
1975年はインド映画史にとって特別な年だ。なぜなら、不朽の名作として名高いヒンディー語の2作品、「Deewaar」(1975年)と「Sholay」(1975年)が公開されたからである。だが、実はもう1本、「Deewaar」と「Sholay」以上に社会現象を巻き起こした1975年公開の伝説的な映画がある。それが、同年5月30日に公開された「Jai Santoshi Maa」である。サントーシー女神の現世利益を礼賛する低予算B級宗教映画であるが、これがインド人大衆のハートをガッチリと掴み、クチコミがクチコミを呼んで大ヒットに化けたのだ。
「Jai Santoshi Maa」が公開される前、「サントーシー」なる女神は、存在しなかったが、存在したとしても地域限定のごくマイナーな女神だったといわれている。だが、映画が大ヒットしたことにより、インド各地にサントーシー女神寺院が建てられ、既存の寺院にもサントーシー女神の像が祀られるようになった。さらに、劇中に登場した「16金曜日の願掛け」が大ブームになった。これは、連続16週間、毎金曜日にサントーシー女神を参拝し供物を捧げるという祈願方法で、これを完遂できた者の願いは何でもかなうとされた。また、インドでは各曜日に神様が割り当てられているのだが、サントーシー女神登場前までは金曜日が空席だった。そこにサントーシー女神がはまり込んだことで、ヒンドゥー教の7曜日が完成した。サントーシー女神は、「映画が生んだ女神」と呼ばれ、インドならではのユニークな社会現象として社会学者などによって研究対象にもなってきた。
「Jai Santoshi Maa」の監督は新人のヴィジャイ・シャルマー。音楽はCアルジュン、作詞はカヴィ・プラタープ。キャストは、カナン・カウシャル、アーシーシュ・クマール、アニター・グハー、バーラト・ブーシャン、ラジャニー・バーラー、トリローク・カプール、ベーラー・ボース、BMヴャース、ラジャン・ハクサル、マノーハル・デーサーイー、マヒパール、パドマラーニーなどである。
ガネーシャは、2人の息子の「妹が欲しい」という要望をかなえるため、妹を創造し「サントーシー女神」と名付ける。
ソーンプルに住むサティヤヴァティー・シャルマー(カナン・カウシャル)はサントーシー女神の熱心な信者だった。サティヤヴァティーはいい夫に恵まれるようにサントーシー女神にお願いをする。するとすぐに彼女は道端でブリジモーハン(アーシーシュ・クマール)という素敵な男性と出会う。
ブリジモーハンはソーンプルの隣村ミールプルに住むヴャース家の7人兄弟の末っ子だった。上の6人の兄は皆結婚しており、彼だけ独身だった。また、6人の兄は毎日畑仕事をしていたが、ブリジモーハンだけ笛を吹いて遊び歩いていた。母親はブリジモーハンの仕事と結婚に気を揉んでいた。
あるときブリジモーハンはソーンプルの寺院に呼ばれ、サントーシー女神を讃える演奏会を行う。そこでブリジモーハンとサティヤヴァティーは再会し、愛を確かめ合う。その帰り、盗賊に襲われそうになったサティヤヴァティーを通りがかったブリジモーハンが助けた。サティヤヴァティーはブリジモーハンを父親デーヴィーダット(バーラト・ブーシャン)に紹介する。デーヴィーダットもブリジモーハンの人柄を気に入り、ヴャース家に縁談を持ちかける。こうしてトントン拍子で縁談が進み、二人は結婚する。
だが、ブリジモーハンの兄嫁たちは、日頃から義弟が一人だけ遊び歩いていることに不満を持っており、嫁いできたサティヤヴァティーを初日からいじめ出すが、サティヤヴァティーはなかなか夫に相談できず、じっと耐え続ける。
