Dil Ne Jise Appa Kahaa

2.0

 今日はPVRグルガーオンに、2004年9月10日公開の新作ヒンディー語映画「Dil Ne Jise Apna Kahaa」を観に行った。題名を直訳すれば、「心が自分のものだと言った人」。監督は元俳優のアトゥル・アグニホートリー、音楽はARレヘマーンとヒメーシュ・レーシャミヤー。キャストは、サルマーン・カーン、プリーティ・ズィンター、ブーミカー・チャーウラー、ラティ・アグニホートリー、リヤー・セーンなど。

 リシャブ(サルマーン・カーン)は広告代理店の社長で、妻のパリー(プリーティ・ズィンター)は医者だった。二人は幸せな生活を送っていたが、ある日突然不幸が襲い、パリーは交通事故で死んでしまう。リシャブはパリーを亡くした悲しみから抜け出せないでいた。

 パリーは死ぬ前にひとつ遺言を先輩の医者シャシ(ラティ・アグニホートリー)に残していた。それは、自分の心臓を、患者のダニー(ブーミカー・チャーウラー)に移植することだった。ダニーは幼い頃から心臓に難病を患っており、心臓移植しか回復する見込みはなかったが、臓器提供者がいなくて手術ができないでいた。パリーの心臓によりダニーは健康な身体を手に入れる。それは彼女にとって新しい人生の始まりだった。

 ある日偶然、ダニーはリシャブに会い、不思議な感覚を覚える。リシャブとダニーは、パリーの親友カーヴェーリー(リヤー・セーン)の結婚式でも再会し、それをきっかけにダニーはリシャブの会社で働くことになる。ダニーはリシャブを熱烈に恋するが、リシャブにはダニーのことがなぜか気に食わなかった。

 ある日ダニーは、自分の心臓がリシャブの死んだ妻パリーのものであることを知り、なぜ自分がリシャブに異様に引かれるのかを理解する。とうとうダニーはリシャブの家まで押しかけるが、それがリシャブの怒りを買い、「オレの人生に一歩も入ってくるな!」と厳しい言葉を浴びせかけられる。そのショックによりダニーは発作を起こして倒れてしまう。ダニーは病院に運ばれる。このとき、リシャブもダニーの心臓がパリーのものであることを知る。

 リシャブには、愛するパリーの心が誰かのものになっていることが許せなかった。元々パリーの臓器移植には賛成していなかった。リシャブは真実を知って苦悩するが、パリーが死ぬ間際に言った言葉を思い出す。「あなたを残して決して逝かないわ。愛してる。」パリーの心が今でも生きて、自分を愛してくれていることを理解したリシャブは、ダニーと結婚することを決める。

 心臓移植によって「心」までも移植されるという、現代のファンタジー。非現実的なストーリーだったが、気軽に楽しめる佳作に仕上がっていた。

 題名の「Dil Ne Jise Apna Kahaa」というフレーズは、実は「Yeh Waada Raha」(1982年)という映画の中の「Tu Tu Hai Wohi」という名曲の歌詞の一節にある――Tu Tu Hai Wohi Dil Ne Jise Apnaa Kahaa(あなたこそ、心が自分のものだと言った人)――。この映画では、「Dil」という言葉を、「心」という意味と「心臓」という意味両方で使っており、ストーリーにピッタリの題名である。題名が先にあって、それからストーリーが考案されたのではないかと思ったが、どうもハリウッド映画「この胸のときめき(Heart To Me)」(2000年)の翻案のようだ。

 医学的な観点から見ると、この映画は全く現実的ではなかった。心臓移植がいともアッサリと描写されており、免疫機構による移植後の拒絶反応や、免疫抑制療法のことなどはほとんど触れられていない。また、普通に考えたら心臓が移植されことにより心まで移植されるということは考えられない。しかし、それらの突っ込みを執拗にする人は、ファンタジーやロマンスを解しない部類の人間だろう。

 心臓を移植された後の、ダニーのリシャブに無性に引かれる気持ちは、ブーミカー・チャーウラーの演技力もあって、非常に丁寧に描写されていたと思う。この奇跡的な愛が映画の核となっているので、キチンと描写しなければならないだろう。ただ、それ以外の部分は甘さが目立った。例えば、パリーが密かに夢見ていた「パリーローク(妖精の世界)」という名の子供病院。リシャブはパリーの遺志を継いでパリーローク病院の設立に着手するが、その完成が映画中で描かれることはなかった。また、最後にリシャブとダニーが既に結婚した後のシーンがあったが、二人の結婚の過程の描写は全くなかった。ちょっと急ぎすぎだと感じた。リシャブの部下のトリパーティーと、ダニーの親友マーラーとの恋愛の描写も中途半端だった。

 最近サルマーン・カーンの映画が連続しており、よく彼の映画を観ている。彼がスクリーンに映るたびについつい前髪の生え際に目が行ってしまうが、まだカリスマ性は失われていない。筋肉の露出癖も相変わらずだが、確かに見せびらかすだけある、(いろいろな意味で)よく手入れの行き届いた肉体である。彼の裸体を見るとなぜか叶姉妹を思い出すのだが・・・。サルマーン・カーンは演技力というよりも、「そこにいるだけでいい」と思わせるだけのカリスマで、しぶとく生き残っている。プリーティ・ズィンターはほとんど前半のみの出演。今回は最初から既婚の女性役。プリーティにスィンドゥール(既婚のインド人女性が前髪の分かれ目につける赤い粉)はあまり似合わないと感じた。リシャブがパリーに「僕は君が笑ったときのえくぼが好きなんだ」というシーンがあり、場内も多少受けていたが、やっぱりインド人もプリーティ・ズィンターのえくぼに魅力を感じていたんだな、と実感した。テルグ語映画のトップスターであるブーミカー・チャーウラーは、あまり北インド向けの顔とは思えないが、演技力だけは確かなもの。しかし、ブーミカーがダンスを踊ると、なぜか違和感を覚えるのは僕だけだろうか?リヤー・セーンは特別出演。デビュー当時よりもだいぶ大人っぽくなったが、依然として子供っぽすぎて、インド映画には向かないと思う。インド人にロリコンという性癖があるのならば彼女は受ける可能性があるが、個人的な推測からすると、ロリコンのインド人がいるとは思えない。

 映画中の音楽は、ARレヘマーンとヒメーシュ・レーシャミヤーが分担して作曲している。作詞もメヘブーブとサミールがそれぞれ担当している。特に耳に残るのはテーマ曲の「Dil Ne Jise Apna Kahaa」。映画館を出た後も頭の中をサビのメロディーがグルグル回っていた。

 「Dil Ne Jise Apna Kahaa」は、暇つぶしやデートのためなら最適な映画だが、特にわざわざ観に行くほどの価値はないかもしれない。決して脳みそを使って観てはいけない映画だ。