Son of Sardaar 2

3.0
「Son of Sardaar 2」

 スィク教徒男性はインドでよく「サルダールジー」と呼ばれる。頭にカラフルなターバンを巻き、豊かな髭を蓄えた姿はインドの風景によく映え、またその純朴で明朗快活な性格は人々から愛されている。インド人は仲間内でジョークを言い合うのが好きだが、そのジョークの主人公はサルダールジーであることが多い。ヒンディー語映画でも、サルダールジーはコミカルな役柄を宛がわれることが多々あるが、これはインド社会に定着したサルダールジーのイメージを踏襲しているに過ぎない。

 「Son of Sardaar」(2012年)は、天然ボケのサルダールジーを主人公にしたコメディー映画で、大ヒットした。SSラージャマウリ監督「Maryada Ramanna」(2010年/邦題:あなたがいてこそ)のリメイクであり、映画としての完成度は「Maryada Ramanna」の方が上だが、テルグ語映画ということもあって原作の方にサルダールジー要素はない。北インド人にはサルダールジーが笑いを巻き起こす「Son of Sardaar」の方が親近感が沸くだろう。

 「Son of Sardar」の続編が、2025年8月1日公開の「Son of Sardaar 2」だ。前作の監督はアシュウィニー・ディールだったが、本作の監督はこれまでパンジャービー語映画を撮ってきたヴィジャイ・クマール・アローラーにバトンタッチしている。プロデューサーは変わらずアジャイ・デーヴガンで、彼が前作に引き続き主演も務めている。

 ヒロインはムルナール・タークル。他に、ラヴィ・キシャン、ニールー・バージワー、ディーパク・ドーブリヤール、クブラー・サイト、チャンキー・パーンデーイ、シャラト・サクセーナー、ムクル・デーヴ、ヴィンドゥー・ダーラー・スィン、ローシュニー・ワーリヤー、サンジャイ・ミシュラー、アシュウィニー・カルセーカル、サーヒル・メヘター、ドリー・アフルワーリヤーなどが出演している。また、歌手のグル・ランダーワーがエンドクレジット曲「The Po Po Song」にカメオ出演している他、売れっ子監督ローヒト・シェッティーが一瞬だけ友情出演している。

 アジャイ・デーヴガンが演じるのは前作と同じくジャスウィンダル・スィン・ランダーワー、通称ジャッスィーであり、キャラクターにも連続性がある。他にも、「サンドゥー家」という名称や、脇役のトニーとティットゥーはキャストとキャラが共通している。ただ、ストーリー上の連続性はなく、前作とは独立した作品として捉えるべきである。

 パンジャーブ州の農村に住むジャッスィー(アジャイ・デーヴガン)は、結婚して11年になっていたが、妻のディンプル(ニールー・バージワー)は英国に住んでおり、ヴィザが下りなかったために彼女にずっと会えないままだった。だが、母親(ドリー・アフルワーリヤー)の願いが通じ、ついにヴィザが下りる。喜び勇んでジャッスィーは渡英したものの、ディンプルからは恋人を紹介され、離婚を突き付けられる。

 ジャッスィーは逃げ出し、偶然出会ったパーキスターン人女性ラビヤー・アクタル(ムルナール・タークル)の家に厄介になる。ラビヤーは、死んだ姉の娘サバー(ローシュニー・ワーリヤー)、メヘウィーシュ(クブラー・サイト)、トランスジェンダーのグル(ディーパク・ドーブリヤール)と共に住んでいた。全員パーキスターン人であり、結婚式などで演奏したり踊ったりして生計を立てていた。ラビヤーは姉の夫ダーニシュ(チャンキー・パーンデーイ)の再婚相手になったが、ダーニシュはロシア人女性と浮気して出て行ってしまった。

 サバーにはゴーギー・スィン・サンドゥー(サーヒル・メヘター)というインド人サルダールジーの恋人がおり結婚を考えていたが、ゴーギーの父親ラージャー(ラヴィ・キシャン)は血統にうるさい人物で、サバーの家族と会わなければ結婚を認めないと言っていた。ラビヤーたちは、ジャッスィーをサバーの父親に仕立て上げようとする。当初は断っていたジャッスィーも、短時間だけ演技をすればいいと説得され、渋々引き受ける。

