
1983年8月12日公開の「Jaane Bhi Do Yaaro(放っておけ、友よ)」は、国立映画開発公社(NFDC)製作のブラックコメディー映画だ。NFDCはメインストリームの大衆娯楽映画に対抗するため、国家主導で質の高い映画を送り出そうとしており、パラレル映画と呼ばれる運動が盛り上がった。この時代にNFDCによって製作された映画のほとんどがシリアスな社会派映画でったが、本作はその中でも稀なコメディー映画になる。ただし、笑いが高度すぎたために一般受けはせず、興行的には惨敗だった。それでも後にカルト的な人気を博すようになり、ヒンディー語映画史にその名が刻まれている。
監督はクンダン・シャー。インド映画テレビ学校(FTII)の卒業生で、後に「Kabhi Haan Kabhi Naa」(1993年)や「Dil Hai Tumhaara」(2002年)などを撮ることになる。本作はコメディー映画を得意としたシャー監督のデビュー作である。
キャストは、ナスィールッディーン・シャー、ラヴィ・バースワーニー、オーム・プリー、パンカジ・カプール、サティーシュ・シャー、バクティ・バールヴェー、ラージェーシュ・プリー、サティーシュ・カウシク、ニーナー・グプター、ディーパク・カーズィル、ヴィドゥ・ヴィノード・チョープラーなどが出演している。また、アヌパム・ケールが声のみで出演している。パラレル映画を率いた実力派俳優たちが勢揃いしている。
若い写真家二人組のヴィノード・チョープラー(ナスィールッディーン・シャー)とスディール・ミシュラー(ラヴィ・バースワーニー)は、ボンベイのハージー・アリー地区に「ビューティー・フォトスタジオ」という写真館を新しく開店したが、客が一人も来なかった。気付くとすぐ近くに「スーパー・フォトスタジオ」という別の写真館ができており、客を奪われていた。
スーパー・フォトスタジオは、社会正義を社是に掲げる新聞紙「カバルダール」のオフィスの前にあった。実は、カバルダール紙を目の敵にする悪徳実業家タルネージャー(パンカジ・カプール)が、カバルダール紙を監視するために部下のアショーク・ナンブーディリパド(サティーシュ・カウシク)とプリヤー(ニーナー・グプター)を送り込んで開店させた写真館だった。
カバルダール紙の編集長ショーバー・セーン(バクティ・バールヴェー)はヴィノードとスディールに、タルネージャーとデメロ市長官(サティーシュ・シャー)の密談の盗撮を依頼する。ヴィノードとスディールは間抜けだったが、仕事はしっかりこなした。ショーバーは二人の才能を買い、さらに仕事を任せる。
当面のタルネージャーの関心事は、ボンベイ市内に建設予定の4件のフライオーバー(高架橋)の入札だった。タルネージャーはデメロ市長官に賄賂を送り、その工事を落札しようとする。だが、ライバルのアーフージャー(オーム・プリー)も同じ工事を受注するためにデメロ市長官に巨額の賄賂を送っていた。ヴィノードとスディールはショーバーと共に密談の様子を盗撮・録音し、入札書類の撮影にまで成功する。
今度はタルネージャーとアーフージャーが密会し、4件の工事を半々に分ける密談を行った。ヴィノードとスディールはこの場にも潜入し、証拠を収める。そこへシュリーワースタヴ市副長官(ディーパク・カーズィル)が現れ、第三者が工事の落札をしたと伝える。怒ったタルネージャーはデメロ市長官を暗殺する。その様子を偶然ヴィノードとスディールはカメラに収める。
フライオーバーが完成し、デメロ市長官の遺体はその下に埋められた。ヴィノードとスディールはそれを掘り起こすが、目を離した隙に遺体をなくしてしまう。遺体は酔っ払ったアーフージャーが持って行ってしまった。その後、フライオーバーが崩壊する。タルネージャーはテロにより破壊されたと言い張る。
ヴィノードとスディールは、ショーバーも結局金の亡者であることを知り、幻滅する。だが、デメロ市長官の遺体はアーフージャーの家にあると知り、彼の家に忍び込む。ヴィノードとスディールはデメロ市長の遺体を持って逃げ出す。
