19世紀、芸術の都ラクナウーを生きたタワーイフ(芸妓)を往年の名女優レーカーが演じた傑作「Umrao Jaan」(1981年)は、21世紀に入り、アイシュワリヤー・ラーイ主演で「Umrao Jaan」(2006年)として作り直された。社会の影の部分で生きる女性たちを追った映画というのはいつの時代にも人気で、同様の映画は多い。
現代の「Umrao Jaan」ともいえる作品が、マドゥル・バンダールカル監督の「Chandni Bar」である。かつてムンバイーのナイトライフを象徴したダンスバーの踊り子を主人公にした映画だ。2001年9月28日に公開され、大ヒットした上に、評論家からも絶賛を浴びた。バンダールカル監督はこの映画をきっかけに時代の寵児となり、主演タブーのキャリアにとっても重要な転機になった。このときのタブーはメインストリーム映画で既に「Dil To Pagal Hai」(1997年)や「Biwi No.1」(1999年)などのヒット作を飛ばしていたが、同時に「Astitva」(2000年)やこの「Chandni Bar」で見せたシリアスな演技が評価され、美貌と演技力が揃ったオールラウンダーとしてもてはやされるようになる。
一度鑑賞したことはあったが、2022年12月4日に再度見直し、このレビューを書いている。
前述の通り、監督はマドゥル・バンダールカル、主演はタブー。他に、アトゥル・クルカルニー、ラージパール・ヤーダヴ、シュリーヴァッラブ・ヴャース、ヴィナイ・アープテー、アナンニャー・カレー、ウペーンドラ・リマエー、マノージ・ジョーシー、スハース・パルシーカル、アバイ・バールガヴァなどが出演している。
時は1985年、ウッタル・プラデーシュ州スィータープルで生まれ育ったムムターズ(タブー)は、コミュナル暴動で両親を亡くし、唯一の身寄りである叔父のイルファーン(スハース・パルシーカル)と共に、遠い親戚イクバール・チャムリー(ラージパール・ヤーダヴ)を頼ってムンバイーに出て来る。イクバールはムムターズに、ヘーグデー・アンナー(アバイ・バールガヴァ)が経営するビールバー「チャーンドニー・バー」での踊り子の仕事を紹介する。ムムターズは嫌がったが、イルファーンが仕事を見つめるまでと言われ、渋々引き受ける。ムムターズは先輩の踊り子たちに温かく迎えられながら、バーダンサーの仕事を覚えていく。イルファーンにレイプされたことをきっかけにムムターズは自宅よりもチャーンドニー・バーの方に心の拠り所を求めるようになる。 ムムターズはゴロツキのポーティヤー・サーワント(アトゥル・クルカルニー)に見初められ、彼と結婚し、2人の子供、アバイとパーヤルをもうける。ムムターズは結婚を機にバーダンサーの仕事を辞める。だが、ポーティヤーは警察の情報屋を抹殺したことでガーイクワード警部補(ヴィナイ・アープテー)に目を付けられ、逮捕される。ポーティヤーのボスであるハビーブ・バーイー(シュリーヴァッラブ・ヴャース)が警察と相談し、ポーティヤーは犠牲になることが決められる。その後、ポーティヤーはフェイク・エンカウンターで警察に殺される。 ムムターズは2人の子供を育てるため、チャーンドニー・バーにバーダンサーとして戻る。長男のアバイは勉強が得意で、弁護士になりたいと言っていた。長女のパーヤルは踊りに興味を持つが、ムムターズは彼女をバーダンサーにしたくなかったため、踊りを禁じていた。 時は2000年。アバイは、近所の友人が犯した犯罪に巻き込まれ、少年院に入れられる。そこで不良少年たちにレイプされ、トラウマを負う。ムムターズはアバイを釈放させるため、強力な人脈を持つチャンドラカーント・バーウー(マノージ・ジョーシー)に75,000ルピーを支払わなければならなくなる。ムムターズはイルファーンの手配により売春をし、金を稼ぐ。一方、母親と兄の窮状を知ったパーヤルは無断でチャーンドニー・バーへ行き、母親と同じバーダンサーとしてデビューし、金を稼ぐ。 ムムターズとパーヤルのおかげでアバイは釈放される。だが、少年院での屈辱を忘れていなかったアバイは、悪友から銃を借り、自分をレイプした不良少年たちが釈放されたところを見計らって彼らを殺す。ムムターズは息子の凶行を呆然と眺め、泣き崩れる。
田舎町出身の純粋無垢な少女が、両親の不幸をきっかけにムンバイーに出て来てバーダンサーになるが、不幸の連鎖が続き、その不幸は子供の代にまで影響するという悲劇である。マドゥル・バンダールカル監督は、その後の彼の作品と同様に、実際にバーダンサーとして働く人々に聴き取りをし、彼女たちの人生に起こったリアルな出来事を練り合わせてひとつの映画に仕上げた。バンダールカル映画はこのときまでに既に2本の映画を撮っていたが成功はしていなかった。彼が実質的に現在の作風を作り上げる起点になったのは、間違いなくこの「Chadni Bar」である。
主人公ムムターズの人生の転落は、コミュナル暴動に巻き込まれて両親を亡くしたことから始まる。ムムターズの生まれ故郷であるウッタル・プラデーシュ州スィータープルは実在の地名であるが、1985年にこの街でコミュナル暴動が起こったという記録は見つからなかった。実際の事件として近いのは、1985年のグジャラート州暴動や1980年のモラーダーバード暴動であるが、この点はフィクションと考えていいだろう。とにかく、イスラーム教徒である主人公は、イスラーム教徒に対する殺戮から逃れるため、叔父イルファーンと共にムンバイーへ向かうことになる。