天界では、ナーラダ仙(マヒパール)がパールヴァティー女神、ラクシュミー女神、ブラフマニー女神(パドマラーニー)に、地上でサントーシー女神の人気が高まっており、特にサティヤヴァティーの信仰心がすごいと注進する。彼女たちの夫、シヴァ神、ヴィシュヌ神、ブラフマー神もサティヤヴァティーの敬虔さを褒めそやす。嫉妬した女神たちはサティヤヴァティーにサントーシー女神への信仰を捨てて自分たちを信仰するように強要するが、サティヤヴァティーはそれを断る。そこで女神たちは彼女が不幸に陥るように意地悪する。
ブリジモーハンは家族から「穀潰し」と批判されたことが我慢ならず、仕事を見つけるまで帰らないと宣言して、サティヤヴァティーを置いて一人で出て行ってしまう。彼は舟に乗って河を渡ろうとするが、女神たちの悪戯によって嵐に遭い、溺れてしまう。だが、サントーシー女神は彼を助け、岸まで送り届ける。目を覚ましたブリジモーハンは、サントーシー女神寺院で出会った宝石商(BMヴャース)の命を助け、気に入られて彼の家に住み込みながら宝石商売の仕事をすることになる。宝石商にはギーター(ラジャニー・バーラー)という若い娘がいた。
ブリジモーハンは仕事を覚え、立派な宝石商になる。そろそろミールプルに帰ろうとするが、女神たちが再び介入し、彼の記憶からサティヤヴァティーを消し去ってしまう。元々ギーターはブリジモーハンの気を引こうとしていたが、記憶を失ったブリジモーハンは彼女の愛を受け入れてしまう。
一方、サティヤヴァティーはブリジモーハンが溺れて死んだという知らせを受けても夫が生きていると固く信じていた。ブリジモーハン出奔後、兄嫁たちのサティヤヴァティーいびりは激化し、彼女は乞食同然の生活をしていた。ある日、サティヤヴァティーは自殺を考えるが、ナーラダ仙に止められ、「16金曜日の願掛け」を教えられる。そこでサティヤヴァティーは毎金曜日、サントーシー女神の礼拝を始める。
16回目の金曜日が来る直前、ナーラダ仙は女神たちにサティヤヴァティーの願掛けがもうすぐ完了すると注進する。女神たちはサティヤヴァティーを制止しようとするがサントーシー女神が助ける。こうしてサティヤヴァティーは「16金曜日の願掛け」を完了する。すると、ブリジモーハンはサティヤヴァティーのことを思い出し、ミールプルに帰ると言い出す。宝石商もギーターもそれを受け入れ、彼に報酬を与える。
ブリジモーハンは金銀財宝と共に家に帰ってくる。そして、仕事をして裕福になったことを家族に見せびらかす。サティヤヴァティーがみすぼらしい身なりになっているのを見て驚き、彼女を連れて家を出る。そして、サントーシー女神への感謝を表すため、サントーシー女神寺院を建立する。サティヤヴァティーはブリジモーハンに、家族と仲直りするようにお願いする。ブリジモーハンはそれを喜んで承諾し、落成式に家族を招待する。
意地悪な兄嫁たちは落成式で出された食事に毒を混ぜる。それを食べた子供たちが次々に倒れるが、サントーシー女神の怒りが爆発し、兄嫁たちは病気になる。しかし、サティヤヴァティーの真摯な祈りがサントーシー女神の怒りを静め、子供たちも兄嫁たちも元通りになる。そして人々の前にサントーシー女神が降臨する。人々はサントーシー女神にひれ伏す。
セットや衣装、それに特殊効果はチープで、ストーリーも取って付けたような極端さであるし、俳優たちの演技も大袈裟だ。純粋に映画としての完成度は高くない。だが、音楽が素晴らしく良く、「サントーシー女神を信じる者は救われる」というメッセージも明確である。男性中心の映画が支配的だった時代において、珍しく女性視点の映画であることも無視できないだろう。クチコミからの大ヒットは、決して信心深いインド人の盲目的な信仰心だけに起因するわけではない。この映画には何かがある。そんな感想を抱いた。では、この映画の何がそれほど人を引きつけるのか。非常に分析のしがいのある作品である。
