インドの政界には強烈な政治家が多いが、タミル・ナードゥ州の州首相を6回務めたジャヤラリターは、地方の政界に君臨した女傑の一人と言っていいだろう。州首相在任中の2016年9月以降に公共の場から姿を消し、健康状態の悪化が報道されるようになった。様々な憶測が流れる中、12月5日に死去したが、その最期も非常にドラマチックであった。
マハーラーシュトラ州のカリスマ政治家バール・タークレーの伝記映画「Thackeray」(2019年)に続き、ジャヤラリターの伝記映画も作られることになり、新型コロナウイルスによる延期を経て、2021年9月10日に「Thalaivii」は公開された。題名の意味は「女性の指導者」である。ヒンディー語とタミル語の二言語で作られており、監督はタミル語映画界で活躍するヴィジャイ、主演はヒンディー語映画界のパワフルな女優カンガナー・ラーナーウトとなっている。鑑賞したのはヒンディー語版である。
キャストの一部はヒンディー語版とタミル語版で異なっているが、ヒンディー語版のキャストは、アルヴィンド・スワーミー、ナーサル、バーギヤシュリー、ラージ・アルジュン、マドゥ、ジーシュー・セーングプター、ラーダー・ラヴィ、タンビ・ラーマイヤー、プールナーなどとなっている。
母親に促されて映画女優となったジャヤラリター(カンガナー・ラーナーウト)は、タミル語映画界の大スター、MJR(アルヴィンド・スワーミー)に気に入られ、共演するようになる。MJRには妻がいたが、ジャヤラリターを露骨に可愛がるようになり、MJRのマネージャー、RMヴィーラッパン(ラージ・アルジュン)からは疎まれるようになった。MJRが政界に進出したことで、ジャヤラリターとの関係を清算する必要に迫られ、ジャヤラリターは距離を置かれる。だが、ジャヤラリターはMJRを慕い続けていた。 ジャヤラリターは、自分からMJRを奪った政治を憎んでいたが、政敵カルナニディ(ナーサル)を退けて州首相となったMJRの政策が庶民まで届いていないことを目の当たりにし、自身も政界に進出する。MJRが立ち上げた政党MTMKの幹部からは疎まれるが、庶民に食べ物や電気を届ける地道な活動に邁進したことで、彼女はいつしか人々から「アンマー(お母さん)」と呼ばれるようになる。 ジャヤラリターは上院議員となり、流暢な英語力を駆使してタミル・ナードゥ州からの陳情を中央政界で訴え続けた。彼女はインディラー・ガーンディー首相から気に入られ、国民会議派とMTMKの選挙協力を取り付ける。1984年、州議会選挙が近づく中、MJRが倒れ、米国で療養しなければならなくなる。しかも、インディラー・ガーンディー首相が暗殺される。その危機を救ったのがジャヤラリターであった。ジャヤラリターは積極的に選挙活動をし、MTMKは勝利して、米国から帰ったMJRは引き続き州首相となる。インディラー・ガーンディーの後継となったラージーヴ・ガーンディーもジャヤラリターに一目置いていた。 1987年、MJRは急死する。MTMKは、後継者の座を巡ってMJRの妻ジャーナキー(マドゥ)派とジャヤラリター派に分裂するが、選挙でMTMKがカルナニディのTMKに破れたことで、ジャヤラリターがMTMKの実権を握る。次の州議会選挙において、ラージーヴ・ガーンディー首相の暗殺というハプニングはあったものの、ジャヤラリター率いるMTMKはTMKに圧勝し、ジャヤラリターは州首相に就任する。
映画中でMJRとして出て来る人物は、タミル語映画界のスーパースターであり、タミル・ナードゥ州の州首相を3回務めた偉大な政治家でもあるMGRのことである。MGRは、ドラヴィダ主義政党DMKの創始者アンナードゥライの導きにより政界に進出したが、アンナードゥライの死後、同志だったカルナニディと袂を分かって新政党AIADMKを立ち上げた。ジャヤラリターは、女優としてMGRと多くの作品で共演し、MGRの愛人だったとされる。しかしながら、後に彼女も政治家となり、MGRの政策に従って献身的に党を支えた。MGRの死後、AIADMKは、MGRの妻ジャーナキーと、愛人ジャヤラリターの間で後継者争いが勃発して分裂するが、結局、政治力で勝るジャヤラリターに軍配が上がり、以後、タミル・ナードゥ州に君臨する女帝として14年以上、州首相を務めた。
