今日(2004年4月2日)から公開された、ムケーシュ・バット監督の新作ヒンディー語映画「Murder」をPVRアヌパム4で観た。あまり注目していなかった映画だが、予想外に力の入った公開体勢だったため、最優先映画にランクアップさせて公開初日に観に行くことにした。平日には珍しくほぼ満席だった。
監督はアヌラーグ・バス、音楽はアヌ・マリク。キャストは「Inteha」(2003年)のアシュミト・パテール、「Footpath」(2003年)のイムラーン・ハーシュミー、「Khwahish」(2003年)のマッリカー・シェーラーワトなど。全員新人に近い若手俳優である。
スディール(アシュミト・パテール)とスィムラン(マッリカー・シェーラーワト)は結婚して5年目の夫婦で、タイのバンコクに在住していた。スディールは実はスィムランの姉ソニアと結婚してカビールという息子もいたのだが、姉はスィムランの代わりに行った旅行先で死んでしまった。スィムランは責任を感じ、姉の夫スディールと結婚し、カビールも自分の子供同然に育てることにしたのだった。ところがスディールはソニアを忘れることができなかった上に、仕事で忙しく、スィムランのことをいつしか顧みなくなっていた。スィムランは孤独な日、孤独な夜を過ごすようになった。 偶然、スィムランは大学時代の恋人サニー(イムラーン・ハーシュミー)と出会う。サニーは大学時代、スィムランに手を出した男を半殺しにして服役していた。刑期を終えた後、サニーはスィムランを追ってバンコクへ来たのだった。孤独だったスィムランは、サニーと密会を重ねるようになる。同時にスィムランは夫に冷たい態度をとるようになる。 スディールは妻の態度が変わったことに気付き、探偵を雇うことにした。スディールは3日間ムンバイーへ出張に出掛ける。その間、スィムランはサニーと情事に耽るが、その様子を探偵に盗撮される。しかし、サニーとの情事でカビールを幼稚園に迎えに行くことを忘れてしまい、それをきっかけに自分がしていた過ちに気付く。全てを無かったことにするため、スィムランはサニーの家を訪れる。しかしそこにいたのは、サニーのガールフレンドで売春婦の女だった。スィムランはショックを受けるが、自分こそが売春婦だったと自覚し、サニーに絶交を言い渡す。 それと入れ違いに、探偵から妻の不倫の証拠写真を受け取ったスディールは、サニーの家を訪れる。そこで乱闘になり、スディールはサニーを殺害してしまう。スディールは死体を車で運んで林の中に埋める。 ところが、すぐにサニーが行方不明になったことが明らかになり、警察がスディールの家を訪れる。また、スディールのもとには何者かから、彼が死体を埋めているところを撮影した写真が送られてくる。スディールは妻に、自分がサニーを殺したことを自白する。スィムランは夫とカビールをインドへ逃がすことにし、彼らを空港まで送る。しかしスディールは妻を置いてタイを去ることができず、引き返してしまう。警察の追っ手が迫り、スディールとスィムランは逮捕される。 尋問でスディールとスィムランは庇いあうが、スディールの罪が明らかになる。家に帰ったスィムランを待っていたのは、なんと死んだはずのサニーだった。実はサニーは生きており、あの写真を撮ったのは売春婦の女だった。スィムランは必死で逃げる。一方、警察は売春婦の女の尋問をし、サニーが生きていることを突き止める。それを聞いたスディールはスィムランの身が危ないことに勘付き、留置所を脱走してスィムランのもとへ走る。 スィムランはサニーから逃げ回っていたが、そこへスディールがやって来る。スディールとサニーは肉弾戦を繰り広げ、最後にサニーは警察によって射殺される。試練を乗り越えたスディールとスィムランは、名実共に夫婦となるのだった。
