現在、ヒンディー語映画界でもっとも尊敬を集めている映画監督と言えばラージクマール・ヒラーニーだ。比較的寡作ながら、「Munna Bhai M.B.B.S.」(2003年)、「Lage Raho Munna Bhai」(2006年)、「3 Idiots」(2009年)と、時代を代表する大ヒット作を送り出し続けており、彼と仕事をしたいという俳優は多い。とは言え、彼の作る作品は、必ずしも人気俳優のスター性に頼って力技でヒットに持って行っている訳ではない。娯楽性とメッセージ性のバランスが絶妙で、それ故に幅広い客層から支持をされるのである。そして、この点こそが、インド映画が世界に誇ることのできる独自性のひとつだと言える。
ヒラーニー監督の最新作は、2014年12月19日に公開された「PK」である。この映画は30億ルピー以上のコレクション(国内興行成績)を上げ、歴代1位に輝いた。ちなみに前作「3 Idiots」のコレクションも20億ルピーを突破し、当時の歴代1位となった。
「PK」の作曲はシャンタヌ・モイトラ、アジャイ・アトゥル、アンキト・ティワーリー、作詞はスワーナンド・キルキレー、アミターブ・ヴァルマー、マノージ・ムンタシル。映画監督ヒラーニー、音楽監督モーイトラ、作詞家キルキレーのトリオは「Lage Raho Munna Bhai」以来変わっていない。
主演は「3 Idiots」に引き続きアーミル・カーン。ヒロインはアヌシュカー・シャルマー。ヒラーニー作品で悪役を演じ続けて来たボーマン・イーラーニーも出演しているが、今回彼は悪役ではない。悪役はサウラブ・シュクラー。「Munna Bhai」シリーズで主演を務めたサンジャイ・ダット、同じくヒラーニー作品の常連パリークシト・サーニー、そして「Kai Po Che」(2013年)で印象的な役を演じたスシャーント・スィン・ラージプートなども重要な役で出演している。
ちなみにタイトルの「PK」とは主人公の名前だが、「酔っ払い」という意味も含まれている。
ベルギーのブルージュに留学していたデリー出身のインド人女性ジャガトジャナニー・サーニー、通称ジュッグー(アヌシュカー・シャルマー)は、パーキスターン人男性サルファラーズ・ユースフ(スシャーント・スィン・ラージプート)と恋に落ちる。ところが、デリーに住む両親はパーキスターン人との結婚に絶対反対であった。また、父親ジャイプラカーシュ(パリークシト・サーニー)は、宗教指導者タパスヴィー・ジー(サウラブ・シュクラー)の熱心な信徒であり、早速娘のことをタパスヴィー・ジーに相談に行く。タパスヴィー・ジーは、サルファラーズが彼女を裏切ると予言する。そこでジュッグーはタパスヴィー・ジーの予言に挑戦するために彼とすぐに結婚することにする。ところが、教会で彼の到来を待ちわびていたジュッグーのところへ男の子が手紙を届ける。そこには謝罪の言葉が綴られていた。傷心のジュッグーはデリーに戻り、家族とは別居しながら、テレビ局に務め始めた。 ある日ジュッグーは、「尋ね人:神様」というパンフレットを配って歩く奇妙な男を見掛け、テレビ番組のネタにできないか考える。だが、ボスのチェリー・バージワー(ボーマン・イーラーニー)は過去の苦い経験から、宗教をテレビで扱うことを敬遠していた。それでもジュッグーは諦めず、次にその男に会ったときには追跡して取材をする。その男はPK(アーミル・カーン)と名乗り、ボージプリー方言をしゃべる自称宇宙人だった。ジュッグーは最初、彼のことを狂人だと考えるが、手を握った人の心を読むことができるという彼の言葉が本当であることに気付き、彼が他の星から来たということも信じるようになる。 PKの話によると、彼が地球にやって来たのはおよそ半年前ほどだった。彼は地球の調査を命じられており、彼の宇宙船はラージャスターン州マンダーワー近くの砂漠に降り立った。ところが、宇宙船を操作するためのリモコンを現地人に盗まれてしまった。PKの住む星では人々は服を着ておらず、言葉もなかった。