 ラージャーは、弟のトニー(ムクル・デーヴ)、ティットゥー(ヴィンドゥー・ダーラー・スィン)、そして銃を持った部下たちを連れてサバーの家にやって来る。ジャッスィーはいつの間にか退役軍人ということになってしまい、それに何とか合わせて話をする。縁談はまとまり、ゴーギーとサバーの結婚が決まる。サバーのためにジャッスィーはラビヤーと夫婦を演じていたが、いつの間にか二人の間には本物の愛情が芽生える。

 ジャッスィーたちは結婚式に出席するためカンバーノールドに降り立つ。ラージャーは家族を紹介する。ラージャーの父親ランジート・スィン(シャラト・サクセーナー)はこれまで3回結婚していた。最初のパンジャーブ人の妻からラージャーが生まれ、2番目のビハール人の妻からトニーとティットゥーが生まれた。そして3番目の妻は英国人であった。ランジートはインドに住んでおり、既にパンジャーブ人妻とビハール人妻は亡くなっていた。ラージャー、トニー、ティットゥーは英国人の継母と共に英国に住み、酪農を営んでいた。ラージャーの妻はプレームラター(アシュウィニー・カルセーカル)で、二人の間に生まれたのがゴーギーであった。英国人の継母は元ポールダンサーだったものの、ラージャーはダンスを毛嫌いしており、熱烈な愛国者でもあった。つまり、サバーの正体がばれたらジャッスィーたちの命はなかった。

 一度ポールダンスを見てみたかったジャッスィーは英国人の母親にリクエストする。彼女はポールダンスを踊るが、踊っている途中に死んでしまう。葬儀にはランジートもやって来る。身内の不幸のためゴーギーとサバーの結婚式が延期になる恐れがあったが、紆余曲折の末、決行されることになる。

 結婚式には、サバーの実の父親であるダーニシュ、ジャッスィーの実の妻であるディンプルもやってきて混乱する。しかもサバーたちがパーキスターン人であることがばれてしまう。だが、そこへ乱入してきた隣人バントゥー・パーンデーイ(サンジャイ・ミシュラー)が明かしたところでは、実はゴーギーはラージャーの子ではなくバントゥーの子であった。血統を重視してきたラージャーであったが、自分の息子が生物学的な息子でないことを知り、考え直す。こうしてゴーギーとサバーの結婚式が行われる。

 だが、ジャッスィーはラビヤーとディンプルのどちらかを選ばなければならなかった。ディンプルが大怪我を負い、ジャッスィーは彼女を病院まで運んだ。ラビヤーは捨てられたかと思ったが、数日後にジャッスィーが現れ、彼女にプロポーズする。

 前作「Son of Sardaar」は、先祖代々の宿敵の邸宅にたまたま足を踏み入れてしまった主人公が、その家から外に出ない内は「客人」であるために殺されないという特殊なシチュエーションに置かれ、生きるか死ぬかの狭間で抱腹絶倒のコメディーを繰り広げるという映画だった。SSラージャマウリ監督の原作「Maryada Ramanna」がとてもよく出来ていたために、リメイクでもその面白さが受け継がれていたのだが、「Son of Sardaar」には大味なところもあり、当時書いた自分のレビューでは「期待外れ」と切り捨てている。だが、興行的には成功しており、力技でヒット作に持って行ったところがあった。

 この「Son of Sardaar 2」は、監督が交代しているものの、前作にあった大味な作りはなぜか残っており、やはり細かいところは気にせず、気にさせず、力で乗り切ろうとしている場面が多かった。映画としての完成度は残念ながら前作にも劣る。

 今回の笑いのポイントは、主人公ジャッスィーが、英国で偶然出会ったパーキスターン人女性ラビヤーの偽の夫となり、彼女が育てていた姪サバーの結婚を成就させようとするところだ。サバーの結婚相手はマフィアまがいのサルダールジー一家であり、特に家長ラージャーは厳格なルールを敷いていた。彼は、プレイボーイだった父親への反発からか、血統に異常にこだわっており、息子ゴーギーの結婚相手には何より血統の良さを求めた。血統というのは第一にサルダールジーであることだ。ジャッスィーは元からサルダールジーであり、都合が良かった。また、ラージャーは熱烈な愛国主義者であった。彼は事あるごとに「ヒンドゥスターン・ズィンダーバード(インド万歳)」とスローガンを口にしていた。息子の結婚相手がパーキスターン人であるのはもってのほかだ。また、父親の3番目の妻がポールダンサーだったことと関係があるのか、ラージャーはパンジャーブ人としては珍しく、ダンサーを毛嫌いしていた。ラビヤーたちは結婚式で演奏や踊りをして生計を立てるダンサーであり、やはりこの点でもラージャーの条件に適合していなかった。とにかく嘘で固めて取り繕い、とっととゴーギーとサバーの結婚式をまとめようというのがラビヤーたちの計画であり、ジャッスィーはそれに巻き込まれてしまったのである。正体がばれそうになるたびにジャッスィーは何とかごまかすが、それが笑いを生んでいる。

