
1999年10月7日公開の「Vaastav(現実)」は、ムンバイーで生まれ育ち、トラブルに巻き込まれてギャングになった主人公の映画である。かつてムンバイーのアンダーワールドを支配したドン、ダーウード・イブラーヒームの片腕だったチョーター・ラージャンをモデルにしているとされている。
監督はマヘーシュ・マーンジュレーカル。音楽はジャティン=ラリトとラーフル・ラーナデー、作詞はサミール。主演はサンジャイ・ダット、ヒロインはナムラター・シロードカル。
他に、モホニーシュ・ベヘル、エークター・ソーヒニー、ディーパク・ティジョーリー、サンジャイ・ナールヴェーカル、シヴァージー・サータム、リーマー・ラーグー、ウシャー・ナードカルニー、パレーシュ・ラーワル、モーハン・ジョーシー、アーシーシュ・ヴィディヤールティー、ヒマーニー・シヴプリー、ジャック・ガウル、ガネーシュ・ヤーダヴ、キショール・ナンドラースカル、アチユト・ポートダール、アーナンド・アビヤンカルなどが出演している。また、カシュミーラー・シャーがアイテムナンバー「Jawani Se」にアイテムガール出演している。
ラグナート・ナームデーヴ・シヴァルカル、通称ラグー(サンジャイ・ダット)は、ムンバイーのチャール(集合住宅)に父親ナームデーヴ(シヴァージー・サータム)と母親シャーンター(リーマー・ラーグー)、そして弟のヴィジャイ(モホニーシュ・ベヘル)と共に住んでいた。ヴィジャイは大学を卒業し求職中だったが、ラグーは高校すら卒業できていなかった。ラグーは、チャールに住む若者たちのボス的な存在だった。
見かねたナームデーヴはラグーに4万ルピーを貸し与える。ラグーはそれを資本金としてパーオ・バージー(軽食)の屋台を始め、成功させる。無職のままブラブラしていた仲間たちも屋台で働き稼ぐようになる。ところが、周辺を牛耳るマフィア、フラクチャー・バンディヤー(ジャック・ガウル)に目を付けられ、ケンカになる。ラグーと相棒のデールフティヤー(サンジャイ・ナールヴェーカル)はフラクチャーの弟を殺してしまい、追われる身となる。
同じチャールに住む警察官キショール・カダム巡査(ディーパク・ティジョーリー)はラグーとデールフティヤーを、フラクチャーのライバルギャング、ヴィッタル・カーニヤー(アーシーシュ・ヴィディヤールティー)に紹介する。ヴィッタルは二人を客人扱いし、かくまう。アンダーワールドで尊敬されご隠居的な存在だったスライマーン・バードシャー(パレーシュ・ラーワル)はフラクチャーとヴィッタルの和解を仲介する。ところが和解の場でフラクチャーはラグーを殺そうとし、ラグーは反撃してフラクチャーを殺す。
もはや堅気に戻れなくなったラグーはデールフティヤーと共にヴィッタルの舎弟となり、ムンバイーのアンダーワールドで恐れられる存在に成長する。両親は悪事で稼いだ金品を決して受け取ろうとしなかったが、ヴィジャイはラグーの口利きで就職できる。ヴィジャイは同じチャールに住むプージャー(エークター・ソーヒニー)と結婚する。一方、ラグーは売春街で売春婦ソーヌー(ナムラター・シロードカル)と出会い、入り浸るようになる。あるときソーヌーは妊娠し、ラグーは彼女に堕胎するように言う。ソーヌーは言われた通り堕胎するが、ラグーは彼女との関係を真剣に考え始め、やがて彼女と結婚する。
バッバン・ラーオ・カダム内相(モーハン・ジョーシー)はスライマーンに頼んでラグーを紹介してもらい、彼を自分の手下にする。ラグーはカダム内相の命令に従って殺人やゆすりをするようになる。一方、フラクチャーのギャングでは、フラクチャー・バンディヤーの弟チョーター・フラクチャー(ガネーシュ・ヤーダヴ)が生き残っており、報復の機会をうかがっていた。ヴィッタルはチョーター・フラクチャーのギャングに暗殺され、ラグーも襲撃されて父親が重傷を負う。緊急手術を受けたナームデーヴは危機を脱するが、怒ったラグーとデールフティヤーはチョーター・フラクチャーのギャングを皆殺しにする。
引き続きラグーはカダム内相から受けた仕事を遂行していたが、彼の暗躍は次第に無視できなくなる。とうとうカダム内相は州首相から叱責を受け、ラグーを切ることを決める。ラグーのギャングに対しエンカウンターの命令が下され、デールフティヤーは殺される。ラグーは家族を隠れ家に逃がし、スライマーンの助けを借りてカダム内相をおびき出して殺す。ラグーは家族のもとに戻るが、シャーンターは息子を殺し、苦しみから解放する。
ムンバイーのアンダーワールドを描いた作品だが、悪の美学を礼賛する意図は全く感じられない。むしろ、運命の悪戯によってギャングになってしまった主人公ラグーを通して、システムの腐敗や社会の不条理を浮き彫りにし、アンダーワールドに足を踏み入れてしまって抜け出せなくなった彼の苦悩に焦点を当てている。また、チャールに住む庶民たちの温かい交流と対比する形で、オフィスで働くホワイトカラーの冷たさにも触れている。