だが、彼は何とか生き延びなければならず、そのためにあらゆることを学んで来た。言葉も、とある売春婦からコピーさせてもらったものだった。当初、彼の面倒を見てくれたのは、楽隊の団長バイローン・スィン(サンジャイ・ダット)であった。 PKはデリーにやって来てリモコンを探し続けたが、出会う人々が「神様なら何とかしてくれる」ということを口にすることを真に受けて、神様を探し始める。このときにジュッグーと初めて会ったのだった。ところが、インドには様々な神様がいることが分かった。どの神様がリモコンを見つけてくれるか分からなかったので、とりあえず全ての神様にお願いすることにした。あらゆる礼拝・祭祀を試したが、リモコンは見つからなかった。 あるとき、PKはタパスヴィー・ジー主催の宗教集会に迷い込み、そこでリモコンを見つける。だが、タパスヴィー・ジーはリモコンのことを、ヒマーラヤ山脈で修行していたときにシヴァ神から受け取った、でんでん太鼓の一部だと説明し、見世物にしていた。PKはそれを返してもらおうとするが、護衛に捕まって放り出される。 ジュッグーがPKに2回目に会ったのは、そんなときだった。ジュッグーはタパスヴィー・ジーからリモコンを取り返すと約束し、PKを自宅に住まわせる。ジュッグーはPKをタパスヴィー・ジーの宗教集会に連れて行き、宗教について素朴な質問をさせる。ジュッグーは、タパスヴィー・ジーが答えに困窮する様子をカメラに収めさせ、それを放映する。PKは一躍時の人となり、人々の間で宗教指導者のおかしな行動に問題を提起する「間違い電話」キャンペーンが始まる。 また、マンダーワーではバイローン・スィンが、PKのリモコンを盗んだ男を捕まえていた。その男はタパスヴィー・ジーに売り払ったことを証言した。彼の証言によりタパスヴィー・ジーの嘘が暴かれるはずだった。しかし、バイローン・スィンがその男をデリーまで連れて来た途端に爆弾が爆発し、2人は死んでしまう。イスラーム系団体が犯行声明を出した。PKは親友の死に大きな衝撃を受ける。 さらに、タパスヴィー・ジーは反撃に出るためにPKに公開討論を申し込む。討論の中で、ジュッグーの昔の恋人サルファラーズの話になる。タパスヴィー・ジーは、自分のかつての予言が間違っていたらリモコンを返すと宣言する。以前、PKはジュッグーの手を握ったことがあり、そのときジュッグーの過去について全てを把握していた。ジュッグーに密かに恋をしていたPKは、ジュッグーの気持ちが未だサルファラーズにあることを知ってショックを受け、ベルギーで実際に何があったのかを語らなかった。だが、タパスヴィー・ジーの前で彼は真実を明かす。 実は教会でジュッグーが受け取った手紙は、たまたまその場に居合わせた別の花嫁宛てのものだった。言わば「間違い電話」であった。それを読んでジュッグーは早とちりをし、その場に置かれた手紙をさらにサルファラーズが読んで、さらに勘違いをしてしまった。そんなすれ違いがあったのだった。ジュッグーはサルファラーズに連絡を取る。サルファラーズはかつて在ベルギーのパーキスターン大使館でアルバイトをしていた。ジュッグーが大使館に電話を掛けてみると、サルファラーズと電話をつなげてくれた。彼はラホールにいた。そしてジュッグーからの電話を待ち続けていた。サルファラーズは今でもジュッグーを愛していた。タパスヴィー・ジーの予言は外れていたのだった。 こうしてPKはリモコンを取り戻す。PKは、ジュッグーへの想いを胸に秘めながら宇宙船に乗り込んで行った。 それから1年後、PKは仲間(ランビール・カプール)を連れて地球に戻って来た・・・。
ラージクマール・ヒラーニー監督の映画には、社会の中で「常識」となってしまっている「変なこと」に対する批判が常に含まれている。「3 Idiots」ではそれが顕著で、学位取得のみが目的となってしまっているインドの教育・受験システムに対する痛烈な批判が見受けられた。だが、彼がもっとも執拗に批判の対象として来ているのは、インドの人々が盲信しがちな迷信だ。「Lage Raho Munna Bhai」では、サウラブ・シュクラー演じるバトゥク・マハーラージという占星術師が登場し、数秘術を使って人々を惑わす様子が描かれていた。「3 Idiots」でも、ラージュー・ラストーギーという信心深いキャラがおり、彼の行動が滑稽に描写されていた。
