Ohh My Dog

3.0
Ohh My Dog
「Ohh My Dog」

 2026年8月7日公開の「Ohh My Dog」は、インド映画界でチラホラと見られるようになった動物映画の一種である。従来、インドではあまり動物を中心に据えた映画はほとんど作られてこなかったが、2020年代に入り、カンナダ語映画「777 Charlie」(2022年/邦題:チャーリー)、「Dil Dosti Aur Dogs」(2025年)、「Aachari Baa」(2025年)などが続き、「動物映画」というジャンルが確立されつつあるように感じる。ただ、やはり人気のある動物は犬である。

 「Ohh My Dog」の監督は、「Road to Sangam」(2010年)や「OMG 2」(2023年)のアミト・ラーイ。キャストには実力派俳優パンカジ・トリパーティーが起用されているが、彼はどちらかといえば脇役である。他には、ラージェーシュ・クマール、ギーター・アガルワール・シャルマー、ヴィジャイ・ミシュラー、マーヒー・ラーイ、スラキヤナー・バルワー、ジャーヴェード・カーン、ニキル・クマール、パヴァン・マロートラーなどが出演している。

 物語の舞台はビハール州パトナーとアッサム州ディブルーガルに分かれている。そして、それぞれ別々のエピソードが同時並行的に進行する。それぞれのエピソードがオーバラップすることはない。よって、2つの物語が1本の映画になっていると考えてもいい。パトナーの物語では、少年が行方不明になり、その飼い犬が少年を探し回る一方、ディブルーガルの物語では、飼い犬が行方不明になり、その飼い主が犬を探し回る。

 ビハール州パトナー。工事現場で働く少年プリンス(ニキル・クマール)にはオスカーという愛犬がいた。あるときプリンスは突然行方不明になり、まずはオスカーが異変に気付く。オスカーがやたら吠え立てたために不審に感じた仲間たちがプリンスがいないのに気付いて探し出す。労働する子供たちを教えていた先生(パンカジ・トリパーティー)もそれに協力する。先生は警察署に行き、警部補(ラージェーシュ・クマール)に被害届を出そうとするが、警部補はまともに取り合おうとしなかった。

 実はプリンスは臓器密売の組織に誘拐されていた。この組織と警部補はグルだった。オスカーはプリンスの匂いを頼りに彼の足取りをたどり、ついに誘拐の実行犯ラルワーの隠れ家までたどり着く。オスカーに連れられて先生たちも隠れ家に来るが、ラルワーは警部補からの忠告に従って逃げ出したため、見つからなかった。先生たちは帰ったが、オスカーはその場に残り、ラルワーの足取りを思考した。そのときラルワーは警察署に来ていたが、オスカーにばれてしまう。警部補はオスカーを遠くへおびき出して迷子にさせようとするが、賢いオスカーはまた警察署に戻ってきてラルワーに襲い掛かる。

 ラルワーは逃げ出し、仲間を呼んで応戦しようとするが、オスカーも野良犬仲間を呼び寄せる。ラルワーはプリンスを連れて病院へ行くが、そこにもオスカーがやって来る。とうとうオスカーはプリンスを助け出した。

 アッサム州ディブルーガル。マディヤ・プラデーシュ州ボーパールから引っ越してきたばかりの少年アップー(マーヒー・ラーイ)はモモという愛犬を飼っていた。あるときモモが突然姿を消してしまう。母親(ギーター・アガルワール・シャルマー)に連れられてまずは警察署に行くが、ムハンマド・アブー・ハザーリー(ヴィジャイ・ミシュラー)は最近犬が立て続けに行方不明になっていると明かす。犬食をする他州に売り飛ばされるのである。モモも犬密輸組織に拉致された恐れがあった。

 賢いアップーは、モモが行方不明になったと思われる現場から小さな証拠を集め、監視カメラの映像などから、モモを誘拐した犯人が乗っていた自動車を特定する。アップーの家庭教師クリシュナー(スラキヤナー・バルワー)はモモ探しに協力する。手掛かりを得たハザーリーはアップーを探し始めるが、実は彼は犬密輸組織と密通しており、犯人に連絡を取って逃がそうとしていた。アップーはそれに気付き、ハザーリーの携帯電話を盗聴して情報を集める。また、クリシュナーの叔父(パヴァン・マロートラー)が交通警察をしており、彼らのモモ探しに協力してくれることになった。

 誘拐犯は州境を越えて逃げようとしていた。ハザーリーは犬を運ぶ誘拐犯を南の州境に逃がし、アップーたちを北の州境におびき出そうとするが、アップーはその陽動作戦をお見通しで、北の州境に行くと見せかけて南の州境へ向かっていた。そしてトラックの中からモモを見つけ出す。

 動物映画というと人と動物の心温まる交流を描いた感動作を思い浮かべる。確かに「Ohh My Dog」も涙腺を刺激するタイプの映画である。だが、意外に深刻なテーマを取り上げている。どちらのエピソードも少年と犬の強い絆が原動力になっているものの、「Ohh My Dog」を手放しで子供向け映画と呼ぶことはできない。少なくとも小さな子供向けの映画ではない。

