Sarkar Raj

4.0
Sarkar Raj
「Sarkar Raj」

 2008年5月20日~6月10日まで日本に一時帰国していた。日本に帰るといつも留守中に封切られた映画が気になってしょうがないのだが、今回は新規に立ち上がったクリケットリーグであるインディアン・プレミア・リーグ(IPL)が6月1日まで続いていてクリケット熱が映画熱を凌駕しており、映画公開が控えられていたこともあって、見逃せない名作を見逃すようなことはなさそうである。デリーに帰って来た後、最初に鑑賞する映画に選んだのは、ラーム・ゴーパール・ヴァルマー監督の「Sarkar Raj」。2005年に公開された同監督の「Sarkar」の続編である。前作は「ゴッドファーザー」シリーズのオマージュになっていたが、本作は完全にオリジナルとのことである。2008年6月6日に公開された。

監督:ラーム・ゴーパール・ヴァルマー
制作:プラヴィーン・ニシュチャル、ラーム・ゴーパール・ヴァルマー
音楽:バッピー・トゥトゥル
出演:アミターブ・バッチャン、アビシェーク・バッチャン、アイシュワリヤー・ラーイ、ゴーヴィンド・ナームデーオ、タニーシャー・ムカルジー、ヴィクター・バナルジー、スプリヤー・パータク、サーヤージー・シンデー、ディリープ・プラバーウォーカー、ウピエーンドラ・リマエー、ラージェーシュ・シュリーンガープレー、シシル・シャルマーなど
備考:PVRプリヤーで鑑賞。

 ムンバイーを裏から支配するサルカールことスバーシュ・ナーグレー(アミターブ・バッチャン)は引退し、息子のシャンカル(アビシェーク・バッチャン)が実質的に跡を継いで、政府が救済しない人々の救済を行っていた。

 あるときサルカールの邸宅に、ロンドンを拠点とするシェパード・パワー・プラント社の若く美しいインド系女性CEO、アニター・ラージャン(アイシュワリヤー・ラーイ)がやって来る。アニターは父マイク・ラージャン(ヴィクター・バナルジー)の会社の跡取りとして、マハーラ-シュトラ州に発電所を建設するために来ていた。この発電所が建設されれば、ムンバイーの慢性的な電力不足は解決するはずであった。しかし、建設のために選ばれたタークルワーリー地方の農民たちに立ち退いてもらわなければならなかった。アニターは土地買収の協力を仰ぐため、仲介者のハサン・カーズィー(ゴーヴィンド・ナームデーオ)と共にサルカールを訪れたのだった。

 サルカールは、いくらムンバイーのためだからと言って、農民たちから土地を奪って発電所を建設することには反対だった。しかし、シャンカルはその計画に興味を示す。息子に説得され、シャンカルも発電所建設計画に協力することになる。

 サルカールとシャンカルは、タークルワーリーの長老ラーオ・サーブ(ディリープ・プラバーウォーカー)に会いに行く。ラーオ・サーブは、サルカールの言葉を信じ、発電所建設計画に賛同する。シャンカルは村々を巡って農民たちの理解を求める。だが、ラーオ・サーブの息子のサンジャイ・ソームジー(ラージェーシュ・シュリーンガープレー)はその計画に反対し、農民運動を指揮し始める。

 農民運動の激化により、シャンカルは難しい局面に立たされていた。その間、グジャラート地方の実業家カーンティラール・ヴォーラー(ウピエーンドラ・リマエー)が、グジャラートへの発電所建設を持ちかけて来て、さらに話がこじれて来る。だが、時を同じくして妻のアヴァンティカー(タニーシャー・ムカルジー)が妊娠したことが分かり、シャンカルは束の間の安らぎも得る。シャンカルはソームジーと直接交渉し、説得する道を模索するが、そのときアヴァンティカーの乗った自動車が何者かに爆破され、アヴァンティカーは死んでしまう。シャンカルは、アニターと共に一度家に来たハサン・カーズィーを疑った。

 だが、ソームジーも何者かに誘拐されてしまう。世間の人々はシャンカルが誘拐したのではないかと考えた。だが、アニターはシャンカルを信じ、彼を支える。そのとき、アヴァンティカーが殺されたときに警備の不備を問われて首になったチャンダルから連絡が入り、ソームジーの居所が分かる。シャンカルはその場所へ乗り込み、ハサン・カーズィーを殺害して、ソームジーを救出する。シャンカルに救われたソームジーは、一転してシャンカルの仲間となり、発電所建設計画を支援し始める。

 一連の事件を裏で操っていたハサン・カーズィーが死に、ソームジーが味方となった今、シャンカルを邪魔する者は誰もいないはずだった。シャンカルはアニターと心を通わすようにもなっていた。ところがその油断を突かれ、シャンカルは暗殺者によって殺されてしまう。

 一度は引退したサルカールは、シャンカルの死後再び実権を握り、シャンカルの復讐に乗り出す。その暗殺劇の裏にはカーンティラールがいたことが発覚すると、サルカールはカーンティラールを連行して拷問し、関係者を抹殺する。アニターの父マイクも殺された。その中で、全ての計画を裏で操っていたのは、他でもないラーオ・サーブだったことが分かる。ラーオ・サーブは一連の事件を通して、息子のソームジーを有力政治家に仕立て上げようとしていたのだった。サルカールはソームジーを殺し、ラーオ・サーブにそれを見せつける。

