インドの女性問題というとどうしてもレイプが真っ先に注目されるが、それ以外にも多くの問題が存在する。その中でもインドや南アジアに特有の問題がアシッド・アタックである。アシッド・アタックとは、他人の顔や身体に酸を掛ける行為で、女性がターゲットになることがほとんどだ。動機の多くは、女性に振られた男性によるその女性への腹いせである。インドでは酸は清掃用品のひとつで、市場にて安価かつ容易に入手できるため、犯行によく利用される凶器となっている。しかも、かつてインド刑法(IPC)にはアシッド・アタックに特化した条文がなく、加害者を厳罰に処すことが難しかった。
2020年1月10日公開の「Chhapaak(しぶき)」はアシッド・アタックをテーマにした映画である。2005年にアシッド・アタックを受け、酸の販売禁止のために活動をして来たラクシュミー・アガルワールの半生を元にした伝記映画でもある。
監督は「Talvar」(2015年)や「Raazi」(2018年)のメーグナー・グルザール。プロデューサーの一人に名を連ねつつ主演も務めるのはディーピカー・パードゥコーン。他に、ヴィクラーント・マシー、マドゥルジート・サールギー、アーナンド・ティワーリーなどが出演している。
舞台はデリー。2005年、15歳のマールティー(ディーピカー・パードゥコーン)はカーン・マーケットを歩いていたところ、急に顔に酸を掛けられる。マールティーの顔はただれ、人生を閉ざされてしまう。だが、弁護士アルチャナー(マドゥルジート・サールギー)などの支えもあり、法廷に立って加害者のバッブーを有罪にするために戦う。 同時にマールティーは、酸の販売禁止のための公益訴訟を起こす。アシッド・アタックの被害者を救済し、酸の販売禁止のために活動するNGOにも参加し、リーダーのアモール(ヴィクラーント・マシー)と深い関係になる。 マールティーやアモールの努力が実り、酸の販売に規制が掛かるようになり、上訴していたバッブーも高等裁判所で有罪となる。だが、アシッド・アタックの件数は一向に減らなかった。
主演のディーピカー・パードゥコーンは21世紀のヒンディー語映画界を代表するスター女優であり、その健康的な美貌は多くの人々から羨望の眼差しを浴びて来た。そのディーピカーが、アシッド・アタックにより原型を失った顔の女性を演じることは、一昔前のインド映画界では考えられなかった思い切った挑戦である。だが、ディーピカーも決して順風満帆にスターの階段を上り詰めて来たわけではなく、鬱病を発症したこともあった。それを乗り越えて精神的に一回り大きく成長したディーピカーは、社会的弱者に寄り添った映画を選ぶようになったように見える。この「Chhapaak」はその心境の変化の強い表れと受け止めることができる。プロデューサーと主演を同時に務める気合いの入れ方で、「Manikarnika: The Queen of Jhansi」(2019年)で監督と主演の両方を務めたカンガナー・ラーナーウトとも共通する使命感を感じる。
実話に基づいて女性視点から重厚な作品を作ることで定評のあるメーグナー・グルザール監督は、今回、非常にバランスの取れた映画作りを行い、今一度その実力の高さを証明した。アシッド・アタックに遭い、顔を変貌させられた女性が主人公の映画と言うと、普通はとても暗い雰囲気になってしまいがちだが、「Chhapaak」には意外にもそういう暗鬱さがほとんどなかった。確かにマールティーは、アシッド・アタック直後は塞ぎ込んでおり、苦悩と絶望に押しつぶされそうになっていた。裁判所と手術の繰り返しに膝を屈しそうになっていた時期もあった。だが、母親や弁護士アルチャナーの支えもあって、彼女はアシッド・アタックを根絶するために戦い出す。決してか弱い女性の映画ではない。身に降りかかった不幸を嘆くだけの映画でもない。自分の置かれた状況を受け容れ、自分に与えられた使命を進んで受け止めて、行動する女性の映画だった。ヒンディー語映画界の2010年代は女性の10年だったが、その変化をしっかり受け止めながら、次の10年に向かって果敢に前進して行く意気込みを感じた。
2012年のデリー集団強姦事件、いわゆるニルバヤー事件の影響で女性問題の解決にインド社会全体がスピード感を持って取り組むようになったことで、かねてよりラクシュミー・アガルワールが取り上げて来たアシッド・アタックの問題にも焦点が当てられ、法整備が進んだ。まずは、インド刑法に326条AとBという、アシッド・アタックに特化した条項が追加された。かつてこの条項がなかったときは、アシッド・アタックの容疑者は有罪になっても10年以下の懲役にしかならなかった。だが、この条項ができたことで、懲役は最低でも10年となり、最高刑は終身刑となった。また、酸の販売が規制され、販売者は酸の販売時にちゃんと記録を取るなどの手続きを踏むことが義務づけられた。
「Chhapaak」では、現実世界のこの動きがそのまま反映されている。マールティーの忍耐強い活動により、アシッド・アタック条項の追加や酸の販売規制が実現し、マールティーに酸を浴びせたバッブーと妹も厳罰に処されることになった。さらに、かねてからマールティーが想いを寄せていたアモールとも結ばれる。後味の良い、インド映画的なハッピーエンドで終わると思いきや、最後にショッキングな事実が観客に提示される。これらの法整備が進んだにも関わらず、インドにおいてアシッド・アタックは撲滅されておらず、むしろ件数が増えているのである。最後の最後で一気にどん底に突き落とされた気分になるが、これで一件落着ではなく、我々が何とかして行かなければならないという課題と責任を突き付けられることになる。非常に賢い締め方だったと感じた。
メーグナー・グルザール監督の父親は、著名な詩人グルザールである。当然、グルザールが作詞をしており、シャンカル=エヘサーン=ロイが作曲をしている。ダンスシーンのあるような映画ではなく、挿入歌の数も少なかったが、歌詞に力があり、音楽も映画の雰囲気によく合っていた。
これで興行的に成功すれば言う事なしだったのだが、残念ながら「Chhapaak」はフロップの評価となっている。映画公開時にディーピカー・パードゥコーンはインド人民党(BJP)と対立したため、BJP支持者から抗議の対象になったという事件もあった。非常に重要な問題について真摯に取り組んだ映画が、政治的ないざこざに巻き込まれて吊し上げられるのは不幸なことである。
「Chhapaak」は、インドでレイプに並んで国辱的な問題となっているアシッド・アタックについて、非常にバランスの取れた手法で取り上げ映像化した作品である。アシッド・アタックの被害者であり、活動家でもあるラクシュミー・アガルワールの伝記映画でもある。ディーピカー・パードゥコーンがもっとも気合いを入れて臨んだ映画とも言え、必見の出来になっている。