 基本的にはお気楽なコメディー映画ではあるが、いくつか興味深いポイントを抜き出すことができる。

 まず、インド人とパーキスターン人の結婚が描かれていたことが注目される。2016年のウリー襲撃事件、2019年のプルワーマー襲撃事件、2025年のペヘルガーム襲撃事件などを経て、過去10年ほど印パ関係は冷え込んでおり、二国間の映画界の交流もほとんど途絶えてしまった。そういう時勢の中で印パ関係をコメディー化するのにはとても勇気が必要だ。もしくは無頓着さか。もちろん、「Son of Sardaar 2」のスタッフにパーキスターン人はおらず、映画の中で語られている「パーキスターン人側からの視点」は、インド人が想像して生み出されたものに過ぎない。それでも、ジョークの応酬の中に、印パ親善を願う気持ちが隠されていたことに気付かない人はいなかったのではなかろうか。

 ラージャーは血統にこだわっていたが、これは結婚の神聖性を信じていたからに他ならない。一方で、この映画では結婚という制度を揺さぶろうとするかのような人間関係がいくつも描かれていた。ジャッスィーは妻ディンプルから離婚を突き付けられ、後にラビヤーの偽の夫を演じることになる。ラビヤーは死んだ姉の夫ダーニシュと結婚することになり、姪のサバーを育てることになる。ディンプルの存在がラージャーに知れると、ジャッスィーは密かに2人の妻を持っていると言い訳するし、ダーニシュの存在がラージャーに知れると、ラビヤーは結婚前の恋人だと嘘を付く。ラージャーの父親ランジートは映画開始時点で3回結婚しており、終盤で4人目の花嫁候補を見つける。さらにラージャーの息子ゴーギーは彼の生物学的な息子ではなかった。この血統の乱れは、家族の絆に血筋は必ずしも必要ないというメッセージにつながる。それは結婚の神聖性を相対化することに他ならない。

 登場人物の多くがサルダールジーだった。彼らはコミカルにも描かれていたが、やはり最後にはサルダールジーを持ち上げ、かっこよく演出していた。サルダールジーは他人を助けることを使命としており、一度立ち上がったら決して途中で背を向けたりしない。スィク教徒が観て決して悪い気はしない映画だ。

 何度もケシの実を摂取する場面があったが、その文脈はよく理解できなかった。飛行機嫌いなジャッスィーがアヘンを摂取してハイになり、その勢いで飛行機に乗ったというところからケシの実が登場するようになる。英国では墓場にケシの花を捧げる習慣があるようなのだが、インド人移民は墓場からケシの花を盗んで実からアヘンを作っているような描写もあった。どこまで本当か分からないのだが、まるでアヘンを広めようとしているかのようで、社会に悪影響が出ないか心配である。

 アジャイ・デーヴガン自身はスィク教徒ではないが、家系はパンジャーブ人であり、「Son of Sardaar」の頃からパンジャービー語混じりのヒンディー語を話しながら見事なサルダールジー振りを見せていた。今回もその延長線上で、本物のサルダールジーと見まがうばかりの名演技を見せていた。ムルナール・タークルは機転の利くパーキスターン人女性役を表情豊かに演じていた。ラージャー役のラヴィ・キシャンやトランスジェンダーのグル役を演じたディーパク・ドーブリヤールなどの演技も光っていた。

 前作は音楽も良かったのを覚えている。本作の挿入歌については、悪くはなかったものの、前作ほどの余韻はない。エンドクレジットで流れていた「The Po Po Song」は前作でも使われていたものだ。あえて挙げるならば「Kali Ainak」が今回テーマソング的に使われていた。

 「Son of Sardaar 2」は、2012年にヒットしたコメディー映画「Son of Sardaar」の続編であり、アジャイ・デーヴガンが引き続き主演を務めている。笑いの方向性は似ているが、ストーリー上のつながりはない。その上、ストーリーは散らかっている。興行的に失敗したのも無理はない。それでも、笑いに失敗している映画ではなく、コメディー映画としての価値はある。