ムムターズが頼りにしたイルファーンは良心的な人物ではなかった。彼はムムターズをバーダンサーにする。自分の仕事が見つかるまでと言って渋る彼女を説得するが、結局彼はろくに職探しもせず、ムムターズの稼ぎを酒に費やしていた。しかも、ある晩に酔っ払って彼女を強姦する。
皮肉なことに、最初はいやいや始めたバーダンサーの仕事だったが、叔父に強姦され自宅が安寧の場でなくなったムムターズにとって、ダンスバー「チャーンドニー・バー」が心の拠り所になる。同僚のバーダンサーたちもムムターズの親友になった。
ここまでは、意外にもバーダンサーに身を落とした主人公を必ずしも不幸のどん底に陥れていなかった。両親を失い、未知の土地で社会的に差別されがちな職業に就き、身内から裏切りに遭うものの、新たな仲間と出会い、バーダンサーの仕事にも慣れてきていた。また、ゴロツキではあるものの、ポーティヤーという一人の男性から愛情を注がれ、結婚してバーダンサーを卒業し、子供をもうけることもできた。どんな状況にあっても、自分を世界一の不幸者と考えて絶望せず、とにかく歯を食いしばってでも生き抜いていけば、いつかはその不幸のトンネルを抜け、幸せな瞬間が訪れることを示唆していた。
しかしながら、終盤は一気にバッドエンディングへ向かう。まず、ポーティヤーが警察に殺され、ムムターズには頼れる人がいなくなる。食い扶持を稼ぐため、ムムターズはバーダンサーに復帰する。何とか女手一つで2人の子供を育て上げるが、ゴロツキとバーダンサーの子供という烙印は一生付いて回った。長男アバイは犯罪に巻き込まれて少年院に入れられるし、長女パーヤルはムムターズの意に反してバーダンサーになる。最後にアバイは拳銃で自分を強姦した少年たちを撃ち殺し、完全な犯罪者になってしまう。結局、一度でもバーダンサーのような社会的に蔑まれる仕事に就いてしまうと、その後にどれだけ努力しても、まともな人生を送ることはできないし、子供にもその悪影響が続いていくことが示されていた。そういう意味では後味の悪い映画である。
「Chandni Bar」の美点は、バーダンサーたちの間で交わされる生き生きとした会話だ。ムンバイーの下層民が使うムンバイヤー・ヒンディーを駆使し、流れるように顧客の愚痴や権力者への悪態などを口にする。バーダンサーたちは皆それぞれに不幸を背負っており、時にはそれを思い出して涙するが、それでも毎日を生き抜くために、自分の不幸を笑い飛ばすタフさを持っている。そして仲間に何かがあれば、迷うことなく救いの手を差し伸べる。当初は上品な話し方をしていたムムターズも、バーダンサーとして働く内に、いつの間にかムンバイヤー・ヒンディーを身に付ける。このリアルなやり取りは、当時としては非常に新鮮だった。
主演タブーの演技は絶賛に値する。数奇な運命によりバーダンサーになった女性を、緩急自在に演じ切った。「Umrao Jaan」のレーカーや「Chameli」(2004年)のカリーナー・カプールに代表されるように、演技派を目指す女優はそのキャリアの中で必ず一度は娼婦やバーダンサーなど、性を商品にする底辺の女性役を演じたがるものだ。そしてそれに成功することで、演技派女優としての名声を獲得する。タブーにとっても、演技派女優としての成長の過程で「Chandni Bar」への出演は必然であったと考えられる。タブーのキャリアを変えた作品だ。
タブーの他にもいい俳優が出演している。ポーティヤーを演じたアトゥル・クルカルニーはまだこの頃それほど有名な俳優ではなかったが、印象的な演技をしており、その後の活躍の土台を作った。ラージパール・ヤーダヴは、コメディアン俳優としてのイメージが強いが、シリアスな役柄を演じられる才能ある俳優であり、今回は彼のコメディアン俳優以外の一面を見ることができる。やはり彼にとってもこの映画は転機のひとつになったはずだ。アナンニャー・カレーやマノージ・ジョーシーなどもまだ駆け出しの頃だが好演している。
1985年から2000年にかけての物語で、各時代はチャーンドニー・バーで流れる映画音楽である程度表現されている。例えば1985年のシーンでは「Qurbani」(1980年)の「Laila O Laila」、2000年のシーンでは「Hum Dil De Chuke Sanam」(1999年)の「Nimbooda」が使われていた。ただ、1970年代のヒット曲もいくつか使われており、必ずしも当時最新のヒット曲が流れているわけではない点は逆にリアルだった。また、チャーンドンー・バーの壁に貼られた俳優たちの写真も時代を表していた。1985年のシーンではアニル・カプール、2000年のシーンではリティク・ローシャンが貼られていた。
「Chandni Bar」は、実際の事件をもとにリアリズム映画を作ることで一世を風靡したマドゥル・バンダールカル監督の出世作として重要な作品である。また、主演のタブーにとってキャリアの転換点になった記念すべき作品でもあるし、アトゥル・クルカルニー、ラージパール・ヤーダヴなど、2000年代を代表する曲者俳優たちも初々しい演技を見せている。さらに、一般的な娯楽映画の作りではないこのような作品が興行的にヒットしたことは、時代の変化を感じさせる出来事でもあった。2001年のヒンディー語映画界は話題作が多く、どうしても埋もれてしまいがちだが、ヒンディー語映画史を語る上で非常に重要な一本である。