2007年末に公開されて大ヒットとなったアーミル・カーン初監督作「Taare Zameen Par」は、ディスレクシア(失読症)という病気を扱った作品であった。特定の難病を扱った映画が割と簡単に一定の感動を呼ぶドラマとなることは周知の事実で、洋の東西を問わず、そういう映画は多いし、その中には名作も多い。2009年12月4日公開の「Paa」も、ハッチンソン・ギルフォード・プロジェリア症候群という奇病をテーマにした作品である。これは、早老症という異称が指し示す通り、正常な子供に比べて身体が急速に老いて行く遺伝子異常の病気だ。その老化のスピードは、正常な子供の1年がプロジェリア患者の10年にあたると言う。脳機能などは正常に発達するため、年齢が進むにつれて精神と肉体の剥離が激しくなって行く。プロジェリア患者の平均寿命は13歳で、今までの最高齢が17歳。治療は不可能。現在まで146症例が確認されており、生存者は40名ほどらしい。アシュリー・ヘギというカナダ人のプロジェリア患者の症例が有名で、「アシュリー ~All About Ashley~」(扶桑社)という自伝も出ている。
とは言っても、「Paa」は最初からプロジェリアをテーマにして企画された映画ではないらしい。「Cheeni Kum」(2007年)のRバールキー監督が、あるときアミターブとアビシェークのバッチャン親子が一緒にいる様子を見ていたところ、父親のアミターブの方が子供っぽくて、息子のアビシェークの方が大人っぽい態度を取っていた。監督はその様子から着想を得て、アミターブをアビシェークの息子として映画に出せないか考えたと言う。調べてみたところ、プロジェリアという病気があり、この企画にピッタリであった。バッチャン父子も大いに父子逆転というその斬新なアイデアを気に入り、乗って来た。このようにして「Paa」は肉付けされていった映画であり、つまりはまずキャスティングありきの映画である。還暦を過ぎたスーパースター、アミターブ・バッチャンが子役を演じるということで話題性は高く、デリーで行われたロケ時にも注目を集めていた。「Introducing アミターブ・バッチャン」の売り文句も憎い。
監督:Rバールキー
制作:ABコープ、リライアンス・ビッグ・ピクチャーズ、スニール・マンチャンダー
音楽:イライヤラージャー
歌詞:スワーナンド・キルキレー
衣装:サビヤサーチー・ムカルジー、アキ・ナルラー、ファールグニー・タークル、ヴィジェーヤター・マンチャンダー、ラーフル・アガスティ
出演:アミターブ・バッチャン、アビシェーク・バッチャン、ヴィディヤー・バーラン、パレーシュ・ラーワル、アルンダティ・ナーグ、タルニー・サチュデーヴァ、プラティーク・カターレー、ニミト・ダイヤー、ヴァルン・シュクラ、ドルヴィン・ドーシー、カラン・ビワーンドカル、ガウラヴ・バジャージ、ジャヤー・バッチャン(特別出演)
備考:サティヤム・シネプレックス・ネループレイスで鑑賞。
ラクナウーの名門校に通うオーロ(アミターブ・バッチャン)は、プロジェリアという奇病に冒され、12歳なのに既に高齢者の肉体を持っている特別な子供であった。だが、ひょうきんなオーロは学校中の人気者であった。 ある日、学校の設立50周年式典に地元選出の若き国会議員アモール・アールテー(アビシェーク・バッチャン)が来賓としてやって来る。アモール議員は二世政治家で、政界を引退した父親(パレーシュ・ラーワル)に見守られながら、着々と人気を集めている人物であった。アモール議員は子供たちがこの式典のために作った「未来のインド」をテーマにした作品を鑑賞する中で、真っ白な地球儀を見て「国境のない世界」だと感心し、この作者に最優秀賞を与えることにした。それこそがオーロであった。アモール議員はオーロの姿を見て多少驚くが、彼にトロフィーを手渡す。 