女性監督の台頭は、近年のヒンディー語映画界における明るいトピックのひとつだ。決して女性監督が過去に存在しなかった訳ではないが、娯楽・商業映画の路線で堂々と勝負する女性監督に乏しかった。その状況に一石を投じたのが「Om Shanti Om」(2007年)などのファラー・カーン監督で、女性監督でもコテコテの娯楽映画を作り、しかもヒットさせられることを証明した。以後、風向きが変わり、現在では監督が性別によって色眼鏡で見られることは減って来ている。
ファラー・カーンと並び称せられる娯楽映画路線の女性監督がゾーヤー・アクタルである。ヒンディー語映画界の一角で勢力を保つアクタル・ファミリーの新世代で、作詞家ジャーヴェード・アクタルの娘かつ監督・俳優ファルハーン・アクタルの姉である。前作「Zindagi Na Milegi Dobara」(2011年)は興行的に成功し、かつ高い評価を受けた。ファラー・カーンとはまた違ったアプローチで、娯楽映画の地平を切り拓いている。
2015年6月15日公開の「Dil Dhadakne Do」は、ゾーヤー・アクタル監督の第3作にあたる。プロデューサーはエクセル・エンターテイメントのリテーシュ・スィドワーニーと弟のファルハーン・アクタル。音楽はシャンカル=エヘサーン=ロイ。この辺りの顔ぶれは、21世紀のヒンディー語映画を方向付けた「Dil Chahta Hai」(2001年)や前作「Zindagi Na Milegi Dobara」と同じだ。
マルチスターキャストの映画で、アニル・カプール、シェーファーリー・シャー、プリヤンカー・チョープラー、ランヴィール・スィン、アヌシュカー・シャルマー、ファルハーン・アクタル、ラーフル・ボース、ザリーナー・ワッハーブ、ヴィクラーント・マセー、リディマー・スード、マノージ・パーワーなどが出演している。また、アーミル・カーンが声優として、スートラダール(語り手)も担当する犬のプルートを演じている。
ちなみに、題名は「ディル・ダラクネー・ドー」と読み、その意味は、「心を鼓動させよ」または「心を鼓動させておけ」である。
AYKA社のCEOでデリー在住のカマル・メヘラー(アニル・カプール)と妻のニーラム(シェーファーリー・シャー)は、結婚30周年を記念して家族や友人を地中海クルーズに招待することにした。招待主は2人の長男カビール(ランヴィール・スィン)ということになっていたが、実際にクルーズのアレンジをしたのは、長女のアーイシャー・サーンガー(プリヤンカー・チョープラー)だった。アーイシャーはマーナヴ・サーンガー(ラーフル・ボース)と結婚し、ムンバイーに住んでいた。アーイシャーは自分で旅行代理店を興し、大手企業に育て上げた。カビールはAYKAで次期社長として働いていたが、ビジネスの才能はなく、飛行機を運転するのが趣味だった。また、メヘラー家にはプルートという犬がいた。プルートがこの物語の語り手である。 ところでAYKA社は倒産の危機にあった。カマルは投資家ラリト・スード(パルミート・セーティー)に株式の49%を売却することを計画するが、会社のコントロールを家族内に留めるため、カビールをラリトの一人娘ヌーリー(リディマー・スード)と結婚させることを考える。カマルはラリト、その妻ナイナー(ドリー・マトドー)とヌーリーをクルーズに招待する。ただ、ラリトと犬猿の仲のヴィノード・カンナー(マノージ・パーワー)も既に招待してしまっていた。 クルーズが出港した。メヘラー夫妻の思惑とは異なり、ヌーリーはヴィノードの息子ラーナー(ヴィクラーント・マセー)と仲良くなってしまった。一方のカビールは、クルーズでダンサーとして働くロンドン生まれのイスラーム教徒インド人ファラー・アリー(アヌシュカー・シャルマー)と恋仲になってしまう。ところが、ヌーリーが、カビールに会いに行くと行ってラーナーと密会を繰り返していたことで、カビールとヌーリーが恋仲にあると、メヘラー家やスード家は早とちりする。両家の間で縁談がまとまり、株式売却の話もカマルの計画通り進んでいた。両親にヌーリーとの結婚を持ち出されたカビールは、とりあえずヌーリーと結婚することを承諾するが、婚約したところで破談にさせるつもりでいた。