「Jai Santoshi Maa」を熱烈に支持したのは女性観客層だったことは疑いようがない。この映画には、インド人女性観客の心を刺激する要素がいくつもある。まずは何といっても女性視点の映画である点だ。ブリジモーハンも主役と呼べるのだが、物語の中心はサントーシー女神の熱心な信者サティヤヴァティーである。サティヤヴァティーはサントーシー女神への信仰のおかげでブリジモーハンという理想的な男性と出会い結婚できるのだが、婚家で兄嫁たちからいじめに遭い、夫が家出をしてしまった後はまるでシンデレラのような生活を送ることになる。厳密にいえば「嫁姑モノ」ではないが、婚家で女性主人公が夫の家族から理不尽ないじめに遭う展開は、1990年代以降に主婦層を中心に人気になったインドのTVドラマの王道ストーリーであることも考え合わせると、インド人女性の大好物と断定せざるをえない。
しかも面白いことに、天界ではパールヴァティー女神、ラクシュミー女神、ブラフマニー女神が新参者のサントーシー女神と、その熱心な信者であるサティヤヴァティーに嫉妬し、それがサティヤヴァティーの不幸の原因になっていると説明されていた。確かに信者に幸せをもたらすサントーシー女神をひたすら信仰しているサティヤヴァティーが、結婚後に不幸になるというのは論理的に破綻している。別の強力な女神たちがそろって嫉妬して力を合わせて悪戯しているという裏事情を明らかにすることで、なぜ正しく生きている人でも時に不幸な目に遭うのかという素朴な疑問にひとつの答えが示されている。それが嫉妬から来るものというのは何とも人間らしいが、おそらく嫉妬もインド人女性たちに非常に身近な感情のはずで、納得できてしまうのだろう。
では、これほど一途にサントーシー女神を信仰していても不幸になってしまったらどうしたらいいのか。ありがたいことに「Jai Santoshi Maa」はその解決法まで用意している。「16金曜日の願掛け」である。16週連続して毎金曜日にサントーシー女神に供物を捧げるという、ちょっと大変だがすぐに実践できそうな絶妙な難易度設定の解決法だ。
サティヤヴァティーが「16金曜日の願掛け」でかなえようとしたのは、兄嫁たちからのいじめから解放されることではなく、夫が無事に帰ってくることであった。職探しのために旅に出たブリジモーハンは、嵐をくぐり抜け、裕福な宝石商と出会い、彼の家で働き出す。だが、その家にはギーターという若い娘がおり、ブリジモーハンに対して好意を隠さないようになる。ギーターはブリジモーハンが既婚であることを知らなかったため、それは意図的な略奪行為ではなかったかもしれないが、妻の視点から見れば、ギーターは夫を奪おうとする「よその女」に過ぎない。夫の浮気に困り果てている女性はインドにも多いはずで、サティヤヴァティーには同情というより共感であろう。そういう意味でも「Jai Santoshi Maa」は多くのインド人女性の琴線に触れたと予想できる。
劇中では、サントーシー女神を讃えるバジャン(宗教賛歌)が何度も出てくる。それらは映画館をサトサングやキールタン(どちらも集団でバジャンを歌い演奏し聴く集会)に一変させたことだろう。しかも、2回繰り返されている曲もあり、それが即席の親近感を催させ、口ずさみたくなる。「Jai Santoshi Maa」が掛かる映画館はもはや映画館ではなく寺院である。実際、「Jai Santoshi Maa」が上映されている間、人々は外で履物を脱いで裸足で映画館に入ったといわれている。
「Jai Santoshi Maa」は、ひとつの女神を生み出すほどの社会現象を起こした類い稀な映画としてインド映画史に永遠に刻まれることになるだろう作品である。決して名作というわけではなく、むしろどこからどう見ても完全なるB級映画だが、それゆえにこの映画が与えた社会的影響の大きさが興味深く映る。映画を楽しむためというよりも、歴史的事件を追体験する目的で鑑賞すべき作品だ。
