現在、ヒンディー語映画界でもっとも勢いのある映画監督・プロデューサーが、アーナンド・L・ラーイである。「Tanu Weds Manu」(2011年)、「Raanjhanaa」(2013年)、「Zero」(2018年)などの名作を監督している他、多くの映画をプロデュースしており、彼の名前が入った映画はとりあえず観ておくべきというレベルになっている。一時期のアヌラーグ・カシヤプ監督と似た立ち位置にいるといえる。
そのアーナンド・L・ラーイ監督の最新作が、2021年12月24日公開の「Atrangi Re」である。劇場公開ではなく、Disney+ Hotstarの配信による公開となった。題名の意味はなかなか解釈が難しいのだが、「とってもユニークだね」みたいな意味と取れば大きく外れではないだろう。
主演はダヌシュ、サーラー・アリー・カーン、そしてアクシャイ・クマール。サーラーは現在26歳、ダヌシュは38歳、そしてアクシャイは54歳である。それぞれ一回りずつ異なる世代の俳優が、どうも恋の三角関係を形成するらしい。ダヌシュはまだしも、アクシャイとサーラーのカップルはあまりに年の差があり過ぎるのではないか。公開前にはそんな声が聞かれた。だが、一度映画を観たら、そんな疑問は吹き飛んでしまった。そればかりか、2021年の傑作の一本とまでいえる素晴らしい映画だと確信した。
音楽監督はARレヘマーン。アーナンド・L・ラーイ、ARレヘマーン、そしてダヌシュのトリオというと、「Raanjhanaa」が思い付く。その他のキャストには、アーシーシュ・ヴァルマー、ディンプル・ハヤーティー、スィーマー・ビシュワースなどが起用されているが、ほぼ主演3人を中心に展開する物語である。
以下にあらすじを書くが、核心まで触れているため、映画を観た後に読むことをお勧めする。
ビハール州スィーワーンで生まれ育ったリンクー(サーラー・アリー・カーン)は、何十回も恋人と駆け落ち結婚しようとしては連れ戻される困った女の子だった。リンクーの父母はおらず、母方の祖母(スィーマー・ビシュワース)が彼女の面倒を見ていたが、あまりに手を焼いたため、無理矢理結婚させてビハール州の外に追い払うことにした。リンクーの親戚たちが誘拐して連れてきたのが、チェンナイ出身、現在はデリーで医学を学ぶヴィシュ(ダヌシュ)であった。リンクーとヴィシュは薬物による昏睡状態のまま結婚させられてしまう。 二人が意識を取り戻したのは、デリーに向かう列車の中だった。リンクーには20年以上も連れ添っている恋人サッジャード(アクシャイ・クマール)がいたし、ヴィシュはもうすぐマンダーキニー(ディンプル・ハヤーティー)とチェンナイで婚約式を執り行う予定だった。二人は結婚をなかったことにしようと同意する。ヴィシュはリンクーを、サッジャードが迎えに来るまで大学の寮に住まわせることにする。 ヴィシュはリンクーを連れてチェンナイへ行くが、婚約式でヴィシュとリンクーが結婚したことが知れてしまう。結婚は破談となり、ヴィシュはリンクーを連れてまたデリーに戻る。この間、ヴィシュはリンクーに恋するようになっていた。ところが、そこへサッジャードがやって来る。仕方なくヴィシュはリンクーをサッジャードのところへ向かわせる。 ところが、サッジャードは存在しなかった。サッジャードは、リンクーが空想の中で実在すると信じ込んでいた人物だった。リンクーは誰もいない宙に向けて延々と話し続けていた。それを知ったヴィシュは自分にもチャンスがあると考える。そして、離婚が成立するまでデリーに滞在するように言う。だが、精神医学を学ぶ親友マドゥ(アーシーシュ・ヴァルマー)の助言では、サッジャードがいないということをリンクーに伝えるのはよくないとのことだった。リンクーが自分からサッジャードの存在を否定するようになるまで、彼らはサッジャードがいるかのように振る舞うことにした。そして、毎日少しずつリンクーに薬を飲ませる。 ヴィシュと過ごす内に、リンクーもサッジャードとヴィシュのどちらも欲するようになって来た。リンクーとヴィシュが接近したことで、想像上のサッジャードは嫉妬し、リストカットをする。ヴィシュは手術を行う振りをするが、そこでサッジャードが死んだことにすれば、全ては解決しそうだった。しかし、サッジャードが死んで悲しむ姿を見たくなかったヴィシュは、リンクーに、手術は成功したと言ってしまう。 離婚のための猶予期間が終わり、離婚届に署名することになった。だが、リンクーは家庭裁判所から逃げ出す。ヴィシュは、リンクーとサッジャードを無理矢理結婚させようとするが、サッジャードは日本へ行ってしまったと言う。そこでヴィシュはリンクーをデリー駅に連れて行く。そこでサッジャードに出会ったリンクーは、サッジャード自身から、秘密を明かされる。 実はサッジャードはリンクーの父親だった。リンクーの父親はサーカス団員で手品師だった。リンクーの母親(サーラー・アリー・カーン)は彼と駆け落ち結婚する。だが、その結婚を認めなかった家族は、彼をサーカスのステージの上で焼き殺してしまう。その火の中に母親も入り、彼女も亡くなる。その後、リンクーは祖母によって育てられたが、幻の父親を恋人と考えるようになり、現在までその幻を見続けていたのだった。 全てを悟ったリンクーは、ヴィシュを自分の夫として受け止める。
