しばしば、「脳みそを家に置いて楽しむべし」とされるインド映画の中でも、コメディー映画は特に脳みそ空っぽで楽しむべきジャンルだと一般に考えられる。だが、(日本の状況はさておき)コメディアンというのは最も知性を必要とする職業であるのと同様に、コメディー映画も、脳みそ空っぽでは気持ちよく笑うことができない。コメディーというのは言ってみれば常識への挑戦であり、コメディー映画で笑うには、その前提として、常識の知識が必要となる。そのためには、言語や文化の深い知識や理解が欠かせない。その上で、ウィットやユーモアを察知するセンスが必要となる。そういう意味で、インドのコメディー映画は侮れない。
「Housefull 3」は、2016年6月3日公開のヒンディー語コメディー映画である。題名の通り、「Housefull」シリーズの3作目だ。1作目「Housefull」は2010年公開、2作目「Housefull 2」は2012年公開。共に監督はサージド・カーンだった。一方、3作目となる「Housefull 3」の監督はサージド・ファルハドというデュオに代わった。ライター出身のこの二人は以前にコメディー映画「Entertainment」(2014年)を撮っている。ちなみに、サージド・ファルハドの一人がサージド・カーンという訳ではない。
シリーズ3作に共通する俳優は、アクシャイ・クマール、リテーシュ・デーシュムク、ジャクリーン・フェルナンデス、ボーマン・イーラーニー、チャンキー・パーンデーイ等で、その他のキャストは作品ごとに入れ替わっている。作品ごとにストーリー上のつながりはないが、脇役の名前が共通している。ボーマン・イーラーニー演じるバトゥク・パテールと、チャンキー・パーンデーイ演じるアーキリー・パスタである。また、ひとつ屋根の下に、互いに誤解をしている多数の家族やカップルが住むことになり、騒動が引き起こされるというプロットも共通しており、それらがシリーズ物の根拠となっている。
改めてキャストを紹介すると、アクシャイ・クマール、リテーシュ・デーシュムク、アビシェーク・バッチャン、ジャクリーン・フェルナンデス、リザ・ヘイドン、ナルギス・ファクリー、ボーマン・イーラーニー、チャンキー・パーンデーイ、ジャッキー・シュロフ、サミール・コーチャル、ニキティン・ディール、アーラヴ・チャウダリーなどである。作曲は ソハイル・セーン、ミカ・スィン、シャリーブ・トーシー、タニシュク・バーグチー。作詞はサミール・セーン、ファルハド・サージド、サンジーヴ・チャトゥルヴェーディー、マムター・シャルマー、アラファト・メヘムード、ラーニー・マリク、マノージ・ヤーダヴ、ダーニシュ・サーブリー。
大富豪の実業家バトゥク・パテール(ボーマン・イーラーニー)の3人の娘、ガンガー(ジャクリーン・フェルナンデス)、ジャムナー(リザ・ヘイドン)、サラスワティー(ナルギス・ファクリー)は、結婚適齢期を迎えていたが、父親は決して三人を嫁がせようとはしなかった。バトゥクが言うには、娘が結婚すると家に不幸が起こる運命にあるとのことだった。 しかし、三人には密かにボーイフレンドがいた。ガンガーのボーイフレンドはサンディー(アクシャイ・クマール)。売れないサッカー選手で、「インディアン」という言葉を聞くと、他人格である暴力的なスンディーが覚醒するという厄介な病気を抱えていた。ジャムナーのボーイフレンドはテディー(リテーシュ・デーシュムク)。職業はレーサーであったが、なかなか勝てない負け犬だった。ジャムナーのボーイフレンドはバンティー(アビシェーク・バッチャン)。ラッパーだったが、ちっとも売れなかった。三人とも大金持ちバトゥクの娘と結婚して一獲千金を夢見ていた。ガンガー、ジャムナー、サラスワティーの三人は、遂に我慢し切れなくなって、ボーイフレンドとの結婚をバトゥクに懇願する。 困ったバトゥクは、パスタ屋台を経営する旧知のアーキリー・パスタ(チャンキー・パーンデーイ)を占い師に仕立てあげ、いい加減な占いをさせる。曰く、ガンガーの夫が家に足を踏み入れた瞬間、もしくはジャムナーの夫がバトゥクを見た瞬間、もしくはサラスワティーの夫の声をバトゥクが聞いた瞬間、バトゥクは心臓発作を起こして死ぬとのことだった。 そこで一計を案じた3人は、自分のボーイフレンドを身体障害者に仕立てあげる。サンディーは足に障害を持ち車椅子生活を送っていることになり、家に足を踏み入れることができないために、バトゥクの命に別状はない。