ハリウッド映画「Avatar」(2009年)の大ヒットを機に、インドでもデジタル3D映画が作られるようになった。インド初の完全なデジタル3D映画は「Haunted 3D」(2011年)とされている。ただ、「Avatar」にはその他にもいくつかの新技術が導入されていた。そのひとつがモーションキャプチャーである。この技術が長編映画に使われた最初の例のひとつは、日本の有名RPGを映画化した「ファイナル・ファンタジー」(2001年)であるらしい。だが、一般にこの技術の認知度が高まったのは、「Avatar」に登場したフルCGキャラ、ナヴィの存在が大きかったと思われる。
インドにおいて初めてモーションキャプチャー技術が導入された映画は、タミル語映画「Maattrraan」(2012年)である。ただ、モーションキャプチャー技術を利用した映画の企画自体は「Kochadaiiyaan」の方が先に始まった。「Kochadaiiyaan」は2014年5月23日に公開された。
「Kochadaiiyaan」はフルCG映画であり、生身の俳優は全く出演していない。ただ、モーションキャプチャーにより、各俳優の動作がキャプチャーされ、使用されている。主演を務めるのはタミル語映画界のスーパースター、ラジニーカーントである。彼の映画では既にお約束なのだが、今回も彼は一人で三役も演じている。ヒロインはディーピカー・パードゥコーン。他にジャッキー・シュロフ、ナーサル、アーディなどがモデルとなっている。監督はラジニーカーントの娘ソウンダリヤー・R・アシュヴィン。音楽はARレヘマーン。オリジナルはタミル語だが、ヒンディー語版をDVDで鑑賞した。なお、登場人物の名前はタミル語版とヒンディー語版では異なるようである。
中世の南インドではコッタイパッティナム国とカリンガプリー国の2国が覇権を争っていた。コッタイパッティナム国からラーナー(ラジニーカーント)という名の少年がカリンガプリー国の領土に流れ着き、軍隊に入隊する。ラーナーは持ち前の軍事センスを発揮して頭角を現し、やがてカリンガプリー国の将軍となる。 ラーナーは、カリンガプリー国王マヘーンドララージの息子ヴィールバドラ王子から、地下の金鉱で働く労働者の姿を見せられる。そこでは捕虜となったコッタイパッティナム国兵士が奴隷として働かされていた。ラーナーはヴィールバドラ王子に、この奴隷たちを軍に入隊させ、最前線で盾となる歩兵にすることを提案する。この提案はすぐに採用され、ラーナーは彼らに軍事訓練を施す。 ラーナーは近隣諸国を武力で屈服させた後、遂に宿敵コッタイパッティナム国に攻め込むことを進言する。国王はそれを許可する。一方、コッタイパッティナム国では将軍が戦死した直後であった。国王は息子のウダイバーン王子を将軍に起用し、ラーナーの軍隊と迎撃させる。ところがラーナーは戦場でウダイバーンと抱擁し合い、捕虜となっていた兵士たちを連れてコッタイパッティナム国に投降してしまう。 ラーナーはコッタイパッティナム国で歓迎され、将軍の職に就く。また、妹のヤムナーや叔父と再会する。また、ラーナーは幼馴染みのヴァダナー姫(ディーピカー・パードゥコーン)とも出会い、惹かれ合うようになる。 ところでヤムナーは実はウダイバーン王子と恋仲だった。それを知ったラーナーは2人の結婚を手助けすることにする。ちょうどタイミングよくラーナーがリプダマン王の命を助ける場面があり、王は何でも願いを聞くと言う。そこでラーナーはヤムナーとウダイバーン王子の結婚を認めるように頼む。王はそれを承諾する。2人の結婚式が盛大に執り行われた。しかし、リプダマン王は、王族以外と結婚した王子から王位継承権を剥奪する。ウダイバーン王子はヤムナーを連れて王宮を去って行く。 ある日、コッタイパッティナム国の王宮に刺客が忍び込んだ。ヴァダナー姫は刺客がリプダマン王を暗殺する前に阻止する。捕らえられた刺客はなんとラーナーであった。ラーナーは牢獄に放り込まれる。ヴァダナー姫が国王を暗殺しようとした理由を問いただすと、ラーナーは自分の過去を語り出す。 ラーナーの父親コーチャディヤーンはかつてコッタイパッティナム国の将軍だった。国民から絶大な人気を集めており、リプダマン王は次第に彼の存在を疎むようになっていた。あるときコーチャディヤーンは船団を率いて外国から馬を輸入する任務を負う。ところが帰途にカリンガプリー軍の奇襲を受ける。コーチャディヤーンは奇襲を退けるものの、戦いの中で食料に毒を混入させられており、コーチャディヤーンの兵士たちは重篤状態となる。最寄りの港はカリンガプリーであった。コーチャディヤーンは迷わずカリンガプリーの港に寄港し、マヘーンドララージ王と面会して薬を提供してくれるように頼む。マヘーンドララージ王は、兵士たちを助ける代わりに、馬と兵士たちを捕虜として預かることを提案する。兵士たちの命を最優先したコーチャディヤーンはその条件を飲む。その代わり兵士たちには、必ず助けに来ると約束する。