ラグーは高校で留年を繰り返す落ちこぼれだったが、チャールの仲間たちからは人望があった。父親もラグーには勉強は向かないと諦め、彼に金を渡して事業を始めさせる。ラグーは意外な商才を発揮して、彼のパーオ・バージー屋台は順調に売上を伸ばしていた。何もなければ彼は真っ当な人生を歩んだはずだった。
ところが、ギャングに因縁を付けられ、仲間を助けるためにラグーはケンカに参戦し、相手を殺してしまう。それは、ギャングのボス、フラクチャー・バンディヤーの弟であり、大ごとになることは避けられなかった。ラグーはフラクチャー・バンディヤーのライバルギャングであるヴィッタル・カーニヤーの庇護下に入り、フラクチャー・バンディヤーを殺した後は、ヴィッタルの舎弟となってアンダーワールドで暗躍し始める。
ラグーがアンダーワールドで名の知れたギャングになるまでの過程は一気に飛ばされるため、彼がどんな気持ちで悪の道に進んだのかは想像するしかない。やはりギャングの一員になると羽振りは良くなるので、物質的な幸福は得られていたようだが、家族からは避けられるようになり、孤独も感じていたはずである。せめてもの家族サービスにということだったのか分からないが、ラグーは影響力を行使して、求職中だった弟ヴィジャイの就職希望先に口利きをする。
単なるギャングだったラグーの地位をさらに引き上げたのがカダム内相だった。彼はラグーを子飼いのギャングに仕立て上げ、政治を有利に進めるために彼を利用する。ラグーも何も考えずにカダム内相の命令に従って殺人やゆすりをしていたが、実際にはそれがムンバイーの平和を乱すことになった。そして、ラグーが必要なくなると、カダム内相は冷酷にも彼を切り捨てる選択をする。ラグーにはエンカウンター命令が出る。
裏切られたラグーはカダム内相に一矢報いるが、部下たちを失い、万事休すとなる。だが、最後に彼にとどめをしたのは母親だった。インド映画では、「Mother India」(1957年)に代表されるように、母親が悪の道には知った息子を自らの手で殺すというプロットがしばしば使われる。「Vaastav」でも、母親は行き場を失って苦悩するラグーを銃殺し、彼を苦しみから解放する。
ラグー役のサンジャイ・ダットは悲劇のギャングをいつになく情熱的に熱演している。これは彼の俳優としての長いキャリアの中でも記憶されるべき名演技だといえる。ムンバイーの下層民が話す独特なタポーリ・バーシャーもお手の物であるし、1993年のボンベイ同時爆破テロへの関与を疑われて逮捕されただけあってアンチヒーロー役も板に付いている。「Vaastav」のラグー役が、後の「Munna Bhai」シリーズ(2003年・2006年)のムンナー・バーイー役につながったのだと思われる。
サンジャイ・ナールヴェーカルが演じたデールフティヤーや、ディーパク・ティジョーリーが演じたキショール・カダム巡査も良かった。リーマー・ラーグーが演じた母親も、ひたすらラグーを信じ、彼の更生を疑わない母親の中の母親だ。その母性があったからこそ、ラストが正当化された。ただ、それ以外のキャラが弱かった。ナムラター・シロードカルが演じたソーヌーは、売春婦ながらラグーとの結婚後は清純派ヒロイン化してしまい、一貫性がなかった。パレーシュ・ラーワルが演じたスライマーンも謎の役柄だった。
その中でもモホニーシュ・ベヘルが演じたヴィジャイが無駄になっていたのが一番残念だった。本来ならばストーリーの中で彼の面白いポジションを大いに活用できたはずである。失業中という点ではラグーもヴィジャイも変わらなかった。だが、高校も卒業できなかった落ちこぼれのラグーとは異なり、ヴィジャイは大学を卒業しており、彼が就職できないというのは大きな社会問題であるはずだった。つまり、彼の存在そのものが若者の雇用創出に失敗している政府への批判だった。ラグーの口利きによって就職したヴィジャイは、意中のプージャーと結婚し、両親を捨てて新居を構えようとしていた。ラグーはそれに反対したが、ラグー自身もギャングであるため両親と同居できず、立場はそう変わらなかった。この点も対比が成立していた。だが、後半になるとヴィジャイの存在感はほとんど無になっていた。ヴィジャイの活用に失敗しており、「Vaastav」のプロットが潜在的に持っていたパワーが失われることになった。
「Vaastav」は、ムンバイーのアンダーワールドは自然発生的に成立しているのではなく、政治や行政の腐敗やさまざまな状況が複合的に折り重なって作られているという現実を示す作品である。主演サンジャイ・ダットの名演が光る。だが、登場人物の設定にムラがあったし、題名で誇示しているほどのリアリズムが必ずしも実現されているわけではなかった。
