Deewaar (1975)

5.0
Deewaar
「Deewaar」

 1975年1月24日公開の「Deewaar(壁)」は、1970年代の不朽の名作に数えられる作品である。1975年にはもうひとつの伝説的傑作「Sholay」(1975年)も公開され、商業的には「Sholay」の方がより成功したが、「Deewaar」も十分に大ヒットであり、映画賞では「Deewaar」の方に軍配が上がった。

 監督はヤシュ・チョープラー、脚本家はサリーム=ジャーヴェード、音楽はRDブルマン。主演はアミターブ・バッチャンで、助演をシャシ・カプールが務める。他に、ニートゥー・スィン、パルヴィーン・バービー、ニルーパー・ロイ、イフテカール、マダン・プリー、サティエーン・カップーなどが出演している。また、アルナー・イーラーニーがアイテムソング「Koi Mar Jaye」にアイテムガール出演している。

 「Deewaar」は、別々の道を歩むことになった兄弟の物語であり、題名になっている「壁」とは、兄弟の間に出来た隔たりを象徴する。「Mother India」(1957年)や「Ganga Jumna」(1961年)に似たプロットだが、脚本を書いたサリーム=ジャーヴェードもこれらの作品からインスピレーションを得たことを認めている。

 ドキュメンタリー・シリーズ「Angry Young Men: The Salim-Javed Story」(2024年)を観てサリーム・ジャーヴェード作品を見直してみたくなり、2024年9月1日に鑑賞してこのレビューを書いている。

 炭鉱で組合長をし尊敬を受けていたアーナンド・ヴァルマー(サティエーン・カップー)は、雇用主に妻子を人質に取られ、不利な契約に署名せざるをえなくなる。アーナンドは労働者たちから裏切り者呼ばわりされるようになり、耐えきれなくなって出奔する。妻のスミトラー(ニルーパー・ロイ)、長男ヴィジャイ(アミターブ・バッチャン)、次男ラヴィ(シャシ・カプール)はボンベイに出て貧しい暮らしを送る。

 勉強好きだったラヴィは、恋人ヴィーラー・ナーラング(ニートゥー・スィン)の父親から勧められたこともあり、警察官になる。一方、ヴィジャイは港湾の荷役から身を立て、密輸で儲けるムルクラージ・ダーヴァル(イフテカール)に気に入られて、密輸業を牛耳るようになる。彼は巨万の富を得て、母親のために大きな邸宅を購入する。また、酒場でアニーター(パルヴィーン・バービー)と出会い、付き合うようになる。

 ラヴィはボンベイに赴任し、ヴィジャイが密輸業に手を染めていることを初めて知る。思い悩むが、警察官としての義務を果たすことを優先し、母親に全てを打ち明ける。失望したスミトラーはラヴィと共にヴィジャイの邸宅を去る。ラヴィはダーヴァルやヴィジャイが手掛ける密輸の現場に踏み込み、下っ端を逮捕して荷物を没収する。ダーヴァルにも、ラヴィがヴィジャイの弟ということが知れてしまう。ラヴィはダーヴァルの右腕であるジャイチャンドを逮捕し、ダーヴァルとラヴィの関与を認めさせる。早速ラヴィは逮捕令状を手に入れダーヴァルを逮捕するが、ヴィジャイには逃げられる。

 ヴィジャイはアニーターと共に地下に潜っていたが、アニーターが妊娠していることを知り、彼女と結婚して自首することを決意する。ヴィジャイは母親も寺院に呼ぶ。ところが、ダーヴァルのライバルであり、ヴィジャイに恨みのあったサーマント(マダン・プリー)がアニーターを殺害する。怒ったヴィジャイはサーマントの自宅を急襲し、彼を殺す。だが、そこにはラヴィが待ち構えていた。ラヴィに撃たれたヴィジャイは命からがら寺院まで辿り着き、母親に抱きかかえられながら息を引き取る。

 ラヴィは功績を讃えられ、メダルを受け取る。ラヴィは母親こそがメダルにふさわしいとスピーチする。

 運命の悪戯によって、密輸マフィアになった兄ヴィジャイと警察官になった弟ラヴィの間の、葛藤に満ちたドラマを描いた犯罪アクション映画である。ヴィジャイは、ラヴィの就学を応援し、靴磨きなどをして彼の学費を稼いだ。ラヴィも、そんな兄の献身を知っていた。しかしながら、仕事上、ラヴィはヴィジャイを捕まえなければならない立場になり、ヴィジャイにとってラヴィは違法ビジネスの大きな障壁となった。ラヴィは、思い悩んだ挙げ句、家族の絆よりも警察官としての使命を優先し、ヴィジャイ逮捕に動き出す。ヴィジャイは、ラヴィがマフィアに命を狙われていることを知って彼をボンベイから転勤させようとするが、叶わない。二人の激突は不可避であった。

 この兄弟のドラマに、母親という要素が強烈に入り込む。母親スミトラーにとって、ヴィジャイもラヴィも大切な息子たちであった。だが、正直なことをいえば、彼女は長男ヴィジャイの方により多くの愛情を注いでいた。子供ながら身を粉にして働きラヴィの勉学を支えた弟思いの人柄もその理由になっていたことだろう。しかしながら、気付けばヴィジャイはマフィアのドンになってしまっていた。どんなに可愛い息子であっても、その子供が道を間違え悪に走ったとしたら、インドの母親は私情を捨てて罰する。少なくともインド映画の美徳はこちらにある。