また、ヒラーニー作品の特徴は、異端な主人公が既存のシステムに杭を打ち込むことである。「Munna Bhai M.B.B.S.」ではバーイー(マフィアのドン)が医者になって既存の医療システムに批判を加える。「3 Idiots」では謎の天才児がインド随一の名門大学に波乱を起こす。だが、ヒラーニー作品の一番の弱点もそこにある。主人公が、登場人物群の中で一番非現実的なキャラになってしまうのである。
「PK」はそれらの延長線上にある作品であり、典型的なヒラーニー作品だと言える。「PK」はインド社会もしくは人間社会の様々な「常識」――ファッション、金銭、性差など――に改めて再考を促しているが、その中でも中心的なテーマは宗教だ。前述の通り、ヒラーニー監督は常に迷信に対して懐疑的な態度を取っており、「PK」はそれがもっとも色濃く出た作品となっている。また、主人公が異端であるという点について、特徴でもあり弱点でもあると書いたが、今回は思い切って開き直った感がある。なにしろ主人公は異星人なのである。これ以上の異端があろうか。
ただし、「PK」は宗教を否定している訳ではない。宗教が人生と密接に結び付いているインドにおいて、宗教そのものを否定する映画を作ることは不可能に近い。「PK」が批判しているのは、宗教が人間を分断する現象である。PKは自分の宗教が何なのか、自分の神様が誰なのかを知ろうとするが、体のどこにも書かれていない。ならば人間の体にはその印があるのかと、生まれたばかりの赤ん坊を調べてみるが、やはりそのようなものは見つからない。しかし、インドでは人々は親の宗教に従って命名され、親の宗教に従ったファッションをし、親の宗教に従った戒律を押し付けられ、親の宗教に適合する場所で祈りを捧げることになる。そしていつしか他人をも、宗教によって判断することになり、偏見を持つようになる。元来、宗教は人と人とを結び付けるものであるはずなのに、インドではそうなっていない。
宗教による人と人との分断が端的に表れたのが印パ分離独立である。ヒンドゥー教徒とイスラーム教徒の主導権争いが両国の誕生に結び付き、国籍の差を生んだ。だが、北インド人とパーキスターン人は文化的・言語的にとても近く、「PK」で描かれているように、国籍や宗教の差にさえ目をつむれば、容易によき友人となり得るし、恋人にもなり得る。そして同じ人間同士ならば、本当はそれはそんなに難しくないはずだ。だが、どうしても国籍や宗教の壁が立ちはだかり、誤解や偏見が生じる。「PK」は、そんな印パ関係にも、インド人女性ジュッグーとパーキスターン人男性サルファラーズの恋愛という形で一石を投じていた。宗教指導者タパスヴィー・ジーが国籍と宗教の壁を使って2人の仲を裂こうとするならば、異星人PKは2人にお互いが人間であるということを思い出させ、仲を取り持っていた。
「PK」はビジネスと化した宗教にも痛烈な批判を加える。PKは宗教を「恐怖のビジネス」と喝破し、もっともROI(投資利益率)が高い商売だということを証明する。よって、恐怖さえ克服すれば、宗教ビジネスの被害者や迷信の虜囚になることもないという解決策も暗に提示していたと感じた。ベルギーにおいて、ジュッグーとサルファラーズの行き違いが起きたのも、元はと言えばタパスヴィー・ジーの余計な「予言」のためだった。タパスヴィー・ジーはジュッグーの心に「裏切られるかもしれない」との恐怖を植え付け、それが性急な結婚と早とちりを生んだのだった。この点についても、宗教そのものを批判しているのではなく、神と人との間を取り持つとされる「マネージャー」に対する批判であった。タパスヴィー・ジーのような宗教家はインドに多いが、モデルとしてもっとも当てはまるのは、一大宗教ビジネス帝国を築き上げているヨーガ・グルのバーバー・ラームデーヴであろう。
