Chori Chori Chupke Chupke

3.5
Chori Chori Chupke Chupke

 21世紀に入り様々なテーマの映画が作られるようになった中で、生殖にまつわる際どいテーマの映画にも挑戦が始まった。性教育、若年妊娠、精子ドナー、勃起不全など、多くの映画が作られたが、代理母出産もひとつの大きなテーマである。「Filhaal」(2002年)や「Mimi」(2021年)が代表例だが、代理母出産を取り上げたヒンディー語映画として必ず名前が挙がるのが、2001年3月9日公開の「Chori Chori Chupke Chupke(こっそり内緒で)」である。この映画で語られるのは、厳密な医学的意味での代理母出産ではないのだが、妻以外の女性に子供を産んでもらうという点は変わらない。2022年6月22日に改めて鑑賞した。

 監督はアッバース・マスターン。「Ajnabee」(2001年)より先に公開されているが、どうも撮影は「Ajnabee」の方が先のようである。主演はサルマーン・カーン、ラーニー・ムカルジー、プリーティ・ズィンター。当時サルマーンは既に大スターであったが、ラーニーとプリーティは二人とも1998年にヒット作を飛ばして勢いに乗っており、同期と呼ぶことも可能だ。「Chori Chori Chupke Chupke」では勢いのある彼女たちの姿を見ることができる。

 その他のキャストには、アムリーシュ・プリー、ファリーダー・ジャラール、ダリープ・ターヒル、ジョニー・リーヴァル、プレーム・チョープラーなどがいる。音楽はアヌ・マリクである。

 舞台はデリー。大富豪カイラーシュナート・マロートラーの孫ラージ(サルマーン・カーン)はプリヤー(ラーニー・ムカルジー)と出会い、恋に落ちる。すぐに二人の結婚式が行われ、間もなくプリヤーは妊娠する。カイラーシュナートはじめ、マロートラー家の人々は大喜びする。ところが事故によりプリヤーは流産してしまい、しかも子宮摘出をしなければならなかった。プリヤーは子供を産めなくなるが、ラージはそれを家族には黙っていた。

 プリヤーはラージに再婚を進めるが、ラージはそれを拒否する。その代わり、代理母を探すことにする。ラージはムンバイーでマドゥ(プリーティ・ズィンター)という売春婦と出会い、彼女に子供を産んでもらうことにする。ラージとプリヤーは空港でマドゥと落ち合い、そのままスイスへ出掛ける。

 間もなくマドゥはラージの子を宿す。喜んだラージはカイラーシュナートにプリヤーが妊娠したと報告する。カイラーシュナートたちがスイスまで来てしまったため、プリヤーは妊婦の振りをし、本当に妊娠しているマドゥは友人だと紹介する。天涯孤独の身だったマドゥはマロートラー家に温かく迎え入れてもらい感激する。また、次第にラージに恋するようになる。

 出産前の儀式がデリーで行われることになり、ラージとプリヤーはマドゥも連れて帰国する。そこでマドゥはプリヤーの振りをして儀式に参加するが、次第に自分のお腹の子供は自分のものだと思い始め、お金を置いて逃げ出してしまう。プリヤーは彼女を追い掛け、その後をラージが追う。マドゥは子供をプリヤーに渡すことを拒否するが、そのとき産気づき、病院に搬送される。そして元気な男の子を産む。考えを変えたマドゥはその男の子をプリヤーに渡し、マロートラー家の人々には自分の子供は出産直後に死んだと報告する。

 1990年代特有の、とにかく幸せがこぼれ出てくるような家族劇の雰囲気で映画は始まる。悪役らしき悪役がおらず、御曹司の結婚とその新妻の妊娠がトントン拍子に描かれる。ハッピーエンディングならぬハッピービギニングである。

 しかし、妊娠したプリヤーが事故で流産してからは、物語がグッとシリアスになる。子供が産めなくなった夫婦が採り得る手段はいくつかあった。養子もひとつの選択肢だった。だが、プリヤーは何としてでもラージの血を受け継いだ子孫をマロートラー家に送りたかった。そのためには自分が犠牲にならなくてはならなかった。まずプリヤーはラージに再婚を進める。これはつまりラージとの離婚を意味する。だが、プリヤーを心底愛していたラージはそれを潔しとせず、代理母の手段を採る。

 代理母出産といっても、「Chori Chori Chupke Chupke」で描かれているのは、受精卵の移植や人工授精を伴う医学的な代理母出産ではない。ラージが売春婦のマドゥと性交をし、自然妊娠させている。当事者である三者の合意の下に行われているが、法律的にはかなりグレーだ。ちなみに「Chori Chori Chupke Chupke」公開時にはまだインドにおいて代理母出産の法整備が整っておらず、たとえ医学的な代理母出産が行われていたとしても、それは違法でないが、適法でもない。公開当時としてはかなりセンセーショナルな内容である。

 ラージとプリヤーは家族に内緒で、スイスにてマドゥに子供を産んでもらおうとする。だが、プリヤーが妊娠したとの嘘の報告を受け取った家族が喜びの余りスイスまで駆けつけてしまったために、真実がばれるかもしれないというリスクを抱えることになる。

 アッバース・マスターン監督はサスペンス映画を得意としており、このハラハラ感を有効活用したストーリーにすることもできたと思うが、「Chori Chori Chupke Chupke」では危ういシーンはほとんど用意されていなかった。マロートラー家のメンバーはプリヤーが妊娠していると信じ込み、マドゥのお腹の子供の父親がラージであるとは全く疑わない。最後の最後でマドゥが子供の引き渡しを拒否し、ラージとプリヤーの計画は暗礁に乗り上げるが、その危機もすぐに克服され、マドゥが産んだ子供はラージとプリヤーのものとなる。やはり、マロートラー家のメンバーは、それがラージとプリヤーの子供であると信じて疑わない。

 このラストには賛否両論あるはずだ。一応、ハッピーエンディングの体裁になっていたが、マドゥの立場から見たらあまりに悲しすぎる終わり方である。むしろ、観客の多くは、マドゥが子供と一緒になる方を応援するのではないかと思う。マロートラー家が大富豪であることも、この終わり方にはかえってマイナスだ。子供を授かるという人生最大の神秘的な出来事すらも金で買ったことになるからである。一方で金のない者は自分が産んだ子供を手放さざるを得なくなる。格差社会を見せつけられてしまう。

 主役三人の中では、最も難しい立場に置かれるマドゥ役を演じたプリーティ・ズィンターの演技がもっとも素晴らしかった。ケバい売春婦の出で立ちで登場し、べらんめえ口調のヒンディー語を話すが、途中から一転して淑女になり、観客の同情を一身に集める存在になる。オーバーアクティング気味だと感じる場面もあったのだが、みずみずしい演技にはついつい目を奪われてしまう。

 「Chori Chori Chupke Chupke」は、代理母出産という際どい問題に触れた珍しい娯楽映画である。サルマーン・カーン、ラーニー・ムカルジー、プリーティ・ズィンターの3人が主役であり、とても豪華だ。だが、エンディングは賛否分かれるはずだ。個人的にも、どちらかといえば、プリーティが演じたマドゥがもっと報われて欲しかった。