タルネージャー、アショーク、プリヤー、シュリーワースタヴ、アーフージャー、ショーバーがヴィノードとスディールを追いかける。途中で「マハーバーラタ」上演中の劇場に迷い込んでしまい、彼らは役者に成り代わって上演する。警察が踏み込んできてタルネージャーは逮捕されそうになるが、シュリーワースタヴが機転を利かせ、罪をヴィノードとスディールになすりつける。
貧しい写真家の若者二人組が、行政、財界、マスコミが癒着して巨万の富を築き上げている腐った現状を白日の下にさらす様子をブラックコメディー風味で描いた風刺劇だ。サスペンス要素も含まれているが、基本的には不条理な笑いが主体だ。主人公のヴィノードとスディールも決してまっすぐな人間ではないのだが、正義感は人一倍あり、貧しくても義憤は押さえ込めず、世直しのために動く。
コメディー映画ではあるが、富める者をますます富ませ、貧しき者をますます貧困に追い込む腐敗した社会システムの糾弾が物語の動機になっており、単に笑っておしまいの大衆娯楽映画とは一線を画していた。特に、汚職を糾弾する立場にあるマスコミまで汚職に染まっている様子はショッキングに描き出されていた。
ただ、安っぽさは否めない作品だった。ヴィノードとスディールは密談現場に易々と忍び込めてしまうが、「ばれないはずないだろう」という冷静な突っ込みが喉元まで来ていた。終盤にはデメロ市長官の遺体があちこちに運ばれる時間帯があったが、こんなに簡単に成人男性の遺体を持ち運べるはずはない。コメディー映画ということで大目に見てもらえるだろうというような安易な甘えが随所に感じられ、映画を盛り下げた。
さらに不条理ではあるのだが、クライマックスを飾る「マハーバーラタ」のシーンは語り草になっている。デメロ市長官の遺体を持ち去ったヴィノードとスディールはなぜか劇場に迷い込んでしまう。そこでは「マハーバーラタ」の中でも非常に有名な場面である「ドラウパディーのチールハラン(衣服はぎ取り)」が演じられていた。パーンダヴァ五王子の長男ユディシュティラは、カウラヴァ百王子の罠に掛かり、賭博の名人シャクニとのサイコロ賭博で負け続け、ついにドラウパディーまで取られてしまう。ドラウパディーに恨みのあったドゥシャーサナは彼女の衣服をはぎ取ろうとするが、クリシュナ神の加護により裸体が露出せずに済むという場面だ。ヴィノードとスディールはデメロ市長官の遺体を隠すためにサーリーを着せていたのだが、それはドラウパディー役の衣装であり、誤って舞台に引き出されてしまう。もし演劇が進行しサーリーを引きはがされたら、それが遺体であることがばれるのは必至だ。そこでヴィノードとスディールは役者に成り代わって舞台に上がり、ドラウパディーを守ろうとする。そこへタルネージャーなど遺体を追ってきた人々も加わり、抱腹絶倒のドタバタ劇になるのである。「Jaane Bhi Do Yaaro」の俳優たちは皆、FTIIや国立演劇学校(NSD)などできちんと演技を勉強してきた人々であり、舞台劇もお手の物だ。他のシーンとは見違えるような演劇調のセリフ回しを始め、観る者を圧倒する。
完全なハッピーエンドでなかったのはパラレル映画の意地があったのだろうか。ヴィノードとスディールは有力者たちの汚職を暴露できる立場にいたが、結局彼らにうまく丸め込まれ、フライオーバーを破壊したという濡れ衣を着せられて服役することになる。最後、囚人服に身を包んだヴィノードとスディールはボンベイの街を闊歩し、インド門の前で観客に向かって首を切る仕草をして見せる。「Jaane Bhi Do Yaaro」という題名と併せてこの最後を解釈するならば、結局何も変わらないという諦観であろうか。
「Jaane Bhi Do Yaaro」は、シリアスな社会派映画に走りがちなパラレル映画運動の一環として作られながら異色のブラックコメディー映画になっている。ナスィールッディーン・シャー、パンカジ・カプール、オーム・プリーといった実力派俳優たちの笑いに徹する若き姿を見られるのは貴重だ。同時代の大衆娯楽映画とは予算規模が全く異なるため貧相なところもあるのだが、終盤の「マハーバーラタ」シーンなど、十分に見応えのある作品だ。
