
1992年5月8日公開の「Khuda Gawah」は、アフガーニスターンやネパールなどの山岳地帯でロケが行われた壮大なスケールのエピック映画であり、当時インドでもっとも高額な製作費がつぎ込まれた大作であった。ターリバーン政権樹立直前のカーブルやマザーレ・シャリーフで撮影が行われ、アフガーニスターンでも大人気だった主演アミターブ・バッチャンは大歓迎された。バッチャンが演じる主人公もアフガーニスターンのパターン人を束ねる頭領という設定である。インドでも大ヒットしたが、アフガーニスターンでも公開され、今日まで最大の興行収入を上げた作品として記録されている。
監督は「Agneepath」(1990年)などのムクル・S・アーナンド。音楽はラクシュミーカーント=ピャーレーラール、作詞はアーナンド・バクシー。
主演アミターブ・バッチャンの相手役を務めるヒロインは当時のトップ女優シュリーデーヴィー。バッチャンとシュリーデーヴィーの共演は本作で3本目だった。
他には、ナーガールジュナ、シルパー・シロードカル、ダニー・デンゾンパ、キラン・クマール、バラト・カプール、アンジャナー・ムムターズ、ヴィクラム・ゴーカレー、ビーナー・バナルジー、スレーンドラ・パール、シャンミーなどが出演している。
題名の「Khuda Gawah」とは「神を証人にして」「神が証言してくれる」といった意味で、日本語の慣用句「お天道様は見ている」に似ている。
カーブル近郊の山岳地帯に住むパターン人の頭領バードシャー・カーン(アミターブ・バッチャン)は、アフガーニスターンの伝統国技ブズカシーで対戦したライバル部族の女頭領ベーナズィール(シュリーデーヴィー)に一目惚れする。ベーナズィールは結婚の条件として、彼女の父親の仇ハビーブッラーの殺害を提示する。ハビーブッラーはインドにいた。バードシャーは意気揚々とインドに出掛けた。
1年間インドを放浪したバードシャーは、ハビーブッラーが刑務所におり、もうすぐ処刑されることを知って、突入する。看守のランヴィール・スィークリー(ヴィクラム・ゴーカレー)が止めようとするが、バードシャーはハビーブッラーを連れ出す。ハビーブッラーの兄パーシャー(キラン・クマール)が制止するがバードシャーはハビーブッラーを斬首する。ランヴィールはハビーブッラー殺害の現行犯でバードシャーを逮捕しようとするが、バードシャーは30日後に帰ってくると約束し、ランヴィールは彼を信じた。
カーブルに帰ったバードシャーはベーナズィールと結婚する。だが、約束の期日が迫り、腹心のクダーバクシュ(ダニー・デンゾンパ)にベーナズィールを託してインドに戻る。バードシャーは逮捕され、懲役5年を言い渡される。服役中にベーナズィールは出産し、生まれた女児はメヘンディーと名付けられた。また、ランヴィールの妻(ビーナー・バナルジー)も同じ日に女児を出産し、ヒーナーと名付けられた。
バードシャーが刑期を終える直前、パーシャーはヒーナーを誘拐し、ランヴィールにバードシャーの身柄を要求する。それを知ったバードシャーはランヴィールを気絶させ、単身ヒーナー救出に向かう。後からランヴィールも追いつくが、部下アズィーズ・ミルザー(バラト・カプール)の裏切りに遭い殺される。パーシャーはヒーナーを人質に取り、バードシャーにランヴィール殺害の罪をかぶるように要求する。バードシャーはそれを受け入れ、終身刑となる。その後、アズィーズは拘束されたバードシャーをからかいに来るが、夫の悪行に我慢できなかった妻サルマー(アンジャナー・ムムターズ)はアズィーズを刺し殺してしまう。バードシャーはその罪もかぶる。ベーナズィールに促されクダーバクシュは刑務所までバードシャーに会いに来る。バードシャーはクダーバクシュに、ベーナズィールには自分が死んだと伝えるように頼む。バードシャーの死を知らされたベーナズィールは気が狂ってしまう。
クダーバクシュは狂人になったベーナズィールの世話をし、バードシャーの娘メヘンディー(シュリーデーヴィー)を父親として育てた。メヘンディーはクダーバクシュが実の父親ではないと知り、出生の秘密を聞き出す。父親がインドにいることを知ったメヘンディーは、カーレース出場にかこつけてインドに降り立つ。一方、ヒーナーは警察官になり、警察学校で会ったラージャー(ナーガールジュナ)と恋仲になっていた。ラージャーとヒーナーは空港でメヘンディーと会う。当初ヒーナーはメヘンディーを麻薬の運び屋だと考え家宅捜索するが、それによってメヘンディーがバードシャーの娘であることを知る。バードシャーは模範囚として刑期を短縮され釈放される。ヒーナーはメヘンディーをバードシャーに引き合わせるが、バードシャーは娘と会うのを避ける。