 パトナーのエピソードでは、臓器マフィアの暗躍が描かれる。誘拐された少年プリンスの血液型はOネガティブ(O形Rhマイナス)であり、全ての血液型の適合するオールマイティーなドナーであった。よってマフィアから腎臓を狙われ、誘拐されたのである。一方、ディブルーガルのエピソードでは、アッサム州の「外の州」で犬食が行われており、犬が高く売れるため、犬を捕まえて売り飛ばすマフィアが暗躍しているとのことだった。少年アップーの飼い犬モモもこのマフィアの餌食になり誘拐されてしまった。

 しかも、どちらのエピソードでも警察がマフィアと通じていた。プリンスを教えていた先生や、アップーの母親が警察に捜索願を出しに行くのだが、警察からまず発せられたのは「その内帰ってくるだろう」という冷ややかなものだった。

 幸い、プリンスの愛犬オスカーも、モモの飼い主アップーも、非常に賢かった。オスカーは嗅覚と知恵を働かせプリンスの足跡をたどり、アップーはさまざまなテクノロジーや推理を駆使してモモの行方を追う。

 そして、どちらのエピソードもハッピーエンドで終わる。プリンスは臓器を摘出される直前に救出され、モモも州境を越える前に助け出された。オスカーとアップーが必死に相棒を探す姿が長らく映し出されるため、最後の再会シーンではホロリと来てしまう。

 ただ、全体的にもう一工夫欲しかった。一番ガッカリしたのは、パトナーのエピソードとディブルーガルのエピソードが全く交差せずに終わることだ。最初から関連性を持たせる必要はないが、せっかく並行して進行するので、どこかでエピソードが交わるとスッキリした。もっとも、おそらくオスカーとモモは、映画の冒頭で映し出されたセーナーパティという名前の警察犬の子供ということなのだろう。つまり、オスカーとモモは兄弟であった。エピローグでは、雪山で倒れる兵士の横に立つヌーリーという犬も映し出されるが、これもセーナーパティの子供の可能性がある。ただ、セーナーパティには4匹の子供がいたということなので、あと1匹はどうしているのだろうという疑問も浮かぶ。

 インド映画らしく、人間と犬の物語には神話が絡められていた。まず、犬の守護神的な立ち位置にされていたのが猿の将軍ハヌマーンである。日本には「犬猿の仲」という慣用句があり、犬がハヌマーンを拝んだりするのに何となく違和感を抱くのだが、おそらくハヌマーンは動物たちのリーダー扱いされているのだろう。また、「マハーバーラタ」にも言及されていた。「マハーバーラタ」の最後では、パーンダヴァ五王子と共通の妻ドラウパディーが1匹の犬と共にヒマーラヤ山脈の頂に登る場面が描かれている。これは有名な話だが、「Ohh My Dog」では、「マハーバーラタ」の始まりにも犬がいるとのことだった。それは、「マハーバーラタ」第1巻で語られるジャナメージャヤ関連の逸話を指していると思われる。ジャナメージャヤの兄弟たちは1匹の犬に暴行を加え、母犬サラマーから呪いを掛けられるのである。

 「Ohh My Dog」全体からも、犬をはじめとした動物を大切にしようというメッセージが発信されていたのを感じたが、「マハーバーラタ」が犬から始まり犬に終わると聞かされると、インド人の心にはさらにそれが強く浸透することだろう。

 インドでは動物愛護活動家の発言力が強く、映画で動物を使うのにも高いハードルがある。動物のシーンはCGで済まされることも多い。だが、犬をフィーチャーした「Ohh My Dog」では本物の犬が使われていたし、きちんと演技もさせていた。特にパトナーのエピソードでは犬の大群が悪漢たちに襲い掛かるという圧巻のシーンがあり、気合が入っていた。「101匹わんちゃん大突撃」であった。

 犬とは別の要素で気になったのはアップーが携帯電話にインストールしたアプリだ。アップーは、ITエンジニアの父親からの遺伝なのか、やたらテクノロジーに詳しく、それがモモ探しにも役立ったのだが、彼はよく分からないアプリをインストールして犯人の個人情報を引き出したり電話の盗聴をしたりしていた。あたかも本当にそういうアプリがあるかのような描写がされていたが、実在するのだろうか。そうだとしたら怖いことである。

 「Ohh My Dog」は、インド映画界で黎明期を迎えつつある動物映画に数えられる作品だ。ただ、単に人と犬の心温まるドラマではなく、基本的には暗いトーンの大人向け映画だ。本物の犬に演技をさせて撮っているシーンが大きな見どころだが、映画が大きく2つのエピソードに分断されてしまっており、それらが有機的に絡み合っておらず、まとまりを欠く構成になっていた。どちらも結局警察が悪役というオチで、それも工夫がなかった。興行的にも失敗している。