南アジアには大国インドを取り囲むようにいくつかの中小規模の国がいくつか存在する。面白いことに、それらの国とインドとの文化差は、部分的に見ればあまりない。例えばネパールの文化と北インド山岳部の文化には共通点が多いし、パーキスターンの文化は北西インドの文化とそれほど異なるものではない。バングラデシュの文化とインドの西ベンガル州の文化はほとんど同源であるし、スリランカ北部の文化はインドのタミル・ナードゥ州の文化に近い。むしろ、インド国内での地域差の方が大きい。例えばインドのパンジャーブ人は、南インド人よりもむしろパーキスターンのパンジャーブ人の方を「身内」と考えるだろう。デリーではモンゴロイド系の顔をしたノースイーストの人々に対する暴行事件が問題となっているが、その根底にあるのも、ノースイーストの人々を外国人または二等市民扱いする、メインランド・インディアンの差別意識にある。一部の大都市では失業問題から移民排斥運動にも発展しているため、ますます厄介だ。こういうこともあって、インド人と話すと、「あの州の人はこうだ」、「この州の人はああだ」と他州の人々に対する悪口が絶えない。
何しろインドは旧ソ連諸国を除くヨーロッパと同等の面積を持つ国であり、地域差があるのは当然だ。各州、言語が異なり、文化や慣習も違う。だが、言語や文化が違うだけなら問題はない。問題なのは、地域間での差別や偏見があることで、インドが直面する大きな課題のひとつとなっている。だが、課題あるところに物語があるのも確かだ。ヒンディー語映画がこの地域間差別問題に真剣に取り組み始めたのはつい最近のことである。コメディータッチで地域間格差が描かれることは以前からあったが、各州の人々が同じインドの旗の下に融和する必要性を初めてはっきりと説いたのは、「Chak De! India」(2007年)であった。それ以降、ヒンディー語映画界は特に南インドに対して秋波を送っており、「Chennai Express」(2013年)では北インド人と南インド人の恋愛が描かれた。
2014年4月18日公開の「2 States」も、北インド人と南インド人の恋愛映画だ。人気小説家チェータン・バガトの同名小説(2009年)を原作としている。この小説はチェータン・バガト自身の恋愛と結婚の顛末を書いた自伝的小説である。チェータン・バガト自身はパンジャーブ人、彼の妻はタミル人である。「state」という英単語にはいくつか意味があるが、ここでは「州」という意味になる。
監督はアビシェーク・ヴァルマン。美術監督Rヴァルマンの息子で、「Jodhaa Akbar」(2008年)、「My Name Is Khan」(2010年)、「Student of the Year」(2012年)などで助監督を務めた後、本作で監督デビュー作した。プロデューサーはサージド・ナーディヤードワーラーとカラン・ジジョーハル。二人とも大物プロデューサーであり、彼らが手を組むのは初めてのことだ。音楽はシャンカル=エヘサーン=ロイ。主演はアルジュン・カプールとアーリヤー・バット。他にアムリター・スィン、レーヴァティー、ローニト・ロイ、シヴクマール・スブラマニヤムなどが出演している。
インド工科大学(IIT)デリー校を卒業し、インド経営大学(IIM)アハマダーバード校の経営管理学修士(MBA)コースに入学したパンジャーブ人青年のクリシュ・マロートラー(アルジュン・カプール)は、同級生のタミル人女性アナンニャー・スワーミーナータン(アーリヤー・バット)と仲良くなり、一緒に勉強している内に相思相愛となる。二人は結婚を決め、卒業式の日にお互いの両親を引き合わせるが、相性は最悪だった。クリシュの母親カヴィター(アムリター・スィン)はタミル人を鼻から差別する一方、アナンニャーの母親ラーダー(レーヴァティー)や父親シヴ(シヴクマール・スブラマニヤム)はパンジャーブ人を野蛮人と切って捨てた。また、クリシュの父親ヴィクラム(ローニト・ロイ)は家族と不仲で、一人息子の卒業式にすら来なかった。 アナンニャーはサンシルクに就職しタミル・ナードゥ州の州都チェンナイで働き始めた。イエス銀行に就職したクリシュは、勤務地の希望を出すことができたが、アナンニャーとの関係を維持するため、チェンナイ支店への勤務希望を出した。母親はクリシュがデリーで勤務することを願っていたが、クリシュは不仲の父親と同居するのが嫌で、それもチェンナイ勤務を希望した理由になった。 チェンナイに新居を定めたクリシュは、アナンニャーの弟の家庭教師としてスワーミーナータン家に出入りするようになる。シヴは最初から2人の結婚を認めないと断言するが、クリシュはコツコツとアンニャーの家族と関係を築くべく努力する。その努力が報われ、スワーミーナータン夫妻はクリシュを娘の結婚相手として認める。 次の試練はカヴィターを説得することだった。クリシュはアナンニャーを連れてデリーに戻る。やはりカヴィターはアナンニャーに冷たく当たるが、姪の結婚式で持参金問題により破談になりかけていたのをアナンニャーが一喝して解決し、カヴィターもアナンニャーを受け容れるようになる。 結婚までの道がかなり整ったため、次のステップとして今度は両家を再び引き合わせることにする。デリーとチェンナイの中間にあるムンバイーで両家が合うことになる。だが、カヴィターが相変わらずタミル人に対して否定的な発言を続けたため、両家の仲は決裂する。アナンニャーもクリシュと別れることを決意する。 デリーに戻ったクリシュは悶々とした日々を過ごす。それを見かねた父ヴィクラムは、一人でチェンナイまで行き、スワーミーナータン夫妻と話を付ける。これが功を奏し、クリシュとアナンニャーの結婚式が決まる。ヴィクラムはチェンナイで行われた結婚式に当初参列しない予定だったが、土壇場でチェンナイを訪れ、結婚を見守る。
