Muthu (Tamil)

5.0
Muthu
「Muthu」

 このFilmsaagarはインド映画を専門にするブログであるが、インド映画の中でも特に連邦公用語のヒンディー語で作られた映画をメインフィールドにしている。それは第一に筆者がヒンディー語の専門家であるからで、ヒンディー語以外のインド映画は字幕なしで細かく理解できないからでもある。しかしながら、実は筆者が生まれて初めて観たインド映画はヒンディー語映画ではなかった。南インドのタミル・ナードゥ州で話されているタミル語の映画だったのである。

 インド映画に詳しい人ならば、ここまで読んだところで、そのタミル語映画がどの映画なのか、大抵見当が付くだろう。そう、日本で「ムトゥ 踊るマハラジャ」の邦題と共に1998年6月13日に公開され、第一次インド映画ブームを巻き起こした、タミル語映画界のスーパースター、ラジニーカーントの主演作だ。原題は「Muthu」。インド本国では1995年10月23日に公開された。ちょうどディーワーリー祭に合わせての公開である。ディーワーリー祭の前後には、その年で最大の話題作が公開されやすい。この公開時期から察するに、「Muthu」は当初から大ヒットを期待されていたと推測される。一応ヒット作とされているものの、数あるラジニーカーント主演作の中でも決してトップに入ってくる作品ではない。しかも公開当時、批評家たちからの評判は芳しくなかったとされる。

 やはり、この映画は日本でカルト的な人気を博したことで特別な作品となったといえる。「RRR」(2022年)に破られるまで、「ムトゥ 踊るマハラジャ」が日本で成し遂げた興収4億円は、「3 Idiots」(2009年/邦題:きっと、うまくいく)や「Baahubali 2: The Conclusion」(2017年/邦題:バーフバリ 王の凱旋)を含むどのインド映画も超えられなかった。


 「ムトゥ 踊るマハラジャ」が日本で公開された当時、筆者は東京に住む大学生だった。「ムトゥ 踊るマハラジャ」はまず渋谷のシネマライズで封切られたが、それは筆者の行きつけの映画館でもあった。シネマライズで上映される映画に間違いなし、というのは東京の映画愛好家の中では常識だった。シネマライズで「ムトゥ 踊るマハラジャ」が封切られた意義はとても大きく、筆者も間もなくして、何の前知識もなしに、完全にシネマライズを信頼しきって、この映画を観ることになった。

 シネマライズで上映されている、という事実と共に、ポスターのビジュアルに強く惹かれたのもよく覚えている。「ムトゥ 踊るマハラジャ」を観る目的ではなく、たまたまシネマライズの前を通りかかったところポスターが目に入り、何となく観てみようと思って映画館に入ったのだった。今から思えば、主演のラジニーカーントを差し置いてヒロインのミーナが前面に押し出されているという、タミル・ナードゥ州では絶対に有り得ない構成のポスターだったが、インド映画に対して何の知識も持ち合わせていない日本人観客を引き寄せるには一定の効果を発揮したといえる。

ムトゥ 踊るマハラジャ
「ムトゥ 踊るマハラジャ」ポスター

 「ムトゥ 踊るマハラジャ」の体験は、筆者の映画人生を変えたばかりか、人生そのものさえも変えてしまった。それほどの衝撃だった。昔から映画はよく観ていたが、「ムトゥ 踊るマハラジャ」を観たことで、今まで観てきた映画は映画ではなかったと感じた。「ムトゥ 踊るマハラジャ」こそが真の映画だと感じた。

 筆者が「ムトゥ 踊るマハラジャ」を観たのは、まだ封切りから間もない時期であった。現代ほど口コミがSNSによって一気に拡散するということも少なく、観客も初見ばかりだったと見える。映画が始まって最初の数分間は、失敗したかな、という嫌な予感が胸に去来していた。いきなりマハートマー・ガーンディーの肖像が登場し、一昔前のTVゲームのような安っぽいコンピューターグラフィックスで何だか分からない「SUPERSTAR」の賞賛が行われ、やたら古臭い映像から本編が始まった。明らかにいつものシネマライズ作品のノリではない。遂にシネマライズに裏切られたのかもしれない。その場にいた他の観客からも同じような落胆が滲み出ているのが分かり、映画館には冷ややかな空気が充満していた。

 だが、映画が進行するにつれて、映画にグイグイと引き込まれていった。真面目にやっているのか、ふざけてやっているのか、判別が付きにくいところがあったが、これはこういうもので、笑うところは笑っていいのだ、と感じるようになった。いや、正直いって、ラジニーカーント演じるムトゥの導入ソングシーンである「Oruvan Oruvan」で既にやられていたかもしれない。哲学的かつ啓蒙的な歌詞に、インドの田舎で撮影された前代未聞の映像の数々が組み合わされ、その訳の分からなさに心地よい恍惚さを覚えていた。