テディーは盲人ということになり、バトゥクを見ることがないため、バトゥクの命に別状はない。バンティーは唖ということになり、バトゥクに声を聞かれることがないため、バトゥクの命に別状はない。バトゥクは3人の障害を疑うものの、テストをした結果、どうやら本当のようだということになり、仕方なく3人を家に迎え入れる。 しかし、バトゥクが三人の娘を結婚させようとしない理由は別にあった。実はバトゥクは、かつてムンバイーを支配したアンダーワールドのドン、ウルジャー・ナーグレー(ジャッキー・シュロフ)の片腕で、ガンガー、ジャムナー、サラスワティーはウルジャーの娘だった。しかし、ウルジャーは逮捕され、三人の娘はバトゥクに託された。ウルジャーの願いもあり、三人はバトゥクの娘として育てられることになった。バトゥクはロンドンに逃れ、ウルジャー所有の豪邸に住むことになった。だが、バトゥクはウルジャーの忠実な部下ではなかった。自分の実の息子たち3人をウルジャーの娘たちと結婚させ、ウルジャーの全財産を完全に手中に収めようと画策していたのである。だが、6年前に、バトゥクの3人の息子、リシ(サミール・コーチャル)、ローハン(ニキティン・ディール)、ラージーヴ(アーラヴ・チャウダリー)は、ロンドンで宝石を盗もうとして逮捕され投獄されていた。その刑期が終わるのを待っていたのである。 リシ、ローハン、ラージーヴが出所し、バトゥクがいよいよ計画を実行に移そうと考えたちょうどそのとき、ウルジャーも出所して、ロンドンを訪れていた。ウルジャーは、バトゥクがガンガー、ジャムナー、サラスワティーを身体障害者と結婚させようとしていると聞いて怒るが、バトゥクは自分の息子たちを孤児としてウルジャーに紹介し、彼らこそが本当の花婿候補だと取り繕う。 ウルジャーは、リシ、ローハン、ラージーヴを連れてバトゥクの家を訪れる。ウルジャーは三人を自分の息子だと紹介する。そしてバトゥクとサンディー、テディー、バンティーに対し、バトゥクには5千万ポンドの貸しがあるから、それを10日以内に返せなかったら、バトゥクの3人の娘は、リシ、ローハン、ラージーヴと結婚することになると宣言する。そしてウルジャー、リシ、ローハン、ラージーヴもバトゥクの家に住み始める。また、ややこしいことに、サンディー、テディー、バンティーはウルジャーに対してそれぞれの障害を誤って伝えてしまっていた。よって、ウルジャーの前では、サンディーは盲人、テディーは唖、バンティーは車椅子生活者を装わなくてはならなかった。 サンディー、テディー、バンティーは、リシ、ローハン、ラージーヴを排除するため、彼らを酔わせて罠にはめる。三人は、バトゥクのメイド3人とセックスをし、孕ましてしまう。それを暴露することで、リシ、ローハン、ラージーヴをガンガー、ジャムナー、サラスワティーの花婿候補から外すことに成功する。しかし、ガンガー、ジャムナー、サラスワティーは、自分のボーイフレンドを身体障害者に仕立てあげて結婚しようとしていることに罪悪感を感じるようになる。サンディー、テディー、バンティーも、お金のためにガンガー、ジャムナー、サラスワティーと結婚しようとしていたことに恥じ入る。 サンディー、テディー、バンティーの三人は、ガンガー、ジャムナー、サラスワティーに呼び出されるが、そこで待っていたのはリシ、ローハン、ラージーヴであった。彼らはサンディー、テディー、バンティーが健常者であることも発見する。三人の間で戦いが始まる。そこへバトゥクが駆けつける。バトゥクも三人が健常者であることを知り、驚く。だが、計算を働かせたバトゥクは、ウルジャーの資産5千億ポンドを山分けすることを条件に、ガンガー、ジャムナー、サラスワティーと結婚することを許す。ところがそこへアーキリー・パスタと3人のメイドが現れ、自分の取り分を要求する。最後にウルジャーが現れる。ウルジャーはバトゥクの裏切りを察知していた。全員を皆殺しにしようとするが、リシ、ローハン、ラージーヴがガンガー、ジャムナー、サラスワティーを連れて来て、彼女たちを殺そうとする。サンディー、テディー、バンティーは彼女たちを救う。これを見て、ウルジャーは3人を認める。また、ガンガー、ジャムナー、サラスワティーは本当の父親がウルジャーだと知る。こうしてウルジャーは娘たちをサンディー、テディー、バンティーと結婚させることにする。
