Mere Jeevan Saathi

1.5
Mere Jeevan Saathi
「Mere Jeevan Saathi」

 今日は、2006年2月3日公開の新作ヒンディー語映画「Mere Jeevan Saathi」を観た。題名は、「私の一生の伴侶」という意味。監督は「Barsaat」(2005年)や「Dosti: Friends Forever」(2005年)のスニール・ダルシャン、音楽はナディーム・シュラヴァン。キャストは、アクシャイ・クマール、カリシュマー・カプール、アミーシャー・パテール、グルシャン・グローヴァー、アーシーシュ・ヴィディヤールティー、ラザーク・カーンなど。

 ヴィッキー(アクシャイ・クマール)はデビューしたてのアイドル歌手であった。ヴィッキーには大学時代からの恋人アンジャリー(アミーシャー・パテール)がいた。ヴィッキーは、モーラーニー(グルシャン・グローヴァー)とトーラーニー(アーシーシュ・ヴィディヤールティー)が経営するMTカンパニーの誘いを断って、大手音楽会社エンジェル・インターナショナル・ミュージックと専属契約を結ぶ。ヴィッキーは米国デビューも果たす。

 エンジェル社の社長は、ナターシャ(カリシュマー・カプール)という若い美人女性であった。実はナターシャはヴィッキーと同じ大学に通っており、ヴィッキーに密かに恋をしていた。ナターシャはヴィッキーに気持ちを伝える機会を得るが、大富豪の父親の突然の死により、その機会を逃し、会社を後継したのだった。しかしナターシャはヴィッキーに対する思いを諦めていなかった。彼女は音楽会社を立ち上げ、ヴィッキーの専属のミュージシャンにしただけでなく、彼を誘惑する。ヴィッキーはナターシャの誘惑に負け、一夜を共に過ごすが、その後アンジャリーへの背信に思い悩むようになる。

 それだけでなく、ナターシャはヴィッキーのプライベートにどんどん割り込んでくるようになる。彼女は愛の告白までするが、ヴィッキーはアンジャリーのことしか愛していなかった。ヴィッキーとアンジャリーは婚約するが、ナターシャは急速に精神的安定を失っていく。ヴィッキーに対する復讐の機会を伺っていたモーラーニーとトーラーニーは、ナターシャを使ってヴィッキーを爆殺しようとするが、ナターシャは逆にヴィッキーの目の前で2人を爆殺する。ヴィッキーはアンジャリーの身に危険が迫っていることを察知し、全てを打ち明けて許しを乞う。アンジャリーはヴィッキーの背信にショックを受けるものの、ナターシャと2人で話をつけることを決める。

 アンジャリーはナターシャを呼び出す。ナターシャは「私はヴィッキーのためなら人を殺すこともできる」と言うが、それに対しアンジャリーは「私はヴィッキーのためなら命を投げ出すこともできる」と言い返す。それを聞いたナターシャは、「私もヴィッキーのために命を投げ出せる」と遺書を残して自殺してしまう。

 スニール・ダルシャン監督の作品は観ない方がいいかもしれない。去年から今年にかけて、「Barsaat」(2005年)、「Dosti: Friends Forever」(2005年)、「Mere Jeevan Saathi」(2006年)と彼の監督作を見てきたが、時代遅れのストーリーとテンポの悪い展開で、見ていてイライラする映画ばかりであった。特にこの「Mere Jeevan Saathi」は、1年以上も公開が遅れていた曰くつきの映画である。公開が延び延びになっている映画というのは、つまらない映画であることが多い。この映画もその例に漏れなかった。敢えて「Mere Jeevan Saathi」の見所を挙げるとしたら、それはカリシュマー・カプールの復活であろう。カリシュマー・カプールは、2003年9月に結婚して以来、しばらく銀幕から遠ざかっていた。しかも、今まであまり彼女が演じたことがなかった悪女役に挑戦である。

 権力を盾に女が男を誘惑する「逆セクハラ」のストーリーは、「Aitraaz」(2004年)が記憶に新しい。しかもどちらの映画もアクシャイ・クマールが誘惑される男を演じており、「Mere Jeevan Saathi」は「Aitraaz」と比較されることを避けられない映画である。そして不幸なことに、「Aitraaz」の方が数倍よくできた映画であった。

 「Mere Jeevan Saathi」は大まかに3つのパートに分けることができるだろう。最初のパートは、ヴィッキーが米国デビューするまでのサクセスストーリー。アンジャリーとの熱々振りがこれでもかと強調される。一番退屈なパートである。物語が少しだけ面白くなって来るのは、ナターシャが登場してヴィッキーを執拗に誘惑する第2パートからである。ヴィッキーは、会社の社長であり、しかも過ちとは言え肉体関係を持ってしまったナターシャに対し、最初はソフトに接するが、次第に堪忍袋の緒が切れてくる。ヴィッキーとアンジャリーの婚約式が終わった後からが第3パートと言える。婚約式がクライマックスと思いきや、さらにストーリーが続くので意外だが、この頃になるとカリシュマー・カプール演じるナターシャの取り乱し振りが観客の憐憫の情を誘うほどに達するので、見ていて気の毒になって来る。第2パートまではどちらかというとヴィッキーの方に同情的なのだが、第3パートまで来るとナターシャの方に同情が行くようになってしまう。そしてこの映画の主人公は実はアクシャイ・クマールではなくカリシュマー・カプールだったのか、とまで思い始めてしまう。ナターシャが悪役に徹しきれていないところが、この作品の最も弱い部分であろう。もしナターシャが完全な悪女だったら、彼女の自殺により観客は爽快な気分と共に映画館を出ることができたのに・・・。

 とは言え、カリシュマー・カプールの演技は鬼気迫るものがある。果たして結婚前に撮影されたのか、それとも結婚後に撮影されたのか、それは分からないが、久し振りにスクリーン上でカリシュマーの雄姿を見ることができてよかった。アクシャイ・クマールは今やヒンディー語映画界で最も使いやすい男優として認められているのではなかろうか?昔はアクション一本筋だったような気がするのだが、今はいろいろな役を無難に演じることができる男優に落ち着いているように感じる。アミーシャー・パテールはまるで新人女優のような初々しく青臭い演技で、アミーシャーが演じる必要性を感じなかった。完全なミスキャストであろう。

 ヴィッキーはミュージシャンという設定なので、音楽に力を入れてもらいたかったが、残念ながらそれほどいい曲はない。唯一、ヴィッキーとアンジャリーの婚約式のミュージカルは、ストーリーと歌詞が見事に融合していて、インド映画のミュージカル・テクニックの好例だと思った。

 「Mere Jeevan Saathi」は、カリシュマー・カプールの久々の銀幕復帰が見所であるものの、時代遅れのつまらない映画なので、ロロ(カリシュマーの愛称)の熱狂的ファン以外は観るに値する映画ではない。