オーロの母親で産婦人科医のヴィディヤー(ヴィディヤー・バーラン)は、テレビでオーロがアモール議員からトロフィーを受け取ったことを知り、驚く。実はアモールこそがオーロの父親であった。 13年前・・・ヴィディヤーは英国ケンブリッジ大学で医学を学んでいた。そのとき同大学で政治学を学んでいたアモールと出会い、恋に落ちる。しかし、避妊しなかったために妊娠してしまう。ヴィディヤーからそのことを聞いたアモールは、堕胎するように言う。ヴィディヤーは政治家を目指すアモールの重荷になりたくないと考え、アモールの前から姿を消し、子供を産んで1人で育てることを決める。母親(アルンダティ・ナーグ)も早くに夫を亡くして女手ひとつでヴィディヤーを育てて来た経験を持っており、娘の子育てを応援した。オーロがプロジェリアであることが発覚した後も、ヴィディヤーは母親と共に気丈に息子を育てて来たのだった。この間、アモールは政治家として羽ばたくが、ヴィディヤーは彼と接触しようとはしなかった。 オーロは、式典でテレビに映ったためにメディアに追いかけられるようになり、生活が困難となってしまう。オーロが怒っていることを知ったアモール議員は裁判所に訴え、メディアがオーロに近付かないように法的措置を執る。だが、まだオーロの怒りは収まっていなかった。オーロはアモール議員に、大統領官邸に行きたいと伝える。アモール議員はそれを承諾し、11日にデリーに一緒に行くことを約束する。 一方、ヴィディヤーはオーロにアモール議員こそが父親であると伝えようかどうか悩んでいた。悩んだ挙げ句、13歳の誕生日にヴィディヤーはオーロにそのことを明かす。オーロは驚きながらも、母親の気持ちを尊重し、決してアモール議員にそのことは言わないと約束する。 11日にデリーに行く約束であったが、アモール議員はスラム再開発という厄介な問題に巻き込まれており、すっかりオーロのことを忘れていた。だが、デリー出張時に大統領官邸を見てオーロとの約束を思い出し、今度こそはと再びオーロと約束する。 とうとうデリー行きの日がやって来た。アモール議員とオーロは飛行機でデリーへ飛ぶ。アモール議員は大統領官邸の中まで案内する準備を整えていたが、オーロは大統領官邸を外から見ただけで帰ると言い出す。その代わりオーロはアモール議員と一緒にデリーを観光したいと主張し、アモール議員もそれを受け容れる。2人はひとときの楽しい時間を過ごす。 ところが、オーロの寿命は次第に近付いて来ていた。入退院を繰り返すようになり、主治医もオーロの容体に警鐘を鳴らし続けていた。とうとうオーロは危篤状態となり、入院する。アモール議員はそのことを知り、病院に駆けつけるが、そこでヴィディヤーと再会してしまう。アモール議員は初めてオーロが自分の息子であることを知る。 アモール議員の隠し子のニュースはたちまち世間を駆け巡るが、アモール議員は自らの過去の過ちを素直に認め、ヴィディヤーにプロポーズをする。オーロも母親も二人の結婚を望んでいたが、ヴィディヤーはアモール議員に対して心を閉ざしており、なかなかそれを受け容れようとしなかった。しかし、今にも死のうとするオーロの前で、間違いを犯した人間は間違いを犯された人間よりも傷付いているという言葉を聞いて考えを改め、アモール議員と手を取り合う。それを見たオーロは、アモール議員に「お父さん」とつぶやき、息を引き取る。