映画の中で、何人かの人物やいくつかの政党名は変更されているものの、インディラー・ガーンディーやラージーヴ・ガーンディー、そして主人公のジャヤラリターなどは実名で登場しており、ストーリーもかなり正確にジャヤラリターの人生をなぞっている。よって、ジャヤラリターの台頭を理解するのに非常に役立つ映画となっている。
インドは広大であり、いかにインドに住んでいたからと言って、自分の住んでいた地域から遠く離れた地方政治まで理解するのは困難である。端から見ていると、なぜMGRの愛人とされるジャヤラリターがここまでAIADMKの中で権力を握り、州政治にまでその支配権を拡大したか、なかなか咀嚼できないところがあった。だが、「Thalaivii」を観たことで、彼女のことが少し分かったような気がする。
ジャヤラリターは元々女優であり、しかもMGRへの慕情を大きな動機として政治家となった人物であった。よって、他の政治家とは異なり、私利私欲がなく、とにかくMGRに尽くすために人民に尽くした。例えば、MGRの立ち上げた学校給食プログラムが、末端においてうまく運営されていないのを見て、彼女は自ら学校を巡り、改善しようとする。そのような地道な活動が実を結び、彼女は人々から慕われる政治家になって行く。
男性社会であるインドの政界において、しかも女優出身、MGRの愛人という立場のジャヤラリターが、いかに差別に遭ってきたかは想像に難くない。「Thalaivii」での描写は決して誇張ではないだろう。だが、それも彼女は克服して来た。インドの政界において、豪腕を誇る女性政治家は何人かいるが、逆に言えば、男勝りで度胸が据わっていないと政治家として生き残れないということでもあるのだろう。ジャヤラリターの人生は決して平坦なものではなく、命を狙われたこともあったが、持ち前の度胸で乗り切って来た。
また、タミル・ナードゥ州の政治を、中央政界の大事件が何度も揺るがしたことも興味深い発見であった。1984年の州議会選挙のときはインディラー・ガーンディー首相が暗殺され、1991年の州議会選挙のときは、今度はその息子ラージーヴ・ガーンディーが暗殺された。AIADMKは国民会議派と近い政党であり、これらの事件はAIADMKにとって打撃となった。しかしながら、ジャヤラリターの活躍のおかげでAIADMKは勝利を収める。
「Manikarnika: The Queen of Jhansi」(2019年)で、自ら剣を振るって戦う勇敢な女王を演じたカンガナー・ラーナーウトは、今度はインド地方政界の女傑ジャヤラリターを演じ、戦う女性のイメージをさらに強くした。ジャヤラリターはふっくらとした外観が印象的だが、カンガナーはそれに合わせて体重を増やした。まるで女版アーミル・カーンである。また、彼女は男性社会に立ち向かう女性像も好んで体現している。映画の最後、州首相に就任したジャヤラリターは、部下となる男性政治家たちに対し、ドスの利いた声で、「私を母親と考えろ、女とは考えるな」と言い放つ。その迫力には鳥肌が立った。確かにインドでは、母親は尊敬される存在だが、女性は蔑まれる存在だ。ジャヤラリターは実際に「アンマー(お母さん)」と呼ばれていたが、その愛称の裏には、そんな思いが込められていたのだろうか。
映画は、ジャヤラリターが初めて州首相に就任したところで終わる。しかしながら、彼女の政治家としてのキャリアは、どちらかと言えば、州首相就任後に軌道に乗ると言っていいだろう。それと平行して、彼女は個人崇拝の度合いを高めていき、批判も受けるようになる。「Thalaivii」はあくまで彼女の台頭までを描いた映画であり、政治家として賛否のある期間の彼女にはほとんど触れられていない。
また、どうしてもジャヤラリターに光を当てて作った映画なだけあって、AIADMKのライバル政党であるDMKや、その党首カルナニディは悪役であった。カルナニディも2018年に死去しているが、現在タミル・ナードゥ州の与党はDMKであり、州首相はカルナニディの息子MKスターリンである。このような政治状況の中でよく公開できたな、というのが正直な感想である。
「Thalaivii」は、タミル・ナードゥ州の豪腕政治家ジャヤラリターの伝記映画であり、ヒンディー語映画界で強烈な個性を発揮している女優カンガナー・ラーナーウトが主演である。元々女優だったジャヤラリターがどのようにしてタミル・ナードゥ州の州首相に上り詰めたのか、そしていかに周囲からの差別に打ち克って来たのかが丁寧に描かれており、タミル・ナードゥ州の政治を理解する手助けにもなる作品である。観て損はない。