ラージャーは、バードシャーが父親の仇だと考え、彼を殺そうとする。だが、サルマーは息子に真実を明かす。カーブルではクダーバクシュがベーナズィールを連れてインドに出発したが、途中でパーシャーに捕まる。ラージャーとヒーナーは救出に向かい、クダーバクシュも加勢する。パーシャーはベーナズィールを殺そうとするが、バードシャーが現れ、彼女と再会する。ベーナズィールは正気を取り戻す。バードシャーとベーナズィールは馬に乗ってパーシャーを運び、岩に激突させて殺す。
映画は、アフガーニスターンの国技である勇壮なブズカシーの映像から始まる。馬に乗った人々が山羊の死体を奪い合う伝統スポーツであり、この競技中に主人公バードシャーとベーナズィールは出会い、恋に落ちるという導入である。アフガーニスターン政府からの全面協力を得て撮影された映画であり、その利点を最大限活かした迫力あるシーンだった。掴みはバッチリだ。
バードシャーに求婚されたベーナズィールはひとつの条件を出す。彼女の父親を殺したハビーブッラーの首を持って来たら結婚するというのである。バードシャーもベーナズィールもパターン人であるが、彼らは復讐の法などを定めた「パシュトゥーンワーリー」と呼ばれる独自の掟を守っている。ベーナズィールが出した結婚条件もいかにもパターン人らしいもので、もしかしたら日本人には「竹取物語」を想起させるかもしれない。バードシャーは喜んでその条件を飲み、意気揚々と馬に乗ってインドに旅立っていく。ちなみに、アフガーニスターンからパーキスターンを経由してインドまで馬で移動し国境を越えられるかは分からない。そもそもバードシャーはパスポートも持っていなさそうだった。
バードシャーはインドで、ラージプートの看守ランヴィールと出会い、意気投合する。ラージプートも尚武の民であり、パターン人と馬が合った。バードシャーは刑務所に囚われ処刑直前だったハビーブッラーを連れ出し、首を切る。だが、ランヴィールは警察官の職務としてバードシャーを逮捕しなければならなかった。パターン人のバードシャーは、これから処刑される人物を殺すと罪に問われるというインドの法律がよく理解できなかったが、ベーナズィールとの約束を守らなければならなかったため、30日の猶予をもらい、アフガーニスターンに一時帰国することを許してもらう。パターン人は一度交わした約束は命に代えても守り抜く。そんな気風を知っていたランヴィールは、バードシャーを信じ、彼をすぐには逮捕しなかった。
バードシャーはカーブルに戻り、ベーナズィールと結婚して、約束通りインドに戻ってくる。だが、期日ギリギリだったため、ランヴィールは犯人をわざと逃がしたと責められ、懲戒免職寸前だった。それでもランヴィールはつい1ヶ月前に会ったばかりのバードシャーを信じてひたすら待ち続けていた。この辺りは太宰治の「走れメロス」を思わせる。このとき、パターン人とラージプートの間に固い友情が結ばれたのだった。バードシャーはランヴィールの娘ヒーナーの名付け親になり、ランヴィールはバードシャーの娘メヘンディーの名付け親になった。どちらも同じ意味で、髪染めや染色に使われる薬草のことである。
ただ、バードシャーのように正直な人間は悪人の餌食になりやすい。ハビーブッラーを殺害したのは確かにバードシャーで、その罰として5年の懲役刑は適切なものだったが、彼にはその他にもランヴィール殺害とアズィーズ殺害の濡れ衣が着せられ、終身刑になってしまう。ランヴィールを殺したのはパーシャーだったが、彼の娘ヒーナーを人質に取られていたため、その罪を自らかぶることになった。アズィーズを殺したのは彼の妻サルマーだったが、息子のラージャーを世話するために彼女が必要だったため、この罪もバードシャーは自発的にかぶることにしたのだった。そして、もう二度とカーブルに戻れないと感じたバードシャーは、腹心のクダーバクシュに、ベーナズィールに自分の死を伝えるようにお願いしたのだった。もちろん、パターン人のクダーバクシュにとって嘘を付くことは大罪であったが、バードシャーは自分のお守りを彼に託し、それを見せることで言葉を発せずに彼女に自分の死を暗示させたのだった。
ベーナズィールは、バードシャーの死を知らされても信じられず、ただひたすら彼を待ち続けて狂人になってしまう。バードシャーもインドの刑務所の中でベーナズィールを思い続ける。二人は出会い以来、限られた時間しか一緒に過ごしておらず、20年近い歳月の間、離れ離れになった。「Khuda Gawah」にはいくつもの挿入歌が差し挟まれるが、歌われる心情の中心になっているのはバードシャーとベーナズィールがお互いに恋い焦がれる別離の感情である。
インターミッションを挟んで後半になると時計が進んで雰囲気はガラリと変わる。バードシャーとベーナズィールはいったん脇に置かれ、新しい世代であるメヘンディーとヒーナーが中心になる。メヘンディーはクダーバクシュを父親だと信じて育ってきたが、実の父親が別にいることを知り、インドまで彼を探しに来る。そこで偶然ヒーナーと出会うという展開だ。
