最近デリーの人々もリッチになってきて、週末ともなると南デリーの中心的なシネマコンプレックス、PVRアヌパム4は常に満員状態である。今日は2003年8月1日に封切られた映画「Hungama」を見にPVRまで行った。噂によるとなかなか面白いらしい。中には「Koi… Mil Gaya」(2003年)よりも面白いと言う人もいる。やっぱりチケット入手は困難で、深夜10:55の回の席がやっと手に入った。
「Hungama」とは「大騒動」みたいな意味。監督はプリヤダルシャン。主演はアクシャイ・カンナー、アーフターブ・シヴダーサーニー、リーミー・セーン(新人)。その他、個性的な脇役陣が勢揃い。パレーシュ・ラーワル、シャクティ・カプール、ラージパール・ヤーダヴ、ラザーク・カーンなどなど。登場人物が多くて複雑に絡み合っている上に、アンジャリーという同名の登場人物が2人おり、相当なヒンディー語の力がないとストーリーを追うのが難しいかもしれない。だがよくできたコメディー映画だった。
アンジャリー(リーミー・セーン)は強制的なお見合い結婚から逃げるために村からムンバイーにやって来て職を探していた。一方、ナンドゥー(アーフターブ・シヴダーサーニー)はミュージシャンになるのを夢見ていたものの、日々の生活にも困るほど困窮していた。とりあえず二人は安い住居を探しており、いい物件を見つけたのだが、そこは既婚の男女のみ住むことが可能だった。犬猿の仲だったアンジャリーとナンドゥーは仕方なく夫婦の振りをしてひとつ屋根の下に住むことになった。 ジートゥー(アクシャイ・カンナー)は何か大きなことをしようとしていたが資金がなかった。親はお金の余裕があるものの、ケチで何も手助けをしてくれなかった。「泥棒をしてでも稼げ」という親の忠告に従って、ジートゥーは親からお金を盗み、電器屋を立ち上げた。 ラーデーシャーム・ティワーリー(パレーシュ・ラーワル)は誰もがその名を知る大金持ちだったが、ムンバイーに邸宅があるにも関わらず田舎から一歩も出ようとしなかった。しかしジートゥーの両親のアドバイスに従ってムンバイーに住むことになった。ところがムンバイーの家にはアニル(サンジャイ・ナルヴェーカル)が内緒で住んでいた。アニルは自分のことをラーデーシャームの息子と詐称して、マフィアのドン、カチュラーセート(シャクティ・カプール)の娘マードゥリーと婚約していた。アニルはラーデーシャームが戻ってくると知るや否や、駅前のウェルカムロッジに逃げ込む。 アンジャリーは求職のためにラーデーシャームの屋敷を訪れる。そのときたまたま来ていたジートゥーは、アンジャリーをラーデーシャームの娘と勘違いする。その後偶然アンジャリーはジートゥーの電器屋に求職しに訪れる。ジートゥーは彼女が社会勉強をするために仕事を探していると思い込み、逆玉の輿を狙って彼女を採用して、必死にアプローチするようになる。アンジャリーもせっかく職が手に入ったので、真実を黙っている。毎日ジートゥーはアンジャリーをラーデーシャーム・ティワーリーの家に送っていくため、アンジャリーはジートゥーが去るまでラーデーシャームの家の庭の中に隠れる羽目に陥った。 ムンバイーに来た途端、ラーデーシャームの妻アンジャリー(ショーマー・アーナンド)は急にモダン化し、社会活動やらディスコやら社交界やらに関わるようになり、全く変わってしまった。毎日ジートゥーはアンジャリーを送ってラーデーシャームの家に来るため、やがてラーデーシャームは妻アンジャリーが電器屋のジートゥーとできているのではないかと勘ぐり、一方ミセス・アンジャリーはラーデーシャームがアンジャリーとできているのではないかと勘ぐるようになった。また、カチュラーセートがラーデーシャームの家を訪れ、自分の娘マードゥリーとラーデーシャームの息子(実はアニルである)が婚約したことを報告したため、さらに話はこんがらがる。ラーデーシャームはロンドンに留学中の一人息子を呼び戻すが、それはマードゥリーと婚約した男ではなかった。カチュラーセートは別の息子はどこだ、と詰め寄る。ラーデーシャームは口からでまかせを言って「別の息子は今どこかに隠れている」と叫ぶ。 ナンドゥーとアンジャリーは毎日小競り合いを繰り返しながらも何とか同じ家で暮らしていた。その内次第にナンドゥーはアンジャリーを恋するようになる。そのときアンジャリーの田舎から、親が勝手に決めた婚約者ラージ(ラージパール・ヤーダヴ)が、アンジャリーに会いにムンバイーにやって来ることになる。