今日はPVRアヌパム4で、2005年1月21日公開の新作ヒンディー語映画「Page 3」を観た。監督はマドゥル・バンダールカル。「Chandni Bar」(2001年)で有名な監督である。音楽はサミール・タンダン。キャストは、コーンコナー・セーンシャルマー、ボーマン・イーラーニー、アトゥル・クルカルニー、ターラー・シャルマー、ビクラム・サルージャー、サンディヤー・ムリドゥル、ジャイ・カルラー(新人)など。ちなみに「Page 3」とは、日本の新聞で言う「三面記事」のことで、ゴシップなど中心の面を言う。特にインドではパーティー特集面のことを言うようだ。タイムズ・オブ・インディア紙の折込版であるデリー・タイムスなどを見ると、第3面はセレブ・パーティーの記事が派手な写真と共に毎日のように載っている。この第3面に載ることが、有名人のステータスシンボルだとされている。
マードヴィー(コーンコナー・セーンシャルマー)はページ3の記者で、毎晩ムンバイーのセレブのパーティーに出席して取材しており、社交界の中で顔の知れた存在となっていた。だが、マードヴィーは真面目な記事を書きたいと思っており、無名の美術家の展覧会や孤児院の記事などを載せようとするも、編集長のディーパク・スーリー(ボーマン・イーラーニー)に阻止されてしまっていた。 マードヴィーはスチュワーデスのパール(サンディヤー・ムリドゥル)と共に同居していたが、偶然出会った女優志望の女の子ガーヤトリー(ターラー・シャルマー)も一緒に住むようになる。マードヴィーは、友人の人気男優ローヒト(ビクラム・サルージャー)に頼んでガーヤトリーを映画監督に紹介してもらう。だが、その監督は彼女に肉体関係を迫ったため、彼女は逃げ出して来てしまう。また、ガーヤトリーはローヒトと恋仲になるが、妊娠した途端ローヒトから捨てられたため、自殺未遂をする。ガーヤトリーは一命を取りとめたものの、映画業界に嫌気がさして故郷のデリーに帰ってしまう。時を同じくして、パールも大富豪と結婚して米国へ去って行ってしまう。また、マードヴィーは、恋人でモデルの卵のアビジート(ジャイ・カルラー)がゲイの友人と裸で抱き合っているところを目撃してしまい、彼と絶交する。マードヴィーは孤独になってしまった。 ページ3の取材に嫌気がさしたマードヴィーは、スーリー編集長に頼んで犯罪部に異動させてもらう。マードヴィーはベテラン記者のヴィナーヤク(アトゥル・クルカルニー)と共に犯罪の取材を行う。あるときヴィナーヤクが留守にしているときに、情報屋からタレコミを得たマードヴィーは、それを警察に伝えて人身売買を行うマフィアの家宅捜査に同行する。だが、そのマフィアの逮捕により、少年への性的虐待を行っていた大富豪が浮かび上がってしまう。その大富豪は、マードヴィーの勤める新聞社のスポンサーでもあった。マードヴィーはスキャンダルを記事にまとめるが、上からの圧力により没にされた上に解雇されてしまう。 家にこもって涙を流すマードヴィーのもとにヴィナーヤクがやって来る。ヴィナーヤクはマードヴィーに、「真実を記事にしなければならない。しかしそれには方法がある。システムの中にいながら、システムを変えなければならない」とアドバイスする。マードヴィーは別の新聞社にページ3の記者として就職し、再びセレブ・パーティーの世界を取材するようになる。マードヴィーはそこで、デリーに帰ったはずのガーヤトリーと出会う。ガーヤトリーの隣には、かつて彼女に身体関係を迫った監督がいた。彼女の様子もだいぶ垢抜けてしまっていた。ガーヤトリーは彼女に言う。「こうするしかなかったの。」パーティーには、かつての恋人アビジートもいた。彼も出世のためにゲイに身体を売ったのであり、そのために現在はセレブの仲間入りを果たしていた。それらを見て、マードヴィーは「やはりここは私のいるべき場所じゃない」と、一人パーティー会場を後にする。
ムンバイーの華やかな社交界の裏に潜む退廃的人間関係に光を当てたユニークな作品。前半を見ていたときは、「Let’s Enjoy」(2004年)のような、パーティーの中での各種人間模様を描いた作品かと思っていたが、後半になって急に話がシリアスになり、非常に深みのある映画となっていた。ドラッグあり、セックスあり、ゲイあり、少年への性虐待ありと、扱っていたテーマは際どかったが、インドの実情からそう遠くはないと思えた。
