
1985年10月4日公開の「Damul」は、硬派な政治ドラマを撮り続けているプラカーシュ・ジャー監督の最初期の作品である。ヒンディー語文学者シャイワール著の短編小説「Kaalsootra」(1976年)を原作にしており、国家映画賞作品賞を受賞したことで、ジャー監督が一躍時の人になった。パラレル映画運動の中で生まれた作品である。
キャストは、マノーハル・スィン、アンヌー・カプール、シュリーラー・マジュムダール、ディープティ・ナヴァル、ピャーレー・モーハン・サハーイ、ブラジ・キショール、ゴーパール・シャラン、ランジャン・カーマトなどである。
題名の「Damul」とは、ヒンディー語で書くと「दामुल」になるが、これは「追放刑」や「終身刑」といた極刑を指す。
1984年。ビハール州のチャインプル村では、長年村長の地位を独占するブラーフマン、マードー・パーンデーイ(マノーハル・スィン)と、ラージプートの顔役バッチャー・スィン(ピャーレー・モーハン・サハーイ)の間で対立が深まっていた。マードーは昔ながらの地主であり、村人たちから慕われていたが、バッチャーは彼の本性を見抜いていた。マードーは用水路を自分の畑の近くに通して利益を独り占めするなど、裏で自分勝手な行動をしていた。バッチャーは状況を正すため村長選に立候補していたが、毎回マードーに負けていた。
次の村長選でバッチャーはチャマール(不可触民)の候補者ゴークル(ゴーパール・シャラン)を立てることにする。村のラージプート票とチャマール票を合わせればマードーに勝てると踏んだのだった。一方、マードーは拳銃を入手するため、腹心プナーイー・チャマールをビラージプルに送った。だが、マードーの弟ラードー(ランジャン・カーマト)はマードーにデマを吹き込み、プナーイーを暗殺する。そして選挙当日、マードーはゴロツキを雇ってチャマールの投票を妨害した。ラージプートも、チャマールの候補者に投票するのを拒否し、結局マードーが勝利した。
再び村長になったマードーはチャマールに対する締め付けを強化した。マードーはプナーイーの息子サンジーヴァン(アンヌー・カプール)から、父親の負債を巻き上げようとし、彼を泥棒扱いした挙げ句、泣きつく彼と契約を結んで彼を手下にしてしまう。また、サンジーヴァンの友人ナギーナーも、牛を盗まれ、盗んだ相手から金を要求されて、争いを仲裁したマードーに借りを作ってしまう。このようにマードーは立場の弱い村人たちを次々に隷属させていた。
その頃、しばらくバナーラスに滞在していた寡婦マハートマーイン(ディープティ・ナヴァル)が帰ってくる。マハートマーインが夫の死後に受け継いだ土地はマードーが横領していた。しかも、彼女はマードーの性のはけ口にされていた。
バッチャーは、貧しい村人たちをパンジャーブ州に送っていた。パンジャーブ州で労働をするとビハール州とは比べものにならないくらいの高給がもらえたのである。だが、村から労働力がいなくなることをマードーやラードーは嫌っていた。あるときバッチャーはチャマールたちの集団をパンジャーブ州に送るが、ラードーによって制止される。そのとき、数人のチャマールが殺される。それでも気の済まないラードーはチャマールの集落に火を付け、殺戮して回った。
バッチャーは、警察を呼んでしっかり捜査を入れようとするが、マードーはバッチャーと密会し、彼の要望を聞き入れる。バッチャーはチャマールたちに警察の前で「盗賊が来た」と嘘の証言をさせる。この出来事は州大臣の耳にも届き、村に州大臣がやって来る。マハートマーインは真実が隠蔽されつつあることに憤り何とかしようとするが、マードーの部下に殺され、その罪はサンジーヴァンになすりつけられる。
サンジーヴァンは裁判で死刑を宣告される。一人残された妻(シュリーラー・マジュムダール)は、夜中にマードーを襲撃し彼を殺す。
パラレル映画は、虐げられた者の窮状を赤裸々に映し出し、ほとんどハッピーエンドを見せない。その代わり、被抑圧者たちの蜂起や反逆の兆しをほのめかし、社会に警鐘を与えるのが一般的だ。「Damul」の構成もまさにそれである。サンジーヴァンが死刑宣告を受けた後、誰もいない家に戻った妻の怨念に満ちた表情が暗闇に不気味に浮かぶ。それだけでも十分に反逆は示されたのだが、プラカーシュ・ジャー監督は妻によるマードーへの報復を描いて見せた。上位カーストや封建領主による横暴がこのまま続けば、社会全体がひっくり返るような大規模な反乱が近い将来起こるであろうことが現実感をもって示されていた。
