今までヒンディー語映画界では、実在の陸上競技選手の伝記映画がいくつか作られて来た。代表的なのは、陸上競技選手から盗賊になったパーン・スィン・トーマルの伝記映画「Paan Singh Tomar」(2012年)と、アジア競技大会で金メダリストとなった陸上競技選手ミルカ・スィンの伝記映画「Bhaag Milkha Bhaag」(2013年)である。
2016年8月5日公開の「Budhia Singh: Born to Run」は、伝記映画ではあるが、異色の作品と言える。なぜなら、実在する5歳のマラソン選手を巡る物語だからである。陸上競技選手と呼んでいいのか微妙なところではあるが、スポーツに関わるインド人の映画ではある。
監督は新人のソウメーンドラ・パーディー。主演はマノージ・バージペーイーとマユール・パトーレー。他に、ティロッタマー・ショーム、シュルティ・マラーテー、ガジラージ・ラーオなどが出演している。
時は2000年代中頃、舞台はオリッサ州ブバネーシュワル。孤児を集めて柔道の道場を開いたり、他にも手広く商売をし、地元の人々から一目置かれる存在であるビランティー・ダース(マノージ・バージペーイー)は、スラムに住む女性スカンティー(ティロッタマー・ショーム)の5歳の息子ブディヤー・スィン(マユール・パトーレー)にマラソンの才能を見出し、訓練を始める。ブディヤー・スィンは20km以上のマラソンを何度も成功させ、オリッサ州の有名人となる。ブディヤーは、妻のギーター(シュルティ・マラーテー)と共にブディヤーを養子にする。 だが、ブディヤー・スィンがメディアに取り上げられるにつれ、児童福祉に関する組織や団体などが、5歳の少年にマラソンをさせることへの批判をするようになる。それでもビランティーは、ブディヤーをギフテッドだと信じ、次々に困難な挑戦をさせる。デリーのハーフマラソンでは年齢を理由に走行を拒否されたが、プリーからブバネーシュワルまで70kmのマラソンをすることをアナウンスする。賛否の声の中でマラソンは始まり、ブディヤーはプリーからブバネーシュワルまで65kmを7時間2分で走り切るも、救急車で搬送される。 しかし、ブディヤーが野党から選挙に出馬することを表明したことで、与党からの圧力も強くなる。まずはブディヤーの走行が禁止され、最終的にはブディヤーはビランティーの元から引き離され、州のスポーツ寮に住むことになる。ブディヤーは失ったビランティーは失意の中過ごしていたが、ある日、スカンティーの再婚相手に殺される。誰がその黒幕だったのかは今でも分かっていない。それから10年以上経ったが、ブディヤーに掛けられた走行禁止は解けていない。
インドは、中国と同じだけの人口を抱える国であるが、スポーツには偏りがあり、オリンピックのメダル数は人口に比して少数に留まっている。オリンピックの花形スポーツであるマラソンの選手は、インドは輩出できていない。
映画で描写されていた通り、5歳のマラソン少年ブディヤー・スィンを巡っては賛否がある。ブディヤーの才能を見出し、トレーニングをしたビランティー・ダースは、彼を2016年のオリンピックでマラソンの金メダルをインドにもたらす逸材と考え、あらゆる手段を使って彼の才能を伸ばし、広めようとした。一方、州政府の児童福祉省や児童福祉委員会は、子供に対する虐待と搾取だとして、ブディヤーのマラソンを止めようとする。
人々の間の評価も真っ二つに分かれている。どちらかというと庶民層は、ブディヤーの活躍を賞賛し応援する一方、インテリ層は、児童虐待の観点から、ブディヤーのマラソンに反対の立場を取る傾向にあった。
果たしてこの「Budhia Singh: Born to Run」がどちらの立場に立った映画なのか、本編では正直なところ不明瞭だ。才能あるアスリートからチャンスを奪うインドの硬直したシステムに反対しているのか、それとも大人の都合で子供に強制的にスポーツなどをさせて搾取する行為を批判しているのか。それはエンドクレジットになってようやく分かる。ビランティーが目標としていた2016年のリオデジャネイロ五輪開催中に公開されたこの映画は、14歳となったブディヤーが未だに走行を禁止されている事実を提示し、ブディヤーのような才能のあるアスリートにチャンスを与えることを訴えている。よって、どちらかと言えばブディヤーを走らせる方に寄った立場なのだが、5歳の少年にマラソンをさせることについてはストレートには触れられておらず、意見の表明からは逃げているように感じた。むしろ、5歳のときならまだしも、14歳となった今でもマラソン走行が禁止されているという事実に驚いてしまうのだが、この映画公開がきっかけとなってブディヤーにチャンスが与えられることを願わずにはいられない。
演技派男優マノージ・バージペーイーは、ブディヤーの才能を見出して、自分自身の妻子よりも優先してブディヤーのトレーニングをするビランティー・ダースを熱意をもって演じた。妻のギーターは、ビランティーが四六時中ブディヤーのことばかり考えていることに対して不満を抱いていたが、それをはっきり口に出すシーンはほとんどなかった。ビランティーとギーターの関係にもう少し踏み込んで描けていれば、より重層的な映画となった可能性があるが、ギーターもまだ存命なため、なかなか詳細までは描き切れなかったものと思われる。
ブディヤー・スィンを演じたマユール・パトーレーは、プネーのスラム街で生まれ育ったようだ。ただ、年齢が不明で、2016年時点で11歳と言っているが、実際には当然のことながらもっと若いと思われる。演技をしていたと言うよりも、素を出していたと言えるが、ブディヤー役にピッタリだった。彼を見つけ出したソウメーンドラ・パーディー監督の功績でもある。
プリーと言えばジャガンナート寺院で有名な海沿いの町であり、ブディヤーがプリーからブバネーシュワルまで走るシーンではジャガンナート寺院が背景に映っていた。ブディヤーを一目見ようと集まった群衆は非常にリアルで、実際にプリーでロケが行われたときにこういう状態だったのだろうと推測される。
「Budhia Singh: Born to Run」は、5歳のマラソン選手ブディヤー・スィンの伝記映画である。5歳の少年が炎天下マラソンをすることに対して劇中で賛否が渦巻いているが、映画の最終的な立場は、才能ある子供たちを伸ばす方に寄っていた。ブディヤーを見出したビランティーの訓練方法や宣伝の仕方は過激だったかもしれないが、13億人の人口を誇るインドにおいて、宗教、カースト、階層など関係なく才能ある子供を見つけ出し、適切な方法でトレーニングを施すことができれば、世界に名だたるスポーツ大国になる可能性を秘めていることが暗に主張されていた。