映画の冒頭では、米国からインドに15年振りに帰って来たインド人資産家が、ムンバイーで成功するために「ページ3」を活用するシーンが描かれる。まずはパーティーを主催し、各界の有名人を招待し、その様子が新聞のページ3に掲載されれば、成功は間違いないという。そこからムンバイーで夜な夜な繰り返されるセレブ・パーティーの様子と、それを取材するマードヴィーが物語の中心に来る。華やかなるパーティー。出席するセレブたちの顔ぶれは毎回そう変わらず、一晩にいくつも掛け持ちでパーティーを巡るのが彼らの中では当たり前となっていた。当初は観客も楽しそうなパーティーの様子に心を躍らせるが、次第にセレブたちの間に蔓延する汚れた人間関係が露となってくる。特にそれが露骨に描写されるのは、大富豪の妻アンジャリーが自殺し、その葬式が行われているシーンである。人々はアンジャリーの死を悼むためにやって来るが、話し合っていることは、相も変わらずゴシップ、ビジネス、そして次のパーティーのことばかりである。それを見たマードヴィーは、ページ3の記者を辞める。
だが、さらにショックなのは、マードヴィーが元の新聞社をクビになり、新しい新聞社で再びパーティーの取材を始めたシーンである。マードヴィーはそこで、けばけばしい化粧をしてタバコを吹かすガーヤトリーの姿を目にする。マードヴィーがガーヤトリーに会ったとき、彼女はパーティーに馴染めなくてまごつく純粋無垢な女の子だった。監督に手篭めにされそうになった上に、妊娠した途端、付き合っていた人気男優に捨てられ、自殺まで図った彼女は、いつの間にか監督に身を売ってセレブの仲間入りをしていた。病んだ社会で生きるためには、自ら病むしかないということを痛烈に描いていた。
だが、このプロットは、マドゥル・バンダールカル監督自身に関わる、ある実際の事件を思い起こさせるものであった。2004年6月、プリーティ・ジャインという映画女優志望のモデルが、バンダールカル監督をレイプの罪で告訴したのだ。プリーティは、バンダールカル監督が自分を彼の映画のヒロインにすると約束したため、1999年~2004年に渡って彼と肉体関係を持った。しかし、いつになってもバンダールカル監督が彼女をヒロインにしないため、彼女がこれ以上の肉体関係を断ったところ、無理に押し倒されてレイプされたとのことだった。おそらくまだ公判中だろうが、世論は2つに分かれている。すなわち、女優になりたい女の子の弱みに付け込んで手篭めにしたバンダールカル監督が悪い、という意見と、ヒロインになりたいがために監督と肉体関係まで結び、しかもそれを売名行為に利用するプリーティ・ジャインが悪い、という意見である。どちらにしろ、監督自ら、自分自身のスキャンダルを想起させるプロットを映画に盛り込むとは、この監督も只者ではないと思う。
この他にも「Page 3」は、インドの社交界と新聞の問題点をいろいろ暴き出していた。例えば、ページ3は「知名度ゼロの人間のことを書くのではなく、銀行口座にゼロがいくつもある人間のことを書くためにある」という編集長の言葉は、どのような記事がページ3に載るのかを如実に表していた。また、犯罪に関する記事では、金と人脈によりいくらでもコントロールができてしまう様も明らかになっていた。だが、問題点はいろいろと提示されたが、その解決は映画中には何も示されなかった。映画は全ての問題が未解決のまま、マードヴィーがセレブ・パーティーや社交界の世界から永遠に足を洗うことを予感させて終了した。
「Amu」(2005年)に引き続き、コーンコナー・セーンシャルマー主演作だった。「Mr. and Mrs. Iyer」(2002年)の成功で一気に演技派女優として認知度を上げたようだが、彼女の外見ははっきり言って普通の女の子であり、うまく配役しないと映画全体のバランスが崩れてしまう。この「Page3」でも、彼女の容姿は多少マイナスに働いていた。ゴージャスなセレブたちの間をテクテクと歩き回る姿は、場違いな印象を受けた。
脇役だったが、サンディヤー・ムリドゥルの演技が光っていた。彼女は「Saathiya」(2002年)でラーニー・ムカルジー演じるヒロインの姉役を演じ、「Waisa Bhi Hota Hai Part II」(2003年)では怖い女警官の役を演じていた。どちらも非常に印象的な演技をしていたが、「Page3」でもさらにその脇役演技に磨きをかけていた。ヒロインにはなれない顔をしているが、名脇役にはなれそうな顔である。ボーマン・イーラーニーは、アムリーシュ・プリー亡き今、コメディーも悪役もシリアスな役も怖い親父役もこなせる、ヒンディー語映画界にはなくてはならない個性派おじさん男優となっている。密かに注目しているアトゥル・クルカルニーも好演していた。映画中のセレブ・パーティーでは、スニール・シェッティーがチラリと特別出演していた。
言語は、ヒンディー語6割、英語4割。一応分類ではヒンディー語映画となっていたが、ヒングリッシュ映画にカテゴライズしてしまってもいいと思った。
「Page 3」は、風刺コメディーとしても社会派映画としてもパーティー映画としても楽しめる映画であり、インド映画の新たな道を開拓したのではないかと感じた。マドゥル・バンダールカル監督は、新感覚のヒンディー語映画を作る、今最も注目の映画監督の一人だということが証明されたと言っていいだろう。