「Damul」の社会分析がユニークだったのは、物語を上位カーストと下位カーストの間の単純な階級闘争に押し込めていなかったことだ。舞台となるチャインプルでは、「バーマン」と呼ばれるブラーフマン(バラモン)の絶対的な支配が長年続いていた。その中心にいたのが村長のマードーであった。直接的な搾取を受けていたのは、チャマールやパースワーンといった不可触民たちであったが、彼らは教養がなさすぎて自分たちが置かれている現状も、それに対抗する術も知らなかった。むしろブラーフマンの支配を覆そうと躍起になっていたのは、同じ上位カーストであるラージプートのコミュニティーだった。ラージプートの顔役であるバッチャーは、村長選に出馬して村の政治権力を握ろうとするが、ブラーフマンの票田は安泰のようで、なかなか勝てなかった。
そこでバッチャーは、チャマールやパースワーンを候補者に立て、彼らの票を得て選挙に勝とうとする。おそらく、ラージプート、チャマール、パースワーンの人口を足すとブラーフマンよりも多いという計算だったのだろう。だが、バッチャーのこの「ソーシャル・エンジニアリング」戦略が村の秩序に変化をもたらす。選挙では結局、ラージプートのボイコットやチャマールに対する投票妨害などがあったおかげでマードゥーが当選するのだが、マードーによるチャマールに対する搾取はさらに深刻化することになる。
また、もうひとつチャインプル村に訪れていた重要な変化は、パンジャーブ州への出稼ぎ増加であった。当時、パンジャーブ州では食糧自給率上昇を目的にした緑の革命が成功しており、農産物が増産され、労働力が不足していた。農業改革から取り残されたビハール州の貧しい農民たちは、農業労働者となってパンジャーブ州に出稼ぎに押し寄せた。そんな社会変化が「Damul」の物語には盛り込まれている。だが、これも村の中では軋轢を生んでいた。マードーは政府から公共事業を請け負って儲けてもいたが、それには安価な労働力を必要としていた。村からパンジャーブ州への出稼ぎが増えると、外から高価な労働力を持ってこなければならず、取り分が減ってしまう。この現状を熟知していたバッチャーは、わざと貧しい村民たちをパンジャーブ州に送っていた。マードーの弟ラードーは兄よりも血気盛んな性格であり、パンジャーブ州へ行こうとしていたチャマールの集団を力尽くで止めた上に、チャマールの集落を焼き討ちする。バッチャーは、これを好機と捉え、警察を呼んで捜査をさせて、マードーの悪事を白昼の下にさらそうとする。
だが、マードーとバッチャーの対立はここまでだった。マードーはさすがに長年村を支配してきただけあって、ラードーやバッチャーよりも何枚も上手だった。彼は、この事件を隠蔽するため、長年対立してきたバッチャーと手を組む。バッチャーに多くの利権を渡し、今回の件は穏便に済ますように協力を要請する。バッチャーも結局はマードーと同じ穴のムジナであり、利益をぶらさげられたら断る信念を持ち合わせていなかった。チャマールの救世主のような顔をしていたバッチャーは、すぐさまマードー側に立場を変え、焼き討ち事件も外からやって来た盗賊の仕業ということにしてしまう。結局、上位カーストは上位カースト同士で利権を分け合うだけで、不可触民などの下位カーストが搾取される構造は微塵も変わらなかった。
それでも、「Damul」は諸悪の根源であるマードーに一矢報いている。村には、マードーの搾取を受けていたマハートマーインという寡婦が住んでいた。彼女のカーストは不明なのだが、その名前からブラーフマンなのではないかと思われる。彼女はチャマールたちが受けた仕打ちに心を痛め、真実を明らかにしようとする。だが、マードーはその動きを察知し、彼女を殺して、その罪をサンジーヴァンになすりつける。無実のサンジーヴァンは法廷に立たされ、何が何だか分からないまま死刑宣告を受ける。だが、サンジーヴァンの妻は最後にマードーに一撃を喰らわし、虐げられた者はいつまでも黙っていないことを示したのである。
ポスターではマハートマーイン役を演じたディープティ・ナヴァルが中心になっていることが多いが、「Damul」の主人公は彼女ではない。もっとも主人公に近いのはアンヌー・カプール演じるサンジーヴァンだが、もっともセンセーショナルな行動に出るのはその妻だ。ただ、実際には特定の主人公を巡って進行する物語ではなく、チャインプル村に住む複数の住人たちの行動が複線的に取り上げられながら、インド社会の現実が浮き彫りにされていく仕掛けになっている。
ちなみに、プラカーシュ・ジャー監督とディープティ・ナヴァルはこの映画の公開前後に結婚している。
「Damul」は、プラカーシュ・ジャー監督の出世作となった映画だ。ビハール州の農村で今なお根強く残る封建主義的な社会構造や、コミュニティー同士の政治的な駆け引きを映し出し、既得権益層の横暴がいつまでも続かないことを警告している。ジャー監督の作風が早くも既に確立しているのを見ることができる名作である。