人間以外の存在が人間の世界で過ごす内に人間らしくなって行く、というのは、この種の物語には定番の筋書きだ。特に「涙」や「泣く行為」はよく話題となり、「ターミネーター2」(1991年)などでもそれがあった。「PK」でも、当初PKは姿形は人間と同じであっても、その行動はおよそ人間らしくなかった。だが、バイローン・スィンやジュッグーと時を過ごす内にPKは人間のことを学んで行く。そしていつの間にか恋も知る。最後、PKは涙を呑んで身を引く恋愛の形を知るまでに人間のことを理解し、地球を去って行く。
今回、アーミル・カーンとサンジャイ・ダットは初めて共演したと言う。この二人はヒラーニー映画の常連であったが、初共演というのは意外だ。しかしながら、映画の制作中にサンジャイ・ダットは1993年のムンバイー連続爆破テロに関して武器の不法所持の罪で5年の禁固刑を受け、服役しており、彼が次回ヒラーニー監督の映画に出るのはかなり後のことになりそうだ。
映画の最後でランビール・カプールがカメオ出演していた。続編を匂わすシーンであった。アーミル・カーンとランビール・カプールの共演も初めてのはずである。ただ、噂によると、実はヒラーニー監督がPK役として第一候補としていたのはランビール・カプールだったと言う。だが、アーミルが政治力を使って自分を起用させたと伝えられている。もし続編が作られるならば、今度こそはランビールが主人公になるのではなかろうか。
ヒロインのアヌシュカー・シャルマーは現在勢いがある女優だ。プライベートでも話題を振りまいており、クリケット選手ヴィラート・コーリーとの恋愛は格好のゴシップ・ネタとなっている。「PK」で見せたボーイッシュな髪型も似合っていた。しかし、「Rab Ne Bana Di Jodi」(2008年)でデビューした当初の素朴さが失われて来ている。整形疑惑もある。特に唇をいじっていると疑われている。
ヒラーニー監督は「Lage Raho Munna Bhai」以降、常にシャンタヌ・モイトラを作曲家として起用している。同一の音楽家による音楽が続くため、ヒラーニー作品には音楽にも一貫性がある。ただ、モーイトラーの作る曲は必ずしも最近のヒンディー語映画のトレンドを捉えたものではなく、むしろ古風な部類に入る。今回はそれの解消に動いたのか、アジャイ・アトゥルとアンキト・ティワーリーと言った若い音楽家たちも起用している。アジャイ・アトゥルはラージャスターニー・ナンバー「Tharki Chokro」、アンキト・ティワーリーは「Dil Darbar」を作曲している。全体的に陽気な曲が多く、映画のポジティブな雰囲気を醸成するのに一役買っている。
「PK」ではムンバイー以外のいくつかの場所でロケが行われている。やはりまず一番印象的なのはベルギーのブルージュだ。ブルージュで映画の撮影が行われたのはこの「PK」が初だという。正に「発掘した」と言っていいだろう。「リトル・ヴェネツィア」と言った感じの、とても美しい町であった。インドでは、デリーやラージャスターン州で行われた。デリーでPKが住んでいたのはアガルセーン・キ・バーオリーと呼ばれる階段井戸で、コンノート・プレイスの南にある。ラージャスターン州ではマンダーワーやサーンバルでロケが行われている。マンダーワーはシェーカーワティー地方の中心都市のひとつで、美しい壁画を持つ邸宅が並ぶ観光地だ。サーンバルには塩湖があり、周辺には塩の大地が広がっている。
「PK」は、ヒンディー語映画界随一の監督ラージクマール・ヒラーニーの最新作であり、期待を裏切らない傑作である。娯楽性とメッセージ性のバランスは見事としか言いようがない。主人公が異星人と言う異質な作品だが、今回の主なテーマはインドが抱える宗教や迷信の問題だ。興行成績では前作「3 Idiots」を優に越えているが、作品の質まで前作を凌駕しているかどうかは議論の分かれるところであろう。だが、間違いなく2014年の必見映画に数えられる。