「Housefull」シリーズは、決して完成度の高いコメディー・シリーズではない。だが、アクシャイ・クマールをはじめとしたスターの力添えがあることと、細かい笑いの積み重ねが功を奏していることなどから、興行的に成功している。3作目となる「Housefull 3」も、一言で言えば雑な作品であったが、コレクション(国内興行収入)は10億ルピーを突破しており、「プラス」の評価も受けている。予算も回収できているようで、興行的には失敗作ではない。それでも、それだけでいいとは言えないだろう。
「Housefull 3」は、前作、前々作で築き上げた「お約束」を踏襲した作品になっている。ひとつ屋根の下に多数の家族やカップルが集まる点、アイデンティティーの取り違えがある点、結婚を巡るドタバタである点など、「Housefull 」シリーズの黄金パターンをそのまま受け継いでいる。2回繰り返すと二番煎じに感じたが、3回目ともなるとだんだん伝統のような気がして来る。この点で批判をするのは野暮であろう。
「Housefull 3」で不快だったのは、むしろ今回新たに加わった要素だ。それは身体障害を笑いのネタにしていることだ。身体的・精神的な障害を笑う癖は、この映画だけでなく、ヒンディー語映画全体の問題でもある。「Pyare Mohan」(2006年)、「Tom Dick and Harry」(2006年)、「Golmaal」(2006年)、「Krazzy 4」(2008年)など、障害者が登場し、障害をネタに笑いを取ろうとする映画は多い。「Housefull 3」では、健常者が身体障害の振りをして自分の思い通りに物事を運ぼうとする。これは、身体障害者が主人公の映画よりも悪意がある。一応、最後の方に反省の言葉もあったのだが、通常の精神を持った観客なら、普通に笑えないだろう。
サンディーの二重人格にしても、突拍子もない設定である上に、あまりに浅い描き方だ。「インディアン」という言葉を聞くと、潜在的な人格が覚醒し、暴力的になるというもの。コメディー映画であることを差し引いても、褒められたものではなかった。
健常者が障害者の振りをするというギャグと、サンディーの二重人格の他に、しつこくフィーチャーされていたギャグが、英語の慣用句をヒンディー語化するギャグだ。例えば「Naukri Neeche(仕事は下に)=Calm Down」など。しかし、パッと聞いただけでは分かりにくかった。略称を使ったギャグもあった。「SMS=Sabko Maut ki Saza(全員死刑)」など。こちらも特段面白いものではなかった。
それ以外では、アビシェーク・バッチャンが実生活の妻アイシュワリヤー・ラーイの蝋人形を救うシーンや、リテーシュ・デーシュムクがやはり実際の妻ジェネリアの名前を叫ぶシーンなど、微細なギャグがちりばめられていた。
ところで、嘘をついて何かを成し遂げようとした人が、何らかのきっかけで改心し、嘘を自ら白状しようとする、という流れは、ヒンディー語映画が好んでストーリーに組み込む要素だ。よくあるのは、白状しようとした瞬間にその嘘が別の方面からばれてしまう、というものだが、その操作の仕方は監督や脚本家によって異なる。重要なのは、間違いを認め、自ら責任を取ろうとし、審判を相手に委ねようとする態度である。「Housefull 3」でもクライマックス直前にそれがあり、この類型に含むことができる映画だと分析できる。
今回、「Housefull」シリーズの中で男優陣は、アビシェーク・バッチャンが入ったために、もっともスターパワーがあった。一方、女優陣は、「Housefull」にディーピカー・パードゥコーンがいたことを思うと、ジャクリーン・フェルナンデス、リザ・ヘイドン、ナルギス・ファクリーの3人は力不足のように感じる。実際、三人の見せ場はほとんどなかった。逆に、アクシャイ、アビシェーク、リテーシュの3人は馬鹿な演技を楽しんでいた。
「Housefull 3」はシリーズ3作目となるコメディー映画だ。ひとつ屋根の下に、いろいろな事情を抱えたカップルや家族が多数集まり、騒動を巻き起こすというお決まりのラインは変わらない。今回は障害者ネタを多用していることから、個人的には好意的に鑑賞することができなかった。女優も力不足だ。決して上級のコメディー映画ではないが、インド本国では興行的に一応の成功を収めている。