 スミトラーは、ヴィジャイがマフィアになってしまったと知るや否や、彼が買ってくれた家を出てラヴィと暮らし始める。ヴィジャイとの最終決戦を前に、スミトラーはラヴィに「ヴィジャイを撃つときに手が震えないように」と檄を飛ばして拳銃を渡す。果たしてその拳銃から放たれた弾丸がヴィジャイに致命傷を負わすのだった。

 「Deewaar」において母親はモラルの番人であり、勝利の女神である。それはあたかも、マハーバーラタ戦争のクリシュナのようだ。カウラヴァ側がクリシュナの軍隊を選んだのに対し、パーンダヴァ側はクリシュナ自身を選んだ。クリシュナのいる側が勝利を手にすることを熟知していたパーンダヴァの五王子は、戦闘には参加しないと宣言していたクリシュナを敢えて自軍に引き入れた。そして勝利を掴んだ。密輸マフィアとして巨万の富を築いたヴィジャイに比べて、確かにラヴィの手元には大した資産はなかった。だが、彼には母親がいた。母親がどれほど大事なものであるか、インド人男性の強い母親信仰を読み取ることができる作品だ。

 ただ、スミトラーも葛藤を抱えていた。ラヴィに拳銃を渡したものの、彼女はヴィジャイの死を簡単に受け入れられるわけでもなかった。だが、神様はスミトラーに、ヴィジャイの最期の時間を与えた。ヴィジャイは彼女の腕の中で息を引き取った。それは、母親に見放されてしまったヴィジャイにとっても極上の幸せだった。

 ヴィジャイ、ラヴィ、スミトラー、三者の葛藤が素晴らしいドラマを生み出している映画であるが、「Sholay」並みに歴史に残るセリフが多い映画でもある。もっとも有名なのは、シャシ・カプール演じるラヴィが、「今や俺は不動産を持ち、銀行口座を持ち、邸宅を持ち、自動車を持っている。お前は何を持っている?」と上から目線で問い掛けるヴィジャイに対して言い放つ「मेरे पास माँ हैメーレー パース マー ハェ(私には母がいる)」だ。金や家や自動車よりも母親には価値があるという名言であり、インド人の心の中に現代まで深く刻み込まれたセリフだ。

 母親が強烈なインパクトを残している一方で、父親の影は薄い。なにしろヴィジャイとラヴィが子供の頃に出奔し、行方不明になってしまったのだ。しかしながら、きちんとストーリーにも絡んでくる。父親アーナンドが労働者たちから裏切り者呼ばわりされるようになった後、ヴィジャイは性悪な大人たちによって左腕に「मेरा बाप चोर हैメーラー バープ チョール ハェ(私の父は泥棒だ)」と入れ墨を入れられた。ヴィジャイはそれを消そうともせず、魂に刻み込んで生きてきた。彼がマフィアへの道を歩んでしまったのも、このトラウマがあったからだと説明もできる。だが、いざ彼が父親になろうとしたとき、子供に同じ十字架を背負わせたくなかった。ヴィジャイが自首を決めたのは、母親の説得や弟の糾弾があったからではなく、汚名を着せられ家出し、そのまま野垂れ死んでしまった父親の存在があったからである。

 ちなみに、港の荷役から密輸マフィアにのし上がったヴィジャイのキャラは、1960年代から80年代にかけてボンベイの密輸業を牛耳ったマフィアのドン、ハージー・マスターンをモデルにしている。「Once Upon a Time in Mumbaai」(2010年)でアジャイ・デーヴガンが演じたスルターン・ミルザーも、ハージー・マスターンを緩やかにモデルにしている。

 「Deewaar」には「Kehdoon Tumhe, Ya Chup Rahun」、「Maine Tujhe Maanga, Tujhe Paaya Hai」、「Koi Mar Jaaye」、そして「I Am Falling in Love with a Stranger」と4つの挿入歌が含まれている。この中で前の2つはラヴィとヴィーラーの恋愛を演出し、「Koi Mar Jaaye」はアイテムソングとして挿入されている。また、「I Am Falling in Love with a Stranger」はヴィジャイとアニーターの出会いを演出するBGMである。つまり、主演であるアミターブ・バッチャンは全く歌わないし踊らない。元々サリーム=ジャーヴェードは「Deewaar」を全く挿入歌なしの映画として脚本を書いた。だが、プロデューサーのグルシャン・ラーイが、歌のない映画は売れないと主張したため、無理矢理入れられることになった。もしアミターブ関連の挿入歌が入っていたら興醒めだったところだが、より明るい雰囲気のラヴィとヴィーラーに挿入歌を集中させたことで、それほど邪魔にはならない形で挿入歌が入ることになった。賢い妥協策だったといえる。

 「Deewaar」撮影時、アミターブ・バッチャンは「Zanjeer」(1973年)をヒットさせており、既に期待の若手スターとして注目されていたが、実績ではシャシ・カプールの方が上だった。しかも彼の方が年上だった。アミターブを主演の兄役として起用したのは大抜擢だったといえる。まるで「ゴルゴ13」のような、ニコリともしないダンディーなアミターブの演技は、当時の若者たちの心を捉えるのに十分な迫力があり、既にカリスマ性を帯びていた。

 「Deewaar」は、ヒンディー語映画史に燦然と輝く傑作の一本であり、台頭しつつあったヤシュ・チョープラー、サリーム=ジャーヴェード、アミターブ・バッチャンなどの勢いをしっかり感じることのできる作品だ。インド人の道徳観や価値観にも大きな影響を与えており、インド人を理解する上での教科書にもなりえる。必見の映画である。