 サルカールを罠にかけようとした人々は全員死んだが、その犠牲は大きかった。シャンカルを失った後、サルカールの邸宅ではアニターが力を持ち始めていた。また、サルカールはナーグプルから「チークー」を呼び出していた。

 「インドのクエンティン・タランティーノ」と呼ばれる鬼才ラーム・ゴーパール・ヴァルマーは、過去何本ものヒット作を世に送り出している売れっ子監督/プロデューサーだが、最近は全く鳴かず飛ばずであった。特に2007年は「Ram Gopal Varma ki Aag」(2007年)が大失敗作に終わってしまい、スランプすらささやかれた。だが、バッチャン・ファミリーを動員した「Sarkar Raj」で才能に衰えがないことをやっと見せつけられた。ヴァルマー映画特有の、アップを多用した凝ったカメラワークと、練りに練られた脚本、そして俳優の最高の演技を引き出す監督力は健在であった。久しぶりに映画らしい映画を観た気分になれた。

 映像そのものに緊張感が溢れ、それだけでスクリーンにグイグイと引き寄せられるのだが、この映画で最大の見所だったのは、「発展とは何か」というタイムリーな問題が提起されていたことである。急速に発展するインド。だが、「発展」の名の下に犠牲を払っている人々がいることは決して見過ごしてはならない。「Sarkar Raj」では、大都市ムンバイーに電力を供給する発電所を村に建設する計画を通し、発展と犠牲、都市と農村の対比が試みられていた。サルカールは農民から土地を無理矢理買い上げて行う「発展」計画に反対だったが、若いシャンカルは、この計画はマハーラーシュトラ州全体の利益になると考え、「遠くの利益のためには近くの損失に目をつむるべきだ」とサルカールを説き伏せる。村の有力者ラーオ・サーブのお墨付きを得て、発電所建設計画は順調に進むはずだったが、「都会の金持ちのために農民が犠牲になっていいのか」と声を上げる農民運動家ソームジーの出現により、計画には暗雲が立ちこめ、サルカールの権威すら揺らぐことになる。しかし、結局は全てがラーオ・サーブの陰謀だったことが明らかになって結末を迎えており、発展の真の意味への問いかけや、都市と農村の対立の問題は、提起されただけで放置されていた感じは否めない。だが、シャンカルが言った「発電所ができれば、マハーラーシュトラ州を空にまで持ち上げることができる」と語ったのに対し、サルカールが「人々は空を必要としていない。土を必要としている」と答えたシーンがもっとも印象に残っており、そこにヴァルマー監督の主張があるように思えた。おそらく、一般大衆の利益を無視した急速な発展への警鐘が映画に込められていたはずである。

 後継者のはずだったシャンカルが死んでしまうというプロットには、監督の尋常ならざる勇気を感じた。てっきり「死んだふりをしていただけで実は生きていました」という展開を想像していたが、シャンカルは本当に死んでしまった。通常のヒンディー語映画ならシャンカルは死なないはずだが、ヴァルマー監督はここに来てヒンディー語映画の方程式を完全に捨て去った。では、これで「Sarkar」シリーズは完結なのか?どうやら違いそうだ。エンディングでは、ナーグプルに住む「チークー」を呼びつけるサルカールの姿と、すっかりサルカール一家に溶け込んだアニーターの姿が描かれており、さらなる続編への伏線を十分臭わせるものだった。今度はアイシュワリヤー・ラーイが主演となるのだろうか?そうなったらビックリである。

 昨年アビシェーク・バッチャンと結婚し、アイシュワリヤー・ラーイはバッチャン家の一員となった。結婚後、アミターブ・バッチャン、アビシェーク・バッチャン、アイシュワリヤー・ラーイの三人が共演したのは初めてだ。それだけでネタは十分なのだが、決してそれに留まらず、三人ともベストの演技を見せていた。特にアイシュワリヤー・ラーイは自慢の神々しい美貌を潔く捨て去ったかのような渾身の演技を見せており、素晴らしかった。脇役陣も皆個性的な演技で映画を盛り上げていた。

 「Sarkar」では「ゴーヴィンダーゴーヴィンダーゴーヴィンダー・・・」という印象的なBGMも話題になったが、続編「Sarkar Raj」でもBGMが前作以上に効果的に使われていた。もし「Sarkar Raj」の中にインド映画的要素を探すとしたら、BGMへの過度の依存であろう。映像よりも先にBGMで展開を予告することが何度もあり、少しやり過ぎにも思えたが、重厚な雰囲気を醸し出すのに一役も二役も買っていたのは確かである。

 「Sarkar」が「ゴッド・ファーザー」シリーズをベースとしていることは自他共に認めるところだが、マハーラーシュトラ州の著名な政治家でシヴセーナーの創始者バール・タークレーの半生もモデルになっているのではないかとも言われていた。続編「Sarkar Raj」は今度はその甥でマハーラーシュトラ・ナヴニルマーン・セーナーの創始者ラージ・タークレーがモデルになっていると言われていたが、見たところそうは感じなかった。

 「Sarkar Raj」は、じっくりと腰を据えて鑑賞するタイプのシリアスな映画で、典型的インド娯楽映画ではない。前作を観ている人は続けて楽しめるだろうが、こういう息が詰まるような重苦しい映画が好きなら、前作を観ていない人も関係なく楽しめるだろう。深いところまで見れば、現代インドの急速な発展への警鐘も見て取れる傑作である。