プロジェリアという奇病と、12~3歳の子供となったアミターブ・バッチャンのビジュアルが注目を集めているが、プロットの核心は、離れ離れとなった男女を、二人の間にできた子供がキューピッドとなって結び付けるというもので、敢えて言うならば、名作「Kuch Kuch Hota Hai」(1998年)と近い筋の作品であった。また、死に行く人が男女を結び付けるという点に注目すれば、これまた名作「Kal Ho Naa Ho」(2005年)にも共通するものがある。つまり、「Paa」は、ヒンディー語映画界で培われて来た黄金の方程式に則ったプロットの上に成り立った作品であり、主人公のオーロがプロジェリアでなくてもストーリーは何とか成立した。それでも、オーロの愛らしい姿(ポスターなどでは気色悪く見えるかもしれないが、不思議とスクリーン上では愛らしかった!)は映画に大きな力を与えており、単に小綺麗にまとまっているだけでなく、ユニークなドラマに仕上がっていた。Rバールキー監督の才能も大したもので、前作「Cheeni Kum」同様に、透明感ある映像が、映画に暗い雰囲気が立ちこめるのを防いでいた。
「Paa」は単なる家族ドラマでもない。アビシェーク・バッチャン演じるアモール・アールテー議員の設定自体が、映画に社会的なメッセージを加味していた。見る人が見れば一目瞭然のように、アモール・アールテー議員は明らかに国民会議派の「ユース・アイコン」ラーフル・ガーンディーがモデルになっている。汚職でまみれたインドを改革しようと日々東奔西走するアモール議員の姿が劇中で描かれていた他、政府の敷地を勝手に占拠して成立したスラムの再開発に特に焦点が当てられていた。アモール議員は、不衛生な生活を続けるスラムの住民に、スラムの土地に清潔な住宅地を造営するから、そこに移住することを承諾するよう、誠意を持って訴え続ける。だが、スラムを票田とするライバル政治家は、スラム住民を貧困の中に閉じ込めておかなければ地位が危うい訳で、スラムの住民に、アモール議員がスラム住民を騙して一儲けしようとしていると吹き込み、扇動する。民間メディアもライバル政治家に荷担し、アモール議員を責め立てる。業を煮やしたアモール議員は、国営放送ドゥールダルシャンを使って、民間ニュース番組のレポーターたちの偽善を国民の前で暴き、今や強大な影響力を誇りつつあるメディアに対して、「大きな力を持つ者は大きな責任も負う」と訴えかけ、逆風をはねのける。インドの報道番組は熾烈な視聴率競争の末に非常に下劣な報道を繰り返すようになっており、それに対する批判も強まっている。「Paa」では、それが中心的テーマではなかったものの、道徳を欠いた報道への一石が投じられており、興味深かった。
登場人物は多くなかったが、皆非常に優れた演技を見せていた。まずは何と言ってもアミターブ・バッチャンである。還暦を越えて子役を演じるとは本人も夢にも思っていなかっただろうが、この挑戦に堂々と立ち向かい、優れた子役振りを発揮していた。アミターブの息子アビシェークも、父親の父親になるという稀な体験を楽しみながら演じていたようで、アミターブとの共演シーンではいつになく生き生きとしていた。それだけでなく、政治家アモール・アールテーの場面でも、若く、理知的で、ユーモアのある青年政治家像をうまく体現していた。
元々演技力に定評のあるヴィディヤー・バーランは、今回も貫禄の演技を見せており、若手女優の中で演技力ナンバー1であることを雄弁に主張していた。母親を演じたアルンダティ・ナーグはインド演劇界の重鎮である。パレーシュ・ラーワルも面白い役所であった。アミターブの妻にしてアビシェークの母親であるジャヤー・バッチャンが冒頭のクレジットシーンで特別出演しているのも注目である。
音楽はイライヤラージャー。特に南インド映画界で活躍する音楽監督で、時々ヒンディー語映画にも顔を出しており、Rバールキー監督の前作「Cheeni Kum」でも音楽を担当していた。「Paa」は、所々にコメディーシーンが挿入されていたものの、基本的には真面目なドラマで、ダンスシーンなどの混入はなかったのだが、Rバールキー監督の透明な映像に合わせた透明な音楽が映画を盛り上げていた。
「Paa」は、アミターブ・バッチャンの奇妙なビジュアルが先行しているが、真面目なドラマであり、今年もっとも感動できる作品となっている。全ての人にオススメできる必見映画だ。