「Khuda Gawah」は基本的に時系列通りに進む直線的な時間進行の映画だ。回想シーンなどを入れることで途中で時間が巻き戻ることはない。おそらくこの映画がターゲットにしている客層は教養の低い大衆層であり、時間があちこちに飛ぶ物語には付いてこられないと配慮して、このような分かりやすい展開にしたのだと思われる。だが、インターミッション後、メヘンディーの登場シーンから映画を始め、彼女が実の父親の存在を知ったところで過去に時間を巻き戻す構成でも面白くなったと思われる。ただ、現行の構成により、今回一人二役を演じるシュリーデーヴィーのお色直し効果があることも否定できない。スター中心で考えれば今の形の方が正解なのだろう。
メヘンディー訪印の最大の目的は父親探しであったが、彼女はカーレーサーであり、インドで開催されるレースに出場するという別の目的も持っていた。前半にブズカシー、後半にカーレースのシーンがあるのかと期待していたが、とうとうカーレースは行われなかった。カーレースがあれば絶対に後半の見せ場が増えたと思うのだが、予算または時間が足らなかったのだろう。その他にも、所々でストーリーが飛んでいるように見える部分があり、編集は雑に感じる。きっと3時間を超える長尺の中にも収まりきらなかった映像や物語があだろうことが予想される。
メヘンディーとヒーナーは運命の出会いをするが、もう一人、ラージャーの存在もあった。ラージャーは、ランヴィールを殺し妻サルマーに殺された悪徳警察官アズィーズの息子であった。ラージャーは、父親を殺したのが母親だとは知らず、バードシャーが犯人だと信じていた。ラージャーは警察官になり、警察学校で出会ったヒーナーと恋仲になっていたが、アフガーニスターンからやって来たメヘンディーにも惹かれる。もちろん、彼女がバードシャーの娘であることは知らなかった。この三角関係も発展させると面白くなりそうだったが、基本的に「Khuda Gawah」はアクション映画志向の観客のために作られたようで、ロマンスに深入りすることはなかった。これは潔い決断だったといえるだろうが、少しだけヒーナーがメヘンディーと仲良くするラージャーを見て悲しむ姿が描かれていたため、中途半端になってしまっていた。悪役のパーシャーが多少コミカルなキャラだったのも雰囲気を損なっていた。
最終的にはラージャーの誤解も解け、パーシャーを共通の敵だと認識する。パーシャーはバードシャーに会うためにインドに向かっていたクダーバクシュとベーナズィールを捕らえ、ラージャーを呼び出すが、ラージャーはヒーナーと共にクダーバクシュとベーナズィールの救出に動き、なぜか時間差でバードシャーも颯爽と現れて、正気を取り戻したベーナズィールと協力してパーシャーを殺す。
「Khuda Gawah」の物語を一言で表すならば、誓いと愛のせめぎ合いだ。バードシャーはランヴィールと交わした約束を守るため、新婚の妻をカーブルに残してインドに戻った。バードシャーはインドで意気投合し親友になったランヴィールの娘ヒーナーを救うため、ランヴィール殺害の罪をかぶった。クダーバクシュはバードシャーとの約束を守り、パターン人の掟に反して、ベーナズィールにバードシャーの死という嘘を伝える。誇り高く生きるパターン人だからこそ不自由であり、時に愛情や友情を犠牲にしなくてはならなくなる。だが、それでも愛は不滅であり、誓いや約束を乗り越えて愛し合う人々を結びつける。そんな強烈な愛の物語であった。
パターン人が主人公の映画ということで、挿入歌の多くにはパシュトー・タールと呼ばれるアフガーニスターンの伝統音楽に特有の7ビートのリズムが使われていて、異国情緒を醸し出している。具体的には、「Main Aisi Cheez Nahin」、「Tu Mujhe Kabool」、「Tu Na Ja Mere Badshah」などである。
ヒンディー語映画では、パターン人のキャラがヒンディー語のセリフをしゃべる際の訛りの提携様式が確立しており、今回パターン人バードシャー役を演じたアミターブ・バッチャンもそれに従っていた。具体的には、コピュラ動詞単数現在形「है」の発音が一般的な「ハェ」ではなく「ハイ」になったり、一人称単数代名詞「मैं」の発音が一般的な「マェン」ではなく「マイン」になったりする。男性名詞、女性名詞の区別も曖昧になる。ただし、本当のパターン人がヒンディー語を話すと実際にそうなるのかは分からない。
「Khuda Gawah」は、インド映画としては異例だが、アフガーニスターンのパターン人が主人公の映画である。アフガーニスターンなどでロケが敢行され、壮大な山岳地帯を背景に物語が展開される。とはいっても人間ドラマが中心であり、一度約束したことは必ず守る主人公が愛との板挟みになる苦しみが描かれている。パターン人とラージプートの友情はインドとアフガーニスターンの親善を願うものでもあっただろう。冒頭のブズカシーの映像も大きな見どころだ。ただ、大味な映画であるし、長尺ながら物語が収まりきっておらず、完成度はそれほど高くはない。
