ヒンディー語映画は読んで字の如くヒンディー語の映画のことだが、その産業の拠点が、ヒンディー語が話されている北インドではなく、マハーラーシュトラ州の州都ムンバイーに位置していることもあって、映画の主題や味付けにマハーラーシュトラ州特有の要素の影響が入り込むことがある。その中でも筆頭が「マラーター(Maratha/मराठा)」という概念だ。
現代インドにおいて、「マラーター」という用語は少なくとも以下の3つのレイヤーで使われているため、インドに詳しくない日本人にはいまいち分かりにくいのではないかと思われる。
- カースト
- 言語
- 地域
これら3つの観点から「マラーター」について理解を深めていくが、その前に「マラーター」の語源にも触れておきたい。
語源
まず、「マラーター」という言葉の語源であるが、諸説あるものの、これは「マハーラーシュトラ(Maharashtra/महाराष्ट्र)」の訛った形と考えていい。「マハーラッター(Maharatta/महारट्टा)」もしくは「マルハッター(Marhatta/मरहट्टा)」などと呼ばれることもあるが、これも同様に「マハーラーシュトラ」が訛った別の形だ。「マハーラーシュトラ」とは「偉大なるラーシュトラ」という意味である。そして、「ラーシュトラ」とは一般的に「国」「領土」を意味する言葉だ。よって、「マハーラーシュトラ州」は「偉大なる州」と訳しても差し支えない。
ただ、古来「ラーシュトラ」は、デカン高原を支配してきた民族の名前にも使われてきたと思われる。たとえば8-10世紀にデカン高原で栄えたラーシュトラクータ朝だ。エローラのカイラーサナータ寺院を建造した王朝である。「ラーシュトラクータ」とは「ラーシュトラ族の王」もしくは「ラーシュトラという土地の王」という意味であり、もし前者ならば、「ラーシュトラ」と呼ばれた人々がこの地域に住んでいたことが予想される。ただ、ラーシュトラクータ朝の支配者層はサンスクリット語に加えてカンナダ語を使用していたことが判明している。よって、現在マハーラーシュトラ州に住んでいる人々の直接の祖先がラーシュトラクータ朝の支配者だったとは言い切れない。むしろ現在のカンナダ人に近い人々だったと考えられている。
ラーシュトラクータ朝が「マハーラーシュトラ」という言葉の起源というわけでもない。ラーシュトラクータ朝成立よりはるか以前、紀元前3世紀のアショーカ王の時代から、デカン高原には「ラティカー」とか「ラーシュトリカー」と呼ばれる人々が住んでいたことも分かっている。これらは「ラーシュトラ」と同起源の言葉だ。7世紀にインドを訪れた玄奘も「大唐西域記」の中で「摩訶剌侘」という国について言及している。これは「マハーラーシュトラ」あるいは「マハーラッター」の音訳で間違いない。玄奘は摩訶剌侘国の国民性を「人々の体格は大きく、その性質は誇り高く豪放である。恩があれば必ず報い、怨みがあれば必ず復讐する。もし人から辱めを受ければ、命を捨ててでも仇を討ち、困窮して助けを求めてくる者がいれば、我が身を忘れて救済する」と表現している。
つまり、「マハーラーシュトラ」は非常に由緒のある言葉だといえる。その訛った形として「マラーター」という呼称が使われるようになっていた。ただ、当初は地名であり、特定の民族やカーストの名称ではなかったと捉えるべきである。
カースト
14世紀以降、デカン高原はデリー諸王朝、バフマニー朝、デカン諸王朝など、一連のイスラーム教政権によって支配された。支配者層は北インドや、さらには西アジアや中央アジアを出自としていたが、特にバフマニー朝成立以降は北インドの政権から独立し、対立もしていたため、地元民を積極的に登用して支配体制を維持していた。
この頃、デカン高原にやって来たイスラーム教徒の支配者たちは既に、地元民を民族として総称して「マラーター」と呼んでいたと思われる。たとえばバフマニー朝成立以前の14世紀にこの地を訪れたイブン・バトゥータは「旅行記」の中でダウラターバードやナンドゥルバール周辺に住む人々のことを「マラーヒター(Malahitah)」、つまり「マラーター族」と呼んでいる。
デカン高原では「クンビー」と呼ばれる農民カーストが痩せた土地を耕して農耕を行っており、多くはヒンドゥー教徒であったが、彼らの中には、デカン諸王朝に兵士として雇われ、軍事的な才能を開花させて戦場で活躍し、功績を上げて領地を得て封建領主化した人々がいた。彼らは「マラーター」と呼ばれるようになり、一般人とは区別されるようになった。ただ、ヒンドゥー教社会の中ではあくまでシュードラに属する農民であり、カースト上の地位は低かった。マラーター同士が結束していたわけでもなく、むしろ相互に対立しており、状況に合わせて日和見主義的に君主を変えることで自己の権益を拡大することに腐心していた。
シヴァージー・シャーハージー・ボーンスレーはデカン諸王朝で台頭した封建領主の一人であった。卓越した戦略家だった彼は分断していたマラーターをまとめ上げ、1674年に独立して独自の王国を樹立した。シヴァージーは「チャトラパティ(王)」に即位するにあたって自身の出自をラージプートだと主張し、それが一応認められる形になったため、王国の樹立をもってマラーターはクシャトリヤ(戦士階級)と同位に見られるようになり、独自のカーストになったといえる。この王国は後に英国人によって「マラーター王国」と呼ばれるようになったが、シヴァージー自身は「スワラージャ(独立国)」と呼んでいた。