裏でカビールはファラーと密会していた。 ところで、アーイシャーはマーナヴとの結婚を後悔していた。彼女には、かつてサニー・ギル(ファルハーン・アクタル)という恋人がいた。サニーはAYKA社のマネージャーの息子で、プルートをアーイシャーに贈ったのも彼だった。しかし、二人の仲を面白く思わないカマルがサニーを無理矢理米国留学させ、その後アーイシャーが結婚したために、二人の仲は一応の終止符が打たれていた。サニーはジャーナリストになっていた。しかし、サニーが途中からクルーズに乗り込んで来たことでアーイシャーの気持ちが揺れ動き、とうとうマーナヴとの離婚を切り出す。当然、カマルは決して二人の結婚を認めなかったし、マーナヴも拒否した。 ファラーはカビールがヌーリーと結婚するということを聞き、自分は遊ばれていただけだったと思ってショックを受ける。以後、ファラーはカビールを避けるようになる。また、カマルはラーナーとヌーリーがキスをしているところを目撃してしまい、発作を起こす。単に腹にガスが溜まっていただけで、命に別状はなかったが、この騒動をきっかけに、彼はカビールから、ヌーリーと結婚しないつもりだったことを聞く。また、カビールは、父親の後を継ぐつもりはないことも明かし、後継者としてアーイシャーを推す。後に、カマルはアーイシャーがマーナヴと離婚することも許す。 カビールは、ファラーが解雇され、寄港先で下船してしまったことを知る。既に船は出港していた。そこでカビールは船から飛び降り、陸へ泳ぐ。カマル、ニーラム、アーイシャー、プルートは救命ボートに乗り込み、カビールを追う。カビールは救命ボートに引き上げられる。カマルは、カビールのために陸へ向かおうとする。家族がひとつになった瞬間だった。
豪華クルーズ船という巨大な密室を舞台に、行き違っていた家族が、紆余曲折を経て、ひとつになるまでの過程を描いた壮大なファミリードラマであった。3時間弱の長尺を通して各登場人物の内面や様々な人間模様を混乱なく丁寧に描写しており、これを裁き切ったゾーヤー・アクタル監督の高い手腕を感じずにはいられなかった。ただ、結末のまとめ方は前作「Zindagi Na Milegi Dobara」と酷似した、敢えて終わりを提示せず、観客の想像に任せるものであった。伝統的にインドの娯楽映画は結末をしっかり付ける傾向にある。これだけ大風呂敷を広げた家族ドラマであるので、一応の着地点を提示されないと気持ち悪い。もし、ゾーヤー・アクタル監督の今後の作品にも同様の終わり方が続くようであれば、欠点として数えられることも出て来るだろう。
やはり女性監督の作品なだけあって、女性登場人物の内面描写や人間関係描写に長けていた印象を受けた。例えば、カマルの妻ニーラムは、その立ち位置から、通常は脇役に追いやられてしまうところを、夫の浮気性に悩む姿をところどころ見せることによって、中心的な役に居座ることに成功していた。ストレス発散のはけ口が食欲になっており、ダイエットに気を遣いながらいつまで経っても体重を減らすことができず、それをまた夫に指摘されて腹を立てるという悪循環を繰り返していた。このようなキャラ作りはいかにも女性の視点と発案によって行われたという気がする。
アヌシュカー・シャルマー演じるファラー・アリーも強いキャラであった。バーミンガムに生まれ、ダンサーを目指して家出をし、ロンドンに出て来たインド系女性。彼女は、幼い頃から明確な夢を持ち、そしてその夢の実現に向かって、全てを捨てる決断をすることができた。彼女の人生は、カビールの人生と対比される。カビールは、言われるがままに親の興した会社に就職し、適性がないことを自覚しながらも、何となく仕事をこなす毎日を送る。彼は自分が本当に心から楽しめるものを知っていた。それは飛行機である。だが、それを追求する勇気も気力も持てなかった。カビールは、自由なファラーに出会い、恋に落ちると同時に、彼女の人生から大いに感化される。