 客席からも徐々に笑い声や歓声が漏れ聞こえてくるようになった。中盤のハイライトである馬車が崖を飛び越えるシーンまでには既に観客が一体となっており、拍手喝采でそのあまりにお約束な展開を素直に讃えていた。まるで子供の頃に戻ったかのようだった。映画館の観客というのは、お互い見知らぬ人々がたまたま同じ場所、同じ時間を共有し、映画を鑑賞しているだけだ。各々日々いろいろな日常を過ごし、それぞれの価値観や経験を持ち、異なった期待や異なった悩みを抱えて映画館に映画を観に来ていたはずである。そんなお互い無関係の人々の心を、「ムトゥ 踊るマハラジャ」は大きく包み込んで鷲づかみにし、ひとつにしていた。奇跡的な、神秘的な体験であったし、それが映画が本来持っていた力だと感じた。

 さらに驚いたのはその長さである。映画がいつまで続くのか知らずに映画を見始めてしまっていた。通常の映画の感覚で、そろそろ映画も終わりに近づいたかと思いきや、そこが折り返し地点で、まだまだ先があった。だが、「まだ続くのか」という倦怠感や疲労感は全くなく、むしろ、この極楽のような映画体験がまだまだ続き、「ムトゥ 踊るマハラジャ」の世界にもうしばらく浸れる嬉しさで一杯だった。そんな思いにさせてくれる映画も初めてであった。


 「ムトゥ 踊るマハラジャ」を観たのがきっかけでインド旅行を決め、大学時代に2回インドを旅行した後は、インドに留学することを決めていた。本当はタミル語を学びたかったが、まずはインド人の4割以上が話すヒンディー語をマスターしてからにしようと思い、ヒンディー語語学留学を決めた。

 「Muthu」はそんな特別な映画であるため、2021年にFilmsaagarを立ち上げてからもしばらくは、「Muthu」の映評を改めて書く勇気が出なかった。自分にとってはとても恐れ多いことだった。だが、映評2,000本達成が近づくにつれて、記念すべき2,000本目の映評は「Muthu」にしようと考えるようになった。裏を返してみれば、そのために取ってあったようなものであった。2,000本を目前にして、ようやくこの映画のレビューを書く勇気が出たのだった。

 映評といっても、既に多くのことが日本語でも語り尽くされている映画であるので、日本公開から四半世紀以上が経った後に改めてあらすじを載せたり、評価をする必要はないと感じる。普段の映評とは異なり、思い出話を中心に書かせていただいた。この記事を書くにあたり、2024年6月25日に改めて「Muthu」を見返してみたが、今でも特別な映画であることには全く変わりがなかった。初めてこの映画を映画館で観たときの思い出が思い出されてきて、幸せな気分になった。


 とはいっても、約2,000本のインド映画を観た後に見直すからこそ感じる「Muthu」の感想もあった。改めてこの思い出の作品を鑑賞したことで心に浮かんだことを書き連ねてみようと思う。

 まず、主演ラジニーカーントよりも、彼と共演する俳優たち、そしてエキストラの人々まで、彼らの表情に目が行った。もちろんラジニーカーントは1995年当時からタミル語映画界のスーパースターであった。「スーパースター」というのは彼の愛称であって、その愛称もまだ彼には軽く感じられる。ラジニーカーントはタミル人にとって神に等しい存在だ。その神に等しいスーパースターと共演できる幸せが、彼の周囲でカメラに映る人々全ての表情に表れていた。よく「多幸感」という言葉でインド映画の楽しさが表現されることがあるが、その多幸感は、スーパースターと共演できる幸せを噛み締めて演技している共演者たちからもっとも強く発せられているのではないかと感じた。

 「Muthu」はタミル語映画なのでタミル・ナードゥ州が舞台である。しかしながら、改めて観ると、タミル・ナードゥ州のみならず、南インド各州のエッセンスがバランス良く織り込まれている。

 もっとも明確なのはケーララ州だ。映画の中でムトゥとランガナーヤキ(ミーナ)がケーララ州に迷い込んでしまう場面があるが、これは実際にケーララ州で撮影されていることが、人々の服装や背景の建築から大体分かる。これは南インド各地を実際に旅行したから養われた感覚だ。ムトゥはケーララ州で話されるマラヤーラム語が分からず、とんだトラブルに巻き込まれる。日本人にとっては、州境を少し超えると意思疎通ができないほど言葉が違うのかとカルチャーショックを受ける場面でもある。ただし、実際には、州境に住む人々は両州の言語をどちらも理解することが多い。

 実はカルナータカ州のプレゼンスも強い。ムトゥの父親が住んでいた宮殿は、カルナータカ州マイスールのラリターマハル・パレスだ。現在はホテルになっている。さらに、ムトゥがよく馬車を走らせていた広大な土地は、その特徴的な岩山の景観から、カルナータカ州ハンピー辺りなのではないかと感じた。ただし、撮影は行われたものの、映画の中でカルナータカ州について言及されることはなかった。

