一昔前のインドと言えば、首都のデリーに住んでいても毎日停電があるような状態だったし、村落部へ行けばまだ電気が来ていない地域も多い印象だった。だが、電力事情は着実に改善されているようだ。特に2014年に首相に就任したナレーンドラ・モーディーは、グジャラート州首相時代に同州の電力事情を劇的に改善させたことで知られており、そのモデルをインド全国に適用しようとした。2018年にモーディー首相は村落電化率が100%に達したと宣言したが、かつてのインドを知る者には信じられないニュースであった。
ただ、よく調べてみると、村落電化率というのは、全ての国民に電気が行き渡ったことを意味しない。電線が村の変圧器に到達し、村の全戸の10%以上と公共施設が電化されたことでもって「電化された」と定義しているためだ。村に電気が来ても、家に電気が来ていなければ、その人は電気を使えない。よって、村落電化率が100%に達した後でも、まだ電気のない生活を送っている人の数は3,000万人以上いるとされている。また、停電の頻度も地域格差があり、地方へ行けば行くほど電気が利用できる時間は短くなる。この辺りは、まだまだ変わらないインドと言える。
モーディー首相がグジャラート州で行った電力改革の肝は、電力セクターを分割、自由化、そして競争原理の導入と効率化したことだった。つまり、元々国営だった電力セクターに、民間企業が参入するようになったのである。電力セクターの民営化にはメリットもあったのだろうが、企業はどうしても営利目的であり、生活の必需品である電力が商品となったことによるデメリットも生じていると思われる。
2018年9月21日公開の「Batti Gul Meter Chalu」は、民営配電会社の汚職を取り上げたユニークな映画である。題名の意味するところは「停電になったのに電力量計は回っている」。監督は「Toilet: Ek Prem Katha」(2017年)のシュリー・ナーラーヤン・スィン。今まであまりインド映画が扱って来なかったような問題を映画化するのが得意な監督である。
主演はシャーヒド・カプールとシュラッダー・カプール。他に、ディヴィエーンドゥ・シャルマー、ヤミー・ガウタム、ファリーダー・ジャラール、スシュミター・ムカルジー、サミール・ソーニーなどが出演している。
舞台はウッタラーカンド州テヘリー。弁護士のスシール・クマール・パント、通称SK(シャーヒド・カプール)、印刷会社を起業したスンダル・モーハン・トリパーティー(ディヴィエーンドゥ・シャルマー)、そして仕立屋のラリター・ナウティヤール、通称ナウティー(シュラッダー・カプール)は幼馴染みの仲良し三人組だった。SKとスンダルはナウティーに恋しており、彼女の結婚を妨害していた。ナウティーはSKとスンダルに1週間ずつデートの時間を与え、気に入った方と結婚すると宣言する。まずはSKがナウティーと1週間デートし、次にスンダルの番となった。最終的にナウティーはスンダルを選んだ。それを知ってSKは荒れる。 一方、スンダルは会社の電気代が不当に高いと感じ、配電会社SPTLに何度も苦情を申し入れていた。だが、請求額に変化がないばかりか、520万ルピーもの請求書が届いた。スンダルとナウティーはSKに相談するが、荒れていたSKは相談に乗らなかった。切羽詰まったスンダルは河に飛び込んで自殺する。 親友の自殺を受け、SKはSPTLを訴える。また、配電会社からの請求書に不満を持つ消費者を募って、集団訴訟とする。SKの運動はインド中に広まる。公判が始まり、SPTLの弁護士グルナール・リズヴィー(ヤミー・ガウタム)はスンダルの自殺を保険金目当てなどとする。それに対しSKは巧みな話術で配電会社の汚職を暴き出し、裁判を有利に進める。 判決の日、なんとスンダルがSKの前に現れる。実はスンダルは自殺しようとしたのだが生き残っており、今まで姿をくらましていたのだった。SKはスンダルを裁判所に証人として連れて行く。判決は、スンダルに保険金詐欺の有罪が下るものとなったが、その一方で520万ルピーの電気代は免除となり、またSPTLから慰謝料も支払われることになった。