前半からクライマックスの前までは、黒沢明監督の「羅生門」(1950年)タイプの、登場人物の証言によって事実が二転三転する構成だった。警察の尋問による自供でストーリーは進むが、あらすじでは一本の筋が通ったストーリーに編集した。また、ストーリーを分類するならば、インド映画がなぜか好んで取り上げるストーカー恋愛もの+最近急増してきた不倫ものである。けっこうしっかりとストーリーを組み立てており、いい映画だと言うことができる。
主演の三人は全員去年デビューしたばかりの新人だが、三人とも演技が素晴らしく、またそれぞれ個性があってよかった。イムラーンは、何となく気持ち悪い顔をしているのだが、それが幸いして気持ち悪い役が似合う。この映画でもスィムランに異常な愛情を注ぐ危険な男を演じており、彼にピッタリだった。演技もうまい。アシュミト・パテールは知的な役、熱血漢な役、両方こなせそうな男優だと思った。今回はどちらの面も見せていた。なんとアミーシャー・パテールの兄弟とのこと。ヒロインのマッリカー・シェーラーワトは、おそらく現在のヒンディー語映画界のセックスシンボル、ビパーシャー・バスに取って代わるほどの魅力を持った女優だと思った。やはりビパーシャーと同じで肌の色が黒いのだが、それゆえにインド美人特有の妖艶な魅力がある。しかも、ミセスの役を押し付けるのはもったいないくらいまだ若いと思うので、これから急成長しそうな予感。「Khwahish」の他、彼女は「Jeena Sirf Merre Liye」(2002年)にリーマー・ラーンバーという名前で出演していた。
この映画の最大の特徴は、インド映画の限界に挑戦した性描写である。最近露骨な性描写の映画がインドでも増えてきたが、この映画はさらに記録を塗り替えるくらいの激しい性描写だった。ベッドシーンが多い上に、インド映画最高記録と思われる激しいディープキスシーンがあり、「いいのか?」と心配になってしまった。
バンコクが舞台のため、バンコクの風景がよく映っていた。僕が最後にバンコクへ行ったのは2000年だったと思うが、あの頃に比べてだいぶきれいになったな、と思った。BTSも映っていた。インド人にとってバンコクがどういう土地なのかは分からないが、けっこうインド人が住んでいるのだろうか。スディールはコンピューターエンジニアの仕事をバンコクでしているという設定だった。
この映画でひとつだけ難点を挙げるとすれば、セリフがちょいと臭いことだ。何年かぶりに大学時代の恋人サミーと再会したスィムラン。サミーは彼女に電話番号を渡す。最初スィムランはサミーに電話をする勇気がなく、電話をかけてもすぐに切ってしまっていた。しかしあるとき電話をかけると、サミーが出る。「ハロー?」しかしスィムランは黙っている。サミーは言う。「スィムラン?」スィムランは黙り続ける。そこでサミーが言う。「俺はお前のこと全部知ってるんだ。お前の沈黙すら聞き分けることができるんだよ。」観客は大爆笑。こういう臭いセリフがいくつかあって、その都度インド人の若者は大笑いしていた。しかし、物語のクライマックス、サニーを射殺した警察が、二人に言った言葉はよかった。「結婚式に新郎新婦は火の回りを回って誓いを立てるが、それでは結婚は真の意味で成立しない。人生の炎(試練)を夫婦で共に潜り抜けたとき、夫婦は本当の意味で夫婦になるんだ。」このセリフで映画は終了し、観客からは拍手が起こった。このセリフだけで、いい映画に思われた。
音楽はアヌ・マリク。アヌ・マリクの音楽はピンキリだが、この映画の音楽は普通のインド映画音楽とは違う独特のテイストがある。「Kaho Na Kaho」は、エジプトの歌手アマル・ディヤープの「Tamally Maak」というヒット曲のカバーで、パーキスターンのアミール・ジャマールが歌っている。
「Murder」はヒンディー語とテルグ語の同時公開だそうだ。ストーリーはインド人にとっては新鮮だと思うし、性描写の激しさが相乗効果となって、僕の予想では、けっこうヒットするのではないかと思う。