ラージは少し頭のおかしい男だった。ナンドゥーはラージをうまく罠にはめて脅し、駅前のウェルカムロッジに閉じ込める。アニルを探していたカチュラーセートはウェルカムロッジにアニルがいることを突き止めてリンチをするが、間違ってラージをリンチしていた。おかげでラージは完全に狂ってしまった。 遂にラーデーシャームと妻アンジャリーとの仲は決裂寸前となり、ジートゥーの両親も立ち会って何とか話し合いで解決することにする。まずはラーデーシャームが妻アンジャリーの愛人だと疑う電器屋のジートゥーが呼ばれる。自分の息子がアンジャリー夫人の愛人だったことに仰天する両親だが、ジートゥーはラーデーシャームの娘のアンジャリーを愛していると主張する。今まで一人しか息子がいないと思われていたラーデーシャームに次々と隠し子の存在が明らかになり、今度はラーデーシャームの立場が危うくなる。そこでアンジャリー夫人がラーデーシャームの愛人と疑う女が呼ばれた。それはアンジャリーだった。アンジャリーは全てを告白する。これで解決したと思われたが、そこへカチュラーセートが現れる。カチュラーセートはそこにいた人々を連れ去り、どこかの倉庫でラーデーシャームを殺害しようとするが、そこへ頭の狂ったラージが突っ込んできて、しかもなぜか偶然大家に追いかけられていたナンドゥーもそこへ居合わせ、大騒動となる。 大騒動の中、ナンドゥーとアンジャリーは結婚することに決まり、ジートゥーに見送られながら倉庫を去って行った。
あらすじをまとめるのが難しい映画だったが、よくできた脚本だと思った。脚本、監督はプリヤーダルシャン。あまり彼の映画は見たことがない。2000年に「Hera Pheri」というコメディー映画を作っている。コメディーが得意な人なのだろうか。もう腹がよじれるほど笑える映画で、確かに面白い映画だった。しかしナンドゥーとアンジャリーの恋愛の描き方が少し性急すぎたことは否めない。最後の終わり方も、ちょっと解せなかった。純粋なコメディー映画として見るのが正解だろう。
もし無理矢理この映画から何か深いメッセージを読み取ろうとするなら、田舎からムンバイーに出てきたラーデーシャーム・ティワーリーとその妻アンジャリーの変貌の意味だろう。田舎に住んでいたときは、2人の間に何も争いごとはなかった。平穏な生活を送っていた。ところがムンバイーに出てきた途端、アンジャリー夫人は急に色気づいて、いろんな活動・交流に積極的に関わるようになる。そして夫婦の間に溝ができる。そして一度この都会の罠にはまったら、二度と元の生活には戻れない。インドの諺に「空っぽの頭に悪魔が住む」というのがある。暇人ほど悪いことをしがちだ、といいう意味だ。だが、忙しい生活というのもまた心を狭くし、人間関係をギクシャクしたものにするものだ。ラーデーシャーム役のパレーシュ・ラーワルはとてもいい俳優で、よくインド映画に出ている。今回はブラジバーシャー(ヒンディー語の方言)のような訛ったヒンディー語と、古典劇のような大袈裟な台詞回しが壺にはまった。
リーミー・セーンは新人女優ながら、物語の核となる重要な役を演じていた。顔は少し角ばりすぎだと思ったが、表情豊かだし踊りも下手ではなかったので、これから頑張れば2流女優ぐらいにはなれるだろう。
アクシャイ・カンナーの演技からは余裕が感じられてよかった。が、頭髪は前にも増してギリギリになって来てしまった。途中、ミュージカルシーンでアンジャリー夫人(ショーマー・アーナンド)と踊るシーンがあるのだが、当然のことながら「Dil Chahta Hai」(2001年)を想起させた。おばさんとの恋愛がアクシャイ・カンナーの十八番になってしまったのか・・・。アーフターブ・シヴダーサーニーはどうも好きになれない。なぜいつも無精ひげを生やしているのだ?お坊ちゃん顔にワイルドさを加味しようとしているのだろうか?
コメディー映画や、インド映画のコメディーシーンを見るたびに思うのだが、ギャグというのは、どれだけ現地の言葉を理解しているかが測られるのと同時に、どれだけ現地の文化が身に染み付いているかが容赦なく明らかにされるものだ。つまり、どっぷりとインドにはまればはまるほど、身体の中のインド人度が上昇すればするほど、インド映画で笑うことが可能となる。今回はなかなか笑うことができて、そういう自分にも満足できた。