2026年1月2日付のタイムズ・オブ・インディア折込紙ボンベイ・タイムスに「ポスト『Dhurandhar』時代(Post-Dhurandhar era)」という用語が使われており、目を引いた。
「Dhurandhar」(2025年)は、アーディティヤ・ダル監督、ランヴィール・スィン主演のバイオレンス映画である。2025年12月5日に公開されるや否や大ヒットし、ヒンディー語映画のみならずインド映画全体として2025年最大のヒット作になった。2025年のヒンディー語映画界は、歴史映画「Chhaava」(2025年)、ロマンス映画「Saiyaara」(2025年)、教育映画「Sitaare Zameen Par」(2025年)など、バラエティーに富んだ作品の数々がそれぞれ成功を収めたが、「Dhurandhar」がその有終の美を飾り、その勢いは年が変わっても衰えていない。既に全世界の興行収入は100億ルピーを超えており、国内興行収入も最終的に100億ルピーに達するのではないかと予想されている。A認証(18歳未満閲覧禁止)かつ多言語展開されていない作品であるにもかかわらずこれだけの成功を収めていることは驚きをもって受け止められている。

近年、ヒンディー語映画界は汎インド映画のトレンドに乗って次から次へ北インド市場に押し寄せてくるパワフルな南インド映画の数々に圧倒され続けていた。「ヒンディー語映画の終焉」を口にする評論家も出始めていたくらいだ。だが、「Dhurandhar」のこの超弩級の成功は、低迷していたヒンディー語映画産業の尊厳と景気を回復し、南インド映画に対するカウンターパンチになったと評されている。ヒンディー語映画にとって、「Dhurandhar」は今後時代の分水嶺として記録されることになる可能性が取り沙汰されているのである。
ボンベイ・タイムスで「ポスト『Dhurandhar』時代」という言葉を使っていたのは、テルグ語映画界を拠点としながらヒンディー語映画も作ってきたラーム・ゴーパール・ヴァルマー監督である。彼が2025年12月29日にXに投稿した以下のポストが記事の起点になっている。どうやら彼は既に2026年3月公開予定の「Dhurandhar 2」も鑑賞済みのようで、さらなる「Dhurandhar」旋風が巻き起こることを予言している。
THE FIRE BALL of the SOUTHIES invasion into BOLLYWOOD has been KICKED back by @AdityaDharFilms left foot, named #dhurandhar and now his right foot getting ready with #dhurandhar 2 … From what I saw of the 2nd part , if the 1st SCARED them , the 2nd will TERRIFY them
— Ram Gopal Varma (@RGVzoomin) December 29, 2025
以下、ボンベイ・タイムスからの抜粋である。
アーディティヤ・ダルはマサーラー映画を美的に昇華させた
率直な意見を言うことで知られるラーム・ゴーパール・ヴァルマーは、自身の発言に南インド映画を貶めたり分断を生む意図はないと説明しながら、ボンベイ・タイムス紙の取材に対し、「南インド映画を例に挙げたのは、彼らの娯楽作品が一定の型にはまっているからだ。韓国映画が独自のスタイルで知られるように、南インド映画も独自の型で知られている。アーディティヤ・ダルは同じマサーラー映画の型を取り入れつつ、美的に昇華させた。それが皆を震撼させたのだ」と語った。彼によれば、「Dhurandhar」の成功は、南インドの映画メーカーたちに脚本とストーリーテリングへのアプローチ見直しを迫るという。「『Dhurandhar』ははるかに成熟し繊細な演出されている」と彼は述べ、「決定的な差は細部へのこだわりにある。人物が非現実的に飛び跳ねる大げさなアクションではなく、アクションが現実味を帯びている。この成熟度とキャラクターの明快さは、しばしば安っぽさに陥りがちな従来のマサーラー映画では稀なことだ」と付け加えた。
「Dhurandhar」では、ランヴィールだけを覚えているわけではない——誰もが記憶に残る
ヴァルマー監督は「Dhurandhar」の地に足のついた物語構成について語り、ヒーロー崇拝という概念から距離を置いた本作の選択を強調した。「観客が『Dhurandhar』のような強烈な作品を受け入れるとき、過剰な演出の汎インド映画は生き残れるだろうか?ランヴィール・スィンの登場シーンは、観客に拍手を求めない。彼は物語に溶け込む純粋なキャラクターとして扱われている。全ての登場人物が等しく重要だ。ランヴィールだけを覚えるのではなく、全員を覚える。各キャラクターを正当に扱うのは極めて稀なことだ。」
「ボリウッドは終わった」という主張に対し、ヴァルマー監督はこう述べた。「人々はボリウッドが終わりだと語る。なぜなら人々が楽しむ映画を作らなくなったからだ。その時期、南インドのマサーラー映画が主流になった。だが、『Dhurandhar』の後に同じ手法で作られた作品は成功するだろうか?南インド映画は完璧さを追求しすぎて非現実的に見えることが多い——過剰にグラマラスなヒロインや疑問符のつく人間関係などだ。この乖離が問題なのだ。」
南インド映画のストーリーテリングは、しばしば北インドの観客の心に響かなかった
映画監督は歴史を振り返りながら、「70-80年代のラジニカーントやNTラーマ・ラーオなど、多くの南インドスターは、特にアミターブ・バッチャン主演のヒンディー語映画のリメイク作品を通じてスーパースターになった。90年代、音楽会社が映画製作に進出したことで、ボリウッドはマサーラー映画からミュージカルへと移行した。その後、海外で教育を受けた映画メーカーたちの世代が登場し、日常を切り取った映画に焦点を当てた。マラヤーラム語映画を除く南インド映画は、マサーラー映画を作り続けることを決して止めなかった。だからこそ、当地のスターたちは全国的に人気になったのだ。しかし、その物語の感性は、しばしば北インドの観客には響かなかった。」と語った。
さらに彼は続けた。「『Dhurandhar』は、同じアクション・マサーラーの型にのっとっているが、リアリズムに根ざしている。その音楽、セリフ、撮影技術、アクションが話題になっている。南インド映画は興行収入を稼ぎ劇場観客を楽しませるが、時代劇の大作を除けば、鑑賞後に議論する余地がほとんどない」と指摘した。
「Dhurandhar」とヴァルマー監督自身の作品「Satya」(1998年)や「Sarkar」(2005年)との比較は避けられない。これに対し彼はこう語った。「人間の葛藤は、米国のマフィアであれ、ムンバイーのアンダーワールドであれ、他のどこであれ、普遍的だ。重要なのは葛藤の描き方だ。「ゴッドファーザー」(1972年)が世界的な基準となったのは、その作り込みゆえだ。偉大な映画とはそういうものだ。」
過去10年間を振り返ると、「Baahubali: The Beginning」(2015年/邦題:バーフバリ 伝説誕生)という一本の作品がトレンドセッターになってインドの映画産業全体に波及し、時代そのものを変えてしまった。果たして「Dhurandhar」のこの大成功は、再び時代の転換を主導するものにまで発展するのだろうか。ヴァルマー監督の予言の行方が楽しみである。
