グジャラート州旅行中、ブジの繁華街にあるモダン・トーキーズで、2003年8月15日公開の「Tere Naam」が上映されていた。グジャラート州を旅していると、僕を見て「Tere Naam」というインド人があまりにも多いので、いっちょ見てやろうかという気分になった。夜9時半からの回を見た。バルコニー席で20ルピー。モダン・トーキーズは300人くらいが入れる中規模の映画館で、床にゴミが散らばっていたりして非常に汚なかった。映像もスクリーンも質が悪い。観客は若い男ばかりで、意味もなく盛り上がっていた。
「Tere Naam」は「君の名前」という意味。監督はサティーシュ・カウシク。主演はサルマーン・カーンとブーミカー・チャーウラー(新人)。他に、サチン・ケーデーカル、ラヴィ・キシャンなど。マヒマー・チャウダリーが特別出演。
舞台はアーグラー。ラーデー(サルマーン・カーン)は大学を卒業しても仕事をせずに大学近辺に友達とたむろって、大学生たちにちょっかいを出しているような男だった。喧嘩っ早くて腕っ節が強いが、正義感も人一倍強く、近所の人々から畏怖されていた。 ある日、町の寺院のブラーフマンの娘のニルジャラー(ブーミカー・チャーウラー)が大学に通い始めた。早速ラーデーに目を付けられて呼ばれる。ニルジャラーは信心深くて大人しい女の子で、ラーデーは彼女を非常に気に入る。ある日ラーデーはニルジャラーにプロポーズして、無理矢理「OK」ということにして去ってしまう。 ニルジャラーにはラーメーシュワルというブラーフマンの許婚がいた。ラーデーはラーメーシュワルにニルジャラーから離れるように脅す。ニルジャラーは何度もラーデーが暴力を振るうのを見るにつけて彼から距離を置くようになり、遂に「私に関わらないで!」と彼に絶交を言い渡す。 そのときちょうどニルジャラーの姉が帰って来ていた。彼女は結婚していたが、結婚先の家族がダウリーをさらに求めて彼女を追い出したのだった。偶然彼女と知り合ったラーデーは、彼女をニルジャラーの姉とは知らずに助け、結婚先の父親を脅して彼女を連れ戻させた。 ニルジャラーはラーデーが本当は優しい心を持っている人だということを知り、彼に心を開く。ラーデーも喜び、意気揚々とバイクで駆け回っていたが、そのとき彼に因縁をつけたマフィアたちに囲まれてリンチを受ける。ラーデーは重傷を負い、特に脳に損傷を受けた。ラーデーは植物人間のようになってしまい、精神病院に入れられた。医者もラーデーの治療を諦めたが、ひとつだけ解決法を提示する。それはアーユルヴェーダで精神病の患者を治療するスワーミーだった。ラーデーの両親は藁にもすがる思いでラーデーをスワーミーのアーシュラムに入れる。 アーシュラムでもラーデーはボーッとして過ごしていた。しかしスワーミーの治療とニルジャラーの祈りが功を奏し、遂にラーデーは正気を取り戻す。しかしスワーミーのアーシュラムはまるで監獄で、そこから抜け出すのは困難だった。 その頃、ニルジャラーとラーメーシュワルの結婚式が行われていた。ラーデーはアーシュラムの警備員から逃れつつ、夜通しで走ってニルジャラーの家まで辿り着く。しかしそこで行われていたのはニルジャラーの葬式だった。ニルジャラーはラーデーを愛するあまり自殺をしてしまっていた。傷心のラーデーは再びアーシュラムに連れ戻された。
噂通りの駄作だった。前半部分のラーデーのダーティーヒーローぶりは爽快だったが、彼が脳を損傷してからのストーリーは悲しすぎるし粗雑すぎる。ヒロインのブーミカー・チャーウラーもかわいくない(テルグ映画界の有名な女優のようだが、これがヒンディー語映画デビュー作になる)。だが、こんな駄目映画が地方で堂々とヒットを飛ばしているということの意味をよく考えなければならないだろう。
デリーに住んで高級映画館ばかりでヒンディー語映画を鑑賞していると、ヒンディー語映画の重要な側面を見失う恐れがある。確かに最近のインド映画には、国際的レベルに達しているものが出てきている。そのような映画は、映画祭に出品されるような映画と同じ土俵で真面目に批評をすることが可能である。だが一方で、インド人から根強い人気を得ているのが、この「Tere Naam」のようなカリスマ的アクションヒーローまたはコメディーヒーローの一人舞台のような映画である。現在のヒンディー語映画界で言ったら、サニー・デーオール、サンジャイ・ダット、サルマーン・カーンなどの筋肉系男優や、ゴーヴィンダーのようなコメディアンが出演する映画にこのようなものが多い。ストーリーは単純明快、アクションシーン満載でお色気シーンもあり、勧善懲悪や権力への怒りなどがテーマになっていることが多い。このような映画はデリーのような都市部ではあまりヒットしない代わりに、地方で長々とロングラン・ヒットを飛ばす傾向にある。やはりその人気を支えているのは、低所得肉体労働者たちが多いと思われる。1日の仕事を終えた労働者たちが、身体を休めながら仲間たちとワイワイ言って楽しむために打ってつけの映画だからだ。10代前後の子供たちにとっても、そういう単純な映画が一番面白く感じるだろう。そして彼らには、怒りと暴力で悪を粉砕し、正義を貫く「頼れる兄貴分」みたいな存在が待望されているように感じる。「Tere Naam」でもサルマーン・カーンの登場シーンでは拍手喝采が沸き起こり、ミュージカル・シーンではみんなで合唱していた。インドの映画館の典型的な盛り上がり方である。実はデリーではもうこのような熱気に包まれる映画館は少なくなっている。都会に住んでいると、徐々にみんな大人しくなるようで、静かに鑑賞している人が多い。高級映画館などでは口笛を鳴らしたりする人は稀で、一番うるさいのはペチャクチャしゃべってゲラゲラ笑い合っている若い女の子のグループだったりする。
「Tere Naam」ではいくつか特定できたロケ地があった。アーグラーが舞台だったため、タージ・マハルやアーグラー城が映っていた他、デリーのプラガティ・マイダーン、プラーナー・キラーや、グルガーオンのシティセンターがミュージカルシーンで使われていた。また、映画中もっともヒットしていると思われる「Oodhni」は、なんとこのブジでロケが行われたようだ。しかも震災前である。震災で崩壊する前のチャトリーなどを見ることができる。今とは全然違って完全な形を保っていた。本当にきれいに倒壊してしまったんだなぁと思った。
サルマーン・カーンは影のあるヒーローという感じで、けっこうかっこよかった。演技もなかなかよかった。誰が考えたのか知らないが、真ん中で2つに分けたセミロングの髪型が特徴的で、これが現在の僕の髪型に似ているため、多くのインド人から「Tere Naam」と言われている。そういえばギルナール山で「ラーデー」、「ラーデー兄貴」とも呼ばれていて、何のことだろうと思っていたのだが、やっぱり「Tere Naam」の主人公の名前だった。