 逆に、撮影は行われていないがセリフで言及されていたのがアーンドラ・プラデーシュ州だ。ランガナーヤキの義兄プラタープ・ラーユドゥはアーンドラ・プラデーシュ州の警察官という設定であった。悪役の一人であり、テルグ人とタミル人の間に潜在的に存在するライバル意識を感じ取ることも可能である。

 監督のKSラヴィクマールが実はカメオ出演している。ムトゥがケーララ州に迷い込んだときに出会い、頬にキスをしてくるタミル人だ。こういう小ネタは前知識ゼロの初見時には全く分からないものだが、それが分かると、二重に面白い場面であったことが再発見できる。

 KSラヴィクマール監督の独特の映像表現が感じられるシーンがいくつかあったが、もっとも印象に残ったのは、主要キャラの登場シーンでの、じらしともいえるカメラアングルだ。ムトゥの父親の初登場シーンで使われる一人称視点、アンバラタル(ラーダー・ラヴィ)の登場シーンで使われる水牛ヘッド視点、プラタープ・ラーユドゥの再登場シーンで使われる足のアップなど、その主体の全貌がなかなか披露されないことで、観客の好奇心を上手にくすぐっている。

 やたらと動物が使われているが、これもわざとであろう。庭に象がいるというのは大きなカルチャーショックだが、その他にも馬、孔雀、鶏、牛、山羊など、ありとあらゆる動物が登場し、ストーリーを盛り上げる。インドというと道端に牛が寝そべっているという映像がよく引き合いに出されるが、それどころではない動物王国が突き付けられるのである。それだけでも免疫のない日本人には大きな衝撃であろう。

 「Muthu」は一般に「ラブコメ」のジャンルに分類されるようだ。しかしながら、ロマンスが主軸の映画ではないと感じた。この映画の最後には、ムトゥとランガナーヤキ、ラージャ(シャラト・バーブ)とパドミニ(スバーシュリー)、ヴァラヤパティ(ヴァディヴェール)とラティデーヴィ(ヴィチトラー)という3カップルが成立する。それまでにはラージャがランガナーヤキに片思いし、テーナッパン(センティル)がラティデーヴィに片思いをする。しかしながら、ひとつとして丁寧に恋に落ちる瞬間が描かれていたものはなかった。最初から惚れているか、一目惚れかのほぼ二者択一で、当初はいがみ合っていたムトゥとランガナーヤキが一転して相思相愛になるのも唐突な展開であった。

 それでも、手紙の行き違いを通してこれらのカップルが一ヶ所に集ってしまうコメディーシーンは、余りに古典的であるとはいえ、ついつい笑ってしまう。シネマライズでの初見時にも、手紙が大奥様シヴァカミヤンマル(ジャヤバーラティ)に渡ってしまったところで客席から「あぁ!」という悲鳴が上がったのを昨日のことのように覚えている。そういう意味では、コメディーに限りなく振った「ラブコメ」といっていいかもしれない。

 とはいっても、映画全体を貫くのは、ラージャに対するムトゥの強い忠誠心だ。封建主義的といっていいほどだが、そこには友情とも呼ぶべきものが芽生えている。この二人の関係、もっといえばムトゥがラージャに対して抱く一方的な感情が、この映画のあらゆる情感の源泉になっている。この二人の関係をじっくり時間をかけて描き出せていたからこそ、ムトゥとラージャが同じ女性を好きになってしまったことで、観客の心の中に焦燥感とサスペンスの種が植え付けられる。そして、円満な解決を望み、その解決がどう実現されるのかという好奇心から結末まで全く飽きることなく見通してしまう。ムトゥの出生の秘密が白日の下にさらされた後、ラージャとムトゥの関係がどうなったのかは実は映画の結末でははっきり描かれていない。冒頭の「Oruvan Oruvan」が流れてきてお茶を濁されてしまう。しかしながら、悪役だったはずのアンバラタルまでもが笑顔でムトゥを見送っているのを目撃し、全てが一件落着したのだと信じ込まされるのである。

 自殺したラージャシェーカル(ラグヴァラン)、そしてムトゥの父親の在りし日を描いた回想シーンの冒頭で既に死んでいたムトゥの母親を除けば、この映画では死んだ人が見当たらないのは新たな発見だ。悪役として、ランガナーヤキの義兄プラタープ・ラーユドゥ、ラージャの叔父アンバラタル、そして裏切り者のカーリ(プーナムバラム)などが用意されているが、一人として死なない。ムトゥにやり込められ反省し、最後には改心する。暴力はあるものの、死でもって強引に解決しようとしない平和主義的な展開は、「Muthu」の魅力のひとつであろう。


 「Muthu」は、一昔前までなら、インド映画ファンになった日本人の全てが必ず鑑賞していた作品だった。だが、「RRR」が新たなインド映画ファン層を獲得したことで、既に「Muthu」を経ずにインド映画の世界にドップリ漬かっている人も一定数存在するようになっていると思われる。今観ると古めかしい部分があるのは否めないが、やはり押さえておきたい傑作だ。ここから全てが始まったのだ。