アーナンド・L・ラーイ監督の作品は、インドの多様な文化をうまくストーリーに組み込んでおり、しかもインドのカラフルな色彩が巧みに演出に利用されている。物語の面白さに加えて、インドの魅力がふんだんに詰め込まれており、インド人観客にも外国人観客にも魅力的に映る映画が彼の持ち味だ。「Atrangi Re」もそんな映画だった。
なぜラーイ監督が、タミル語映画界のスターであるダヌシュをヒンディー語映画によく起用するのか、その理由は分からないのだが、ダヌシュの使い方が非常に上手い。「Raanjhanaa」では、ヴァーラーナスィーに住むタミル系バラモンの青年をダヌシュが演じていたが、今回もタミル・ナードゥ州出身の医学生役がダヌシュであった。彼はたまたま訪れたビハール州において、同州で横行する略奪結婚の被害に遭い、サーラー・アリー・カーン演じるリンクーと結婚させられてしまう。
同じインドといえども、北インドと南インドは全く別の国に思えるほどであり、北インド人と南インド人の間の溝も深い。しかもタミル・ナードゥ州は、反ヒンディー語の急先鋒であり、学校で必修科目としてヒンディー語を習っていないタミル人は一般的にヒンディー語が得意ではない。ビハール州の人間とタミル・ナードゥ州の人間の結婚は、かなり特殊である。とはいえ、リンクーの家族は、なるべく遠くに厄介者を嫁に出したかったため、好都合と考えたという設定だった。
ヒンディー語映画とはいえ、タミル人が主演の一人であるし、途中で一時的に舞台がチェンナイに移るため、タミル語の台詞も多く使われていた。特に字幕などは出ていなかったため、ヒンディー語圏の観客には全くチンプンカンプンであろう。その意味の分からなさが逆に映画のギミックのひとつとして使われていた。北インド人と南インド人の結婚というと「2 States」(2014年)があるし、「Chennai Express」(2013年/邦題:チェンナイ・エクスプレス 〜愛と勇気のヒーロー参上〜)も北と南の出会いを描いた映画だった。だが、「Atrangi Re」のカルチャーショックの描き方は、もっとも自然に思えた。
ヴィシュはビハール州で一度結婚し、タミル・ナードゥ州で婚約式を行うため、北と南の婚姻儀式を同時に見られるのも「Atrangi Re」の面白いところだ。ビハール州では新郎新婦が一緒に火の回りを回り、タミル・ナードゥ州では新郎新婦が一緒にバナナの木に紐を巻きつけていた。
ヒンディー語映画では伝統的に、結婚を神聖視する価値観が根強く、スクリーン上で一度成立した結婚は、意地でも維持するという強力な見えない力が働く。21世紀に入ってその不文律は崩されたが、「Atrangi Re」は、いかに強制的に成立した結婚でもあっても、維持する形での結末の付け方をしており、インド映画らしさを感じさせられた。
「Atrangi Re」の面白さの大部分は、アクシャイ・クマールが演じるサッジャードの設定にある。まずはリンクーの恋人として登場するが、中盤にて、実は彼は実在せず、リンクーの空想の人物であることが分かる。そして、クライマックスにおいて、サッジャードは実はリンクーの父親であること、そして彼女の両親が同時に死ぬことになった理由について明かされる。多少伏線は張ってあったのだが、意外性のあるどんでん返しで、しかも感動を呼ぶ結末になっていた。アクシャイ・クマールの演技もはまっていた。
その一方でヴィシュの一途な恋も映画の魅力だ。ヴィシュは、強制的に自身の妻となってしまったリンクーを本当に愛するようになる。リンクーの幻覚症状を知ってからも、リンクーのことを第一に考えて行動する。「サッジャードは死んだ」と言ってリンクーの目を覚まさせることもできたのだが、彼はリンクーを悲しませる形で問題を解決したくなかった。見えない恋敵との戦いという、未だかつて世の中のほぼ全ての男性が直面したことのない困難を、ひたすら愛の力で乗り越えようとする。そんな愛の戦士の役柄を、ダヌシュはコミカルかつパワフルに演じた。とてもいい俳優だ。ダヌシュは、汎インド的に通用するタミル出身男優の筆頭だ。
サイフ・アリー・カーンとアムリター・スィンの娘サーラー・アリー・カーンは、ハスキーかつ甲高い声でまくしたてるようなしゃべり方をする女の子役を演じることが多い。そればかりになってしまうとすぐに飽きられてしまう危険性もあるのだが、今回は精神異常を持つ女性ということで、その特徴が生きていた。必ずしもトップクラスの美女というわけではないのだが、顔全体、身体全体で表現する力を備えており、今後も活躍する可能性は高い。
インドが誇る巨匠ARレヘマーンが作曲しているだけあって、「Atrangi Re」は名曲の宝庫だ。「Garda」のイントロは映画のテーマメロディーになっており、サッジャードのキャラクターとリンクしている。サーラー・アリー・カーンが踊る「Chaka Chak」、ダヌシュが踊る「Little Little」など、どれも耳に残るいい曲ばかりである。
クリスマスイブに配信開始となった「Atrangi Re」は、劇場公開したら大ヒット間違いなしだったと思われる傑作である。アーナンド・L・ラーイ、ARレヘマーン、ダヌシュのトリオ再び、しかもアクシャイ・クマールとサーラー・アリー・カーンも主要キャストに起用という豪華さで、ストーリーにも意外性があって、高いレベルで完成されたロマンス映画となっている。