マラーター王国はやがて、王よりも「ペーシュワー」と呼ばれるブラーフマンの宰相が実権を握るようになった。また、マラーター王国の支配領域各地ではガーイクワード家、ホールカル家、スィンディヤー家などの有力なマラーター諸侯が独立統治をするようになった。王権は名目化され、世襲化したペーシュワーが、各地のマラーター諸侯を軍事同盟でまとめ上げて、他勢力と支配権を争うようになった。当初の最大のライバルはムガル朝であったし、ムガル朝衰退後は英国東インド会社と覇を競うようになった。王ではなく宰相が実権を握り諸侯をまとめ上げるこのユニークな支配機構のことを「マラーター同盟(Maratha Confederacy)」と呼んでいる。日本史の天皇、将軍、大名に置き換えて考えてみると分かりやすいだろう。マラーター同盟は1818年に英国東インド会社によって滅ぼされるまで続いた。
「マラーター」を狭義で捉えるならば、マラーター同盟の支配者層を形成したカーストだといえるだろう。それは北インドのラージプートと非常に近い概念になる。出自は農民かもしれないが、歴史のある時点で武装し、封建領主化して、強大な王国も打ち立てた。それによって「マラーター」というまとまりが出来上がり、それがカーストの一種にもなったのである。
言語
マハーラーシュトラ州の州公用語はマラーティー語である。学校教育でも州内の学校でマラーティー語は必修となっており、マハーラーシュトラ州で生まれ育った人なら所属するコミュニティーにかかわらずマラーティー語の話者になるといっていいだろう。マラーティー語は、ヒンディー語とは文字が共通しており、文法的にもそう遠くないが、一般的には意思の疎通ができないくらい相互に異なる言語である。
「マラーティー」という名称が「マラーターの言語」を意味することからも分かるように、マラーティー語はマラーターのアイデンティティーと密接なつながりを持った言語だ。マラーターそのものといってもいい。
「マラーター」を狭義で捉えると、マラーター王国やマラーター同盟が栄えた時代の支配者層とその末裔に限定されるが、現代社会でそのような限られた用法がされることはほとんどない。むしろ、「マラーティー語を話す人々」という広い意味で使われることが多い。よって、マラーティー語を話していれば、どの宗教を信仰していても、どのカーストに属していても、現代の文脈では「マラーター」と呼ばれうる。
この地域の人々の姓名は「~カル(kar)」で終わることが多い。アンベードカル(Ambedkar)、マンゲーシュカル(Mangeshkar)、テーンドゥルカル(Tendulkar)などである。「地名+kar」の構造になっていて、「【地名】出身の人」といった意味になる。「ムンバイーカル(Mumbaikar)」という用語もあるが、これは実際にこういう姓名があるわけではなく、この地域の名前の特徴を応用した一種の造語で、「ムンバイーっ子」という意味になる。「~カル」系の姓名をしているとマラーターという印象が強い。
マハーラーシュトラ州では1960年代以降、マラーター至上主義が勃興した。外部からの移民が地元民の仕事を奪っているという問題意識から生まれており、ビハール州などから来た移民が排斥の対象になった。極右政党シヴ・セーナーを創立したバール・タークレーがこの運動の急先鋒であった。
このマラーター至上主義の言説において、「マラーティー・マーヌース(मराठी माणूस)」という言葉が頻出するが、これはマラーティー語を母語として話す人々のことであり、広義での「マラーター」と同義と捉えることができる。
地域
マラーティー語話者としての「マラーター」よりさらに広義の使い方として、「マハーラーシュトラ人(Maharashtrian)」的な用法が挙げられる。「マラーティー語話者」と重なる部分もあるのだが、マハーラーシュトラ州にはマラーティー語を母語としない人々も住み着いているわけで、彼らを含めた概念としての「マラーター」も成り立つことがある。つまり、マラーティー語を話そうが話すまいが、マハーラーシュトラ州に住んでいれば皆「マラーター」であるというかなり懐の広い考え方だ。言い換えれば、一番雑な使い方でもある。
これが成立する一番の理由は、他の地域に比べて「マハーラーシュトラ州の州民」という具合のいい言葉があまりないことにあると思われる。たとえばパンジャーブ州の州民は「パンジャービー(Punjabi)」であるし、ビハール州の州民は「ビハーリー(Bihari)」だが、マハーラーシュトラ州の州民を指す言葉は「マラーター」以外にあまり思い付かない。上で便宜的に使った「Maharasthrian」という言葉も英語の造語規則に従って作られた言葉で土着感は薄い。冗長でもある。そうなると「マラーター」を使うしかないのである。
ただ、語源でも説明した通り、元々「マラーター」は「マハーラーシュトラ」が訛った形である。よって、語源的にはマハーラーシュトラ人を「マラーター」と呼ぶことは全く正しいことになるので複雑だ。
ヒンディー語映画の中のマラーター
ムンバイーを拠点とするヒンディー語映画界は、常に地元のマラーター至上主義にさらされている。マラーター至上主義者はしばしば過激な行動に出ることも多く、それを恐れる映画メーカーたちは十分に気を遣いながら映画を作っている。
たとえば、コメディー映画で多いのだが、劇中で何の脈絡もなく登場人物が「ジャイ・マハーラーシュトラ(マハーラーシュトラ州万歳)!」とシュプレヒコールをあげることがある。これはマラーター至上主義者たちへの迎合以外に考えられない。
近年はマラーターの英雄を主人公にした映画も増えている。「Bajirao Mastani」(2015年)、「Panipat」(2019年)、「Tanhaji」(2020年)、「Chhaava」(2025年)、「Raja Shivaji」(2026年)である。説明した通り、「マラーター」のアイデンティティーが確立したのは14世紀以降なので、マラーターの英雄も自然とそれ以降にならざるをえない。特にマラーター王国の創立者シヴァージーは最大の英雄扱いされている。