帰国したコーチャディヤーンはリプダマン王の激怒を買い、売国の罪で死刑を言い渡される。コーチャディヤーンは息子たちに必ずカリンガプリーに捕らえられた兵士たちを連れ戻すように言い残し、処刑台に上る。コーチャディヤーンは処刑され、ラーナーはその直後にカリンガプリーに向かったのだった。 事の顛末を聞いたヴァダナー姫は一転してラーナーに味方するようになる。しかしリプダマン王はラーナーを翌日処刑することを宣言する。しかし、ラーナーは牢獄を抜け出すことに成功する。それと時を同じくしてカリンガプリー国がコッタイパッティナム国に攻め込んで来た。リプダマン王は占い師の進言に従い、ヴァダナー姫をカリンガプリー国のヴィールバドラ王子と政略結婚させることを決める。両国の国境地帯で結婚式が行われることになった。しかし、ヴィールバドラ王子は結婚の条件としてラーナーを引き渡すように求めていた。結婚式の日までラーナーは見つからなかった。 ところがそこへ突然ラーナーが現れる。コッタイパッティナム国の国民の間では、この政略結婚は国をカリンガプリーに売り渡す行為と捉えられており、不満がくすぶっていた。その不満を利用してラーナーはコッタイパッティナム軍を動員し、カリンガプリー軍と激突する。この戦いの中でラーナーはマヘーンドララージ王を殺し、ヴィールバドラ王子も打ち負かす。ヴィールバドラ王子は生き残った兵士たちを連れて退却する。その後ラーナーはリプダマン王も殺す。 兵士たちの遺体が散乱する戦場でラーナーはヴァダナー姫と再会を果たす。ところがそこへ一人の男が現れた。その男の顔はラーナーとそっくりであった。彼こそがラーナーの兄で、やはりコーチャディヤーンの死後、行方不明となっていたダルマ(ラジニーカーント)であった。
「Kochadaiiyaan」の原型となる物語は2007年頃から構想されていた。元々は「Sultan」というタイトルだった。ラジニーカーントをモデルとしたCGキャラが主人公の映画が作られているという噂は確かに当時チラホラ耳にしたものだった。だが、なかなかうまく行かなかったようで、その紆余曲折の中で全く別のストーリーが提案された。一旦はそちらの制作が着手され、この映画は「Rana」と名付けられたが、ラジニーカーントの病気のために延期となってしまった。その後、再びプロジェクトが始動し、やはり「Sultan」の方が先に作られることになった。この映画は「Kochadaiiyaan」と題されることとなり、「Rana」はその続編扱いとなった。よって、「Kochadaiiyaan」のラストは、続編の存在を十分に意識したものとなっている。
「Kochadaiiyaan」はタミル語の他に、ヒンディー語、テルグ語、ベンガリー語、マラーティー語、パンジャービー語の吹替版も用意されたようだが、タミル語版以外はそれほどヒットしなかったようである。その理由は映画を観てみればすぐに分かるだろう。モーションキャプチャー技術を導入したといっても、CGのレベルはまだまだハリウッドには遠く及ばない。どうしてもCG臭さが拭い去れず、生身の俳優を使って実世界のロケーションで撮影した映画とは比べるレベルに達していない。一番いけないのは空間がだだっ広いことと、テキスチャーが綺麗すぎることだ。風景や建築からインドらしさがあまり感じられなかったのも残念だった。フルCGのヒンディー語映画「Roadside Romeo」(2008年)ではその点が良かったのだが、「Kochadaiiyaan」に来てインドのCGアニメ映画が退化してしまったと感じた。
ストーリーについても特に目新しいものはないし、展開がどうも単純過ぎる。唯一、ラジニーカーントの仕草だけはよく再現されており、そこが最大の見所だ。逆にいえば、そこしか見所がないとも言える。よって、ラジニーカーントがカルト的な人気を誇るタミル語圏のみでしか成功しなかったのも頷ける。また、劇中には首チョンパのシーン2ヶ所を筆頭にけっこう残虐なシーンが散見された。インドではアニメ映画の第一の観客は子供だが、これらのシーンがあるために手放しで子供向けと評価できない。もし、「大人向けアニメ映画」ということなら、インドではかなり新しいことに挑戦しているといえるが、それもインド全国で理解が得られなかった。
ヒンディー語版「Kochadaiiyaan」では歌詞もヒンディー語となっている。作曲はARレヘマーンだ。しかしながら、歌詞がヒンディー語に吹き替えられていたからかもしれないが、最近の彼の曲に比べると手抜きだと感じた。
「Kochadaiiyaan」は、モーションキャプチャー技術とはどんなものかをインド人に披露した功績のみが記憶されることになるだろう。現に、エンドクレジットにおいてメイキング映像が流れており、どのようにモーションキャプチャーが行われているのか、観客は垣間見ることができる。ラジニーカーント・ファンならば観ても損はない映画だが、それ以外の人がわざわざ観るに値するかといわれれば、なかなか首は縦に振りにくい。続編での劇的な進化を期待したい。