今日は疲れていたにも関わらず、授業後映画を観にPVRアヌパム4まで行った。今日観た映画は2002年10月25日公開のヒンディー語映画「Deewangee」。「マッドマン」という意味だ。キャストはアジャイ・デーヴガン、アクシャイ・カンナー、ウルミラー・マートーンドカル。監督はアニース・バズミー。
ラージ・ゴーヤル(アクシャイ・カンナー)は有能で正義感の強い弁護士だった。あるとき有名な音楽プロデューサーのアシュヴィン・メヘターの殺人事件が起こる。容疑者としてタラング(アジャイ・デーヴガン)が逮捕されるが、タラングの幼馴染みであり、大人気の歌手サルガム(ウルミラー・マートーンドカル)から依頼されて、ラージはタラングの弁護人としてその事件に関わることになる。 タラングは吃音症(どもり)で内気だが、優れた音楽の才能を持つ男だった。そして時々記憶が飛ぶ障害もあった。ラージはタラングが人を殺せるような男でないと判断し、彼の無実を証明するために全力を尽くす。裁判において、最初は「タラングがアシュヴィンを殺す動機がない」ということが争点になっていたが、その動機を検察側が提出する。なんとアシュヴィンが今までプロデュースしてきた音楽は、全てタラングが作ったものだったのだ。タラングはアシュヴィンのゴーストライターだった。また、タラングはサルガムのことを誰よりも愛しており、アシュヴィンがサルガムを襲おうとしたことも発覚する。こうして、タラングがアシュヴィンを殺害したことは確実になってしまう。 しかし、一方でラージはタラングの秘密に気付いていた。タラングは精神分裂症だったのだ。タラングの心が極度の抑圧状態に陥ると、人格が入れ替わり、ランジートと名乗る人格がタラングの体を支配するのだ。ランジートは粗暴で残酷な性格だった。ラージは法廷でわざとタラングを傷つけるようなことをして、うまくランジートの人格を引き出すことに成功し、タラングの責任能力のなさを証明する。タラングは罪を問われず、精神病院に入院することになった。 だが、タラングはそんな一筋縄でいく男ではなかった。実は精神分裂症は演技だったのだ。全てはタラングが巧妙に仕組んだ計画だったのだ。タラングの才能を食い続けたアシュヴィンは死に、代わってタラングの才能は世に知れ渡り、罪にも問われなかった。裁判が終わった後にそれに気付いたラージは後悔し、もう一度裁判をやり直すよう要求する。また、精神病院からタラングを出さないように院長を説得する。 ラージがそうするのは、罪人は罰を受けるべきという信条があったと共に、サルガムに対する愛情が大きな動機となっていた。いつしかラージとサルガムは恋仲になっていた。だが、タラングはそれを面白く思っていなかった。タラングはサルガムを取り戻すために次第に凶暴になっていく。精神病院を退院することはできたものの、サルガムに包丁をつきつけて「オレを愛していると言ってくれ」と言ったり、サルガムの友人をボコボコに叩いたり、なんとかサルガムを誘拐しようとしたりした。ラージも負けてはおらず、サルガムを守り、タラングを再び逮捕するために警察と共に奔走する。 タラングを発見することができないまま、サルガムのコンサートが行われることになった。そこにタラングが現れることは確実で、ラージたちは厳重な警戒態勢を敷く。だが、まんまとタラングに出し抜かれてサルガムは連れ去られてしまう。最後はラージとタラングが波止場の廃墟で死闘を繰り広げ、ラージはタラングを海に突き落とす。 次の日、海の中を探したが、ラージの死体は見つからなかった。ラージとサルガムは結婚し、新婚旅行に出掛ける。しかしそこで聞こえてきたのは、タラングが作った歌だった。その声はタラング・・・?もしかしてタラングはまだ生きているのか?不安がるサルガムにラージは言う。「有名な歌だから誰でも歌えるだろう・・・。」
殺人事件の容疑者が二重人格者で、その二重人格が実は演技で、演技ながらもやっぱりそいつは二重人格っぽい性格をしている、という仕掛けが面白いサスペンス映画だった。何と言ってもアジャイ・デーヴガンの演技が際立っていた。アジャイは「Hum Dil De Chuke Sanam」(1999年)のような口下手で純粋な男か、「Company」(2002年)のような無口な悪役が似合っているのだが、この映画ではその両方を一度に演じさせてしまったところがすごかった。臆病でどもりがちな男タラングから、凶暴なランジートに人格が移行すると、眼光がガラッと変わり、まるで別人のようだった。この役はシャールク・カーンに演じさせてもけっこうピッタリはまったのではないかと思う。とにかく、最近メキメキと頭角を現しているアジャイのキャリアに追い風となっただろう。
アクシャイ・カンナーも最近徐々にいい映画に出始めている。「Taal」(1999年)で見たときには、「前髪が寂しい男優だ・・・」という印象が強かったが、最近は増毛しているのか、あまり頭髪に目がいかなくなった。その一方で目が行くようになったのが唇。アクシャイは下唇を噛む仕草をよくする。癖というよりは、意識的にしていると考えた方がいいだろう。チャームポイントにしようという作戦だろうか?
ウルミラー・マートーンドカルも最近になってスクリーンでよく見るようになった。ウルミラーの顔は不思議だ。目の形が特徴的で、人間離れしており、昆虫の顔をアップで見ているような気分になる。体のラインも少し変わっているように思う。でもダンスはうまく、背筋がピンと伸びていてかっこいい。この映画の中での演技はまあまあと言ったところか。だが、お腹のプルプルした肉が気になった・・・。一度気になりだすとその後はずっとその部分に目が釘付けになってしまった。踊るたびにプルプルする・・・。
音楽は「Devdas」(2002年)、「Shakti: The Power」(2002年)と立て続けにリリースが続いているイスマーイール・ダルバール。最近ノリにノっていると思っていたが、「Deewangee」の曲は個人的にイマイチだった。ちょっと手を抜いたか?
エンディングは不気味な余韻を残しながらもハッピーエンドということになったが、僕はこういう終わり方は嫌いではない。なんとなく続編を匂わせているような、まだ悪夢はこれからなのさ・・・という暗示のような・・・。全部丸く収まってめでたしめでたし、という終わり方もそれはそれでいいのだが、サスペンス映画でそういう終わり方をすると、少し低脳な映画に見えてしまうような気がする。