しかしながら、最も強く、最も印象に残る女性キャラクターは、プリヤンカー・チョープラー演じるアーイシャーであった。ただ、「Jab We Met」(2007年)以降にトレンドとなった、男勝りで天真爛漫タイプの女性キャラとは少し雰囲気が異なる。自ら起業し、自立しているが、結婚生活に満足しておらず、それが彼女の性格に影を落としている。その謎めいた影の正体は、物語の途中にあるサニーの登場によって、明らかになる。さらに、アーイシャーは内緒で避妊薬を飲み、夫マーナヴの子を身ごもらないようにしていることも分かる。彼女の人物設定はとてもリアルで、奥行きのある内面描写ができていた。
この映画は各登場人物の人間関係を把握することも重要になるが、特に重要なのも、アーイシャーを中心とした人間関係だ。アーイシャーと弟カビールの関係は、ゾーヤー・アクタル監督と弟ファルハーン・アクタルとの関係を参考にしたと言われている。ヒンディー語映画界には、実世界においても作品中においても「姉」キャラは少ない。そのために、アーイシャーとカビールの関係はとても目立つ。アーイシャーの結婚後、2人は別の場所に住むようになったが、そんな今でもよき「友」としてお互いを支え合っている。アーイシャーの気持ちを一番よく理解していたのもカビールであった。
アーイシャーとカビールは子供の頃から仲が良かったが、もう一人、一緒に遊んでいた幼馴染みがいた。それがサニーである。アーイシャーはサニーのことが好きだった。しかし、サニーはAYKA社のマネージャーの息子であり、厳格なカマルが2人の結婚を許すはずがない。結局、サニーとアーイシャーは引き離され、アーイシャーはマーナヴと結婚することになる。この物語の語り手となっている犬のプルートも、サニーからの贈り物であったが、結婚時にマーナヴが犬を嫌がったため、カビールが飼うことになったのだった。
他にも登場人物の間で様々な関係が絡み合っている。劇中で明確に描かれるものもあれば、台詞の端々からチラリとうかがわれるだけのものもある。物語は3時間弱の映画中だけで完結しておらず、この外にも延々と物語が続いている。そんな叙事詩的広がりのある家族ドラマであった。そのために上で「壮大な」という修飾語を使った。
それだけに、結末をもっとしっかりとしたものにしても良かったのではないかと思う。カビールはファラーと会えたのか、AYKA社の財務状況は今後どうなるのか、ラーナーとヌーリーのその後は、などなど、未解決の問題がいくつも山積したままのエンディングだった。「まとめられない監督」というレッテルを貼られないためにも、次作では結末に力を入れて欲しい。
多くの俳優が出演していたが、一人ピックアップするとすればアニル・カプールである。「Slumdog Millionaire」(2008年)以降、ハリウッドでも名が売れ、国際的に活躍する俳優に脱皮した。おかげで忙しくなってしまったようで、2014年は出演作がなかった。よって、久々に彼の姿を見たが、見違えるほど貫禄が付いており、以前にも増して演技に泊が付いていた。今後の活躍も楽しみである。
「Dil Dhadakne Do」の音楽はシャンカル=エヘサーン=ロイが作曲している。「Dil Chahta Hai」の時代から新鮮さを失っておらず、この映画でもまぶしいほどキラキラした曲が揃っている。ダンスの面でひとつ技術的な挑戦があった。それはパンジャービー・ソング「Gallan Goodiyaan」の踊りである。これは曲の始まりから終わりまで1ショットの長回しで撮影されている。ファラー・カーンも「Main Hoon Na」(2004年)で同様のコレオグラフィーに挑戦していたが、今回はそれを上回る長さと参加人数のダンスだ。バックダンサーの中に、いい加減な踊りをしている人が散見されたものの、楽しい撮影風景の様子が伝わって来て良かった。
「Dil Dhadakne Do」は、女性監督ゾーヤー・アクタルの最新作。マルチスターキャストかつ多数の登場人物が入り乱れた、壮大な叙事詩的ファミリードラマだ。特に女性キャラの内面描写に力が入っている。豪華クルーズ船やトルコの観光地も登場し、異国情緒に溢れたヴィジュアルも魅力である。3時間弱の長尺である上に、結末に前作から成長が見られないのが懸念ではあるが、2015年の良作に数えられる。