっていなかったのは残念だった。特にロンドンのシーンは何もかもが蛇足に思えた。もっとインドに特化したストーリーにしていれば、まとまった映画になっていただろう。
ストーリーの主軸は復讐というアクション映画の定番であり、暴力に満ちていた。しかし、映画の真のメッセージは、インドの国家としての結束の重要性である。なぜインドは英国の植民地になってしまったのか?英国留学をしたヴィールにはその理由が分かって来た。インドの人々は部族、宗教、言語、地域などのコミュニティーに分かれてお互いに争い合っているからである。ヴィールは部族を越えた国家という共同体を考えるようになり、それがクライマックスにおける彼の行動につながっていた。そういう意味では、インドが連邦国家として第一歩を踏み始めたことを記念する共和国記念日に公開されるにふさわしいテーマの映画であった。
なにかとインド独立の功労者として名前が挙がるのはマハートマー・ガーンディーであり、彼の実践した非暴力・不服従の哲学であるが、「Veer」はむしろ武力によって独立を勝ち取ることを美化した作品になっていた。しかし、その根底にあるのは正義と勇気であり、さらに言えば、目的ある死、殉死で、非暴力・不服従と遠くはない。そのテーマがよく表されていたのが、ヴィールとヤショーダラーがそれぞれ選ぶことになった父親との戦いである。ヴィールは、部族の復讐という小さな目的のためよりも国の独立という大きな目的のために父親プリトヴィーとの決闘に挑むことになる。父親を殺すことは大きな罪であるが、正義のために避けられないなら、それから逃げることはできない。プリトヴィーもプリトヴィーで、一度誓ったことを反故にすることはできないというピンダーリーの掟に従い、息子と戦わざるをえなくなる。どちらが死んでもそれは意義ある死であり、殉死であった。この決闘は結果的にマーダヴガルの王の横槍が入ったおかげで自然消滅となる。一方、ヤショーダラーは父親と恋人を選ぶ選択肢を突き付けられる。ヴィールは父親の宿敵であり兄の仇である。だが同時に恋人であった。ヴィールと父親の両立は不可能であり、二択を迫られる。どうすればいいのか、そう問い掛けられたヴィールは、結論を急ぐことはない、と答える。どちらに正義があるか、それは時間が教えてくれるとも付け加えた。父親は、ヴィールがスワヤンヴァルに勝った後にヤショーダラーを殺そうとし、さらにはプリトヴィーと決闘中のヴィールを銃撃して卑怯さを露呈し、自ら正義を失ってしまった。そのおかげでヤショーダラーはその過酷な二択を克服することができたのであった。
サルマーン・カーンが自ら執筆し、長いこと温めてきたストーリーであるため、必然的にサルマーン・カーン中心の映画になっていた。演技も踊りもいつも通りのサルマーンで、自慢の肉体も存分に披露していた。馬を駆ってのアクションシーンはかなり様になっており、「Wanted」(2009年)に続いてアクションヒーローとしてのカリスマ性を再確認できた。
ヒロインのザリーン・カーンは初々しい演技で役にとてもフィットしていた。だが、彼女がカトリーナ・カイフ似であるのは紛れもない事実だ。サルマーン・カーンは自分の恋人に似た女優を捜し出して来て自分の主演作の共演に据えるということを過去にもしている。2002年に当時恋人だったアイシュワリヤー・ラーイと別れた後、彼の主演作「Lucky」(2005年)でヒロインに抜擢されたのは、アイシュワリヤーそっくりのスネーハー・ウッラールであった。現在サルマーンはカトリーナと別れていないものの、カトリーナの方が人気女優になり過ぎて、今後サルマーンと共演しないと宣言しているため、彼女似の女優を捜すことになったのだと思われる。ザリーン・カーンはカトリーナと同じくインド人離れした容姿をしているが、ムンバイー生まれのれっきとしたインド人のようである。
サルマーン・カーン中心の映画ではあったが、労働階級層に絶大な支持層を持つミトゥン・チャクラボルティーの出番も久々に多く、彼のファンにも嬉しい映画になっていた。ミトゥンのファン層とサルマーンのファン層はかなり重なっていると思われるので、もしかしたらこのコンビが功を奏して興行収入を押し上げるかもしれない。他にソハイル・カーンやジャッキー・シュロフなども好演していたが、特に言及すべきなのはミス英国のリサ・ラザルスが端役で出演していたことである。
音楽はサージド・ワージド。スクヴィンダル・スィンの歌う「Taali」がパワフルな歌になっておりグッと引き付ける力を持っているし、ラーハト・ファテ・アリー・ハーンの歌うバラード「Surili Akhiyon Wale」は非常に美しい曲になっている。踊りでは、サルマーン・カーンが骨折しているのに無理して踊るという設定の「Meherbaniyan」が面白い。「Taali」のダンスシーンも豪華だった。
劇中にはいくつかの古城が登場した。その内、スワヤンヴァルが行われたのは明らかにジャイプル近郊のアーメール城(「Amber」と書いて「アーメール」と読む)で、ジャイプル市内のシティーパレスでも撮影が行われていたが、他の城は特定できなかった。
「ピンダーリー」という用語が果たしてどれくらい一般のインド人に知られているのか謎だが、少なくとも僕はこの映画を観て初めて知り、ネットで調べて何となくその概要が分かったというところである。劇中にはピンダーリーについての解説がほとんどなく不親切な印象を受けた。最初に一言あっても良かっただろう。
「Veer」は、サルマーン・カーン渾身の大作となっているが、細部で詰めが甘く、完成度は高くない。特にハリウッド映画の同様のエピックドラマと比べてしまうと貧弱さが目立つ。だが、こういう映画はコンスタントに作って行ってもらいたく、この挑戦と努力は世間に認められて欲しいと思う。努力賞と言ったところか。荒削りだがとにかくパワフルな作品なので、気晴らしのためなら観ても損はないだろう。