映画の主題は、配電会社による高額な電気代の正当性である。当事者となった経営者スンダルが自殺し、その親友で弁護士であるSKが会社を訴え、電気代の免除と会社からの慰謝料を勝ち取るという内容だ。配電会社からの不当な電気代請求に悩まされるインド全国の消費者たちの声が代弁されていた。そこに、三角関係の男女のロマンスが織り込まれる。物語はよくまとまっていた。
2011年にアンナー・ハザーレーが主導した汚職撲滅運動の影響から、2010年代のヒンディー語映画では汚職がよく取り上げられるようになった。「Batti Gul Meter Chalu」も、汚職を扱った映画の一本として数えることができるだろう。また、後半は裁判所が舞台となるため、法廷ドラマとしての側面もある。
だが、映画の真の主題はインドの電力事情そのものである。そこにはもちろん、民間配電会社の汚職も含まれる。例えば電力量計を細工することで、実際の使用量よりも多くの電気代を請求する行為が横行していることが指摘されていた。だが、それ以上に多くの問題が言及されていた。例えば盗電の問題である。インドでは、既に電力供給量は十分になっているのだが、盗電を含め、送配電時のロスが多いため、需要量を賄えなくなり、停電の頻発に結びついている。また、これが配電会社の経営にも悪影響を与えており、劇中でもSPTLの社長は、配電事業は赤字と語っていた。
配電会社による不当な請求は一般庶民にとって許しがたいことではあるが、電力を利用する側にもモラルの欠如が見られ、あわよくば電気をどこかから盗んで、ただで利用しようとする行為も横行しており、どっちもどっちと言わざるを得ない状況となっている。ただ、「Batti Gul Meter Chalu」では、そういう庶民側の問題点も指摘しつつ、やはりより巨大な存在である配電会社の方を悪役として映画をまとめていた。この辺りの複雑な関係が映画の中でどちらにも肩入れせずに描けていたら、一段上の映画になっていたと思われる。
シャーヒド・カプールは、奔放だが頭の切れる弁護士役を絶妙な演技と個性で演じ切っていた。特に後半の裁判シーンでのスピーチは圧巻であった。キャリアベストの演技のひとつと言っていいだろう。シュラッダー・カプール、ヤミー・ガウタム、ディヴィエーンドゥ・シャルマーなども好演していた。
スートラダール(語り手)として、ヴィカースとカリヤーンという二人の男性が、バスに乗って移動しつつ、SKたちの物語を語るという構成になっていた。「ヴィカース」とは「発展」、「カリヤーン」とは「幸福」という意味である。一般庶民の発展と幸福がなかなかもたらされないことを皮肉った演出であった。
近年のヒンディー語映画では、地方都市が舞台の映画が増えて来ているが、この映画も、ウッタラーカンド州テヘリーという地方都市が舞台となっていた。おそらくテヘリーが舞台の映画は初と言っていいくらいではなかろうか。実際にテヘリーでロケが行われたようで、山の尾根に沿って広がる街並みや、眼下に流れるガンガー河などの光景が美しかった。
台詞にも当地で話されているガルワーリー方言が使われ、ご当地感が出されていた。訛りに特徴があり、「thehrna(ठहरना)」を多用したり、文末に「bal(बल)」という語がよく添えられたりしていたのが気になった。
「Batti Gul Meter Chalu」は、主に民間配電会社による汚職を取り上げたユニークな映画である。ウッタラーカンド州の山間の街テヘリーを舞台に、恋の三角関係も織り交ぜつつ、インドの電力問題にいくつかの側面から切り込み、最後は法廷ドラマでまとめている。シャーヒド・カプールの鬼気迫る演技も大きな見所だ。