「恋愛映画」を称した映画は古今東西星の数ほどある。インドでも、まだまだ恋愛結婚は少数派だが、ヒンディー語映画は恋愛を強力に推進しており、恋愛映画は人気のジャンルとなっている。しかしながら、インドの恋愛結婚は、当事者である男女が恋に落ちれば実現するものではない。この映画が面白おかしく提示していたのは、恋に落ちた男女の両親同士が恋に落ちなければ恋愛結婚は完成しない、というインド独特の事情である。つまり、この「2 States」は、恋に落ちた男女の両親の恋愛映画なのである。そこが新しい点だった。
お見合い結婚では両親同士が若い男女を引き合わせるものだが、恋愛結婚では若い男女が両親同士を引き合わせるという逆転現象が起きる。前者の場合、もし引き合わせた男女の相性が悪いときはそのままお流れということにできるが、後者の場合はそうも行かない。ひとつの手段として駆け落ちがあるが、ヒンディー語映画では少なくともここ20年ほど駆け落ちという手段を使った結婚をあまり美化していない。家族を尊重する風潮が強く、両親に何とか認めてみらって結婚するという方向に持って行く強い傾向が見られる。「Dilwale Dulhania Le Jayenge」(1995年)からこの「2 States」まで、この点では一貫している。「2 States」の主人公クリシュとアナンニャーも、敢えて駆け落ちをせず、相性の悪い両家の関係改善に努める。
そもそもパンジャーブ人とタミル人はなぜこんなに仲が悪いのか。まず、地理的にはほとんどインドの北の端と南の端である。言語は全く違う。パンジャービー語はインド・アーリア語族の言語である一方、タミル語はドラヴィダ語族の言語で、根本的に異なる。劇中、スワーミーナータン家はヒンディー語をよく理解していたが、タミル・ナードゥ州ではヒンディー語の学習が義務ではないため、タミル人はインドの中で最もヒンディー語を苦手としている。クリシュはマロートラー姓で、カトリーと呼ばれるクシャトリア系のカーストになるが、アナンニャーはスワーミーナータン姓で、ブラーフマンである。つまりカーストも異なる。パンジャーブ人は肉好きの民族だが、タミル・ブラーフマンは厳格な菜食主義者だ。さらに、人生観も決定的に異なる。クリシュの母親はおしゃべりで金にがめつい性格をしているが、アナンニャーの両親は物静かで、古典声楽を愛し、文化人を自負している。唯一、この両家で共通しているのは経済的地位のみで、両者とも中産階級になる。
だが、異なる州の間でいかに言語や文化の違いがあろうと、本当はそれが結婚の障壁となってはいけない。恋愛当事者の若い世代では、それを問題視することはなくなって来ている。むしろ問題なのは親以上の世代であり、彼らがいかに先入観を捨て、違う州の人を「~州の人」ではなく、一人の人間として見られるかに、インドの将来が掛かっているようにも思える。この映画が突いていたのは正にその点である。
もうひとつ、「2 States」の中の人間関係で解決されるべきだったのは、クリシュと父親ヴィクラムの関係である。ヴィクラムは退役軍人で、警備会社を経営していたが、暴力的な父親で、家族と険悪な関係となっていた。クリシュは父親との会話を拒否しており、母親には別居を勧めていた。だが、ヴィクラムが自らチェンナイまで出向き、スワーミーナータン家と話を付けてくれたおかげで、クリシュとアナンニャーの結婚が実現したのだった。これがきっかけでクリシュとヴィクラムの関係が改善することが暗示されていた。
この父親と息子の関係は注目すべきであろう。近年のインド映画において、父親と息子の関係がここまで悪いのはあまり例がない。ローニト・ロイが同じく父親役を演じた「Udaan」(2010年)がおそらく最も父子関係が悪い映画だが、それに次ぐ悪さだ。「Dabangg」(2010年)も父子不仲の例のひとつだが、実の子ではなく連れ子なので、この不仲は納得できるものだ。クリシュとヴィクラムの関係は、そのまま原作者チェータン・バガトと父親の関係を反映していると言う。
チェータン・バガトと言えば、大ヒット映画「3 Idiots」(2009年)の原作となった「Five Point Someone」(2004年)の作者でもある。こちらもチェータン・バガトの自伝的作品であり、大学が舞台となっている点が共通している。だが、「3 Idiots」と比べて「2 States」が淡泊に感じたのは、主人公に友人らしい友人がいなかったことだ。「3 Idiots」が友情の映画だとすれば、「2 States」は恋愛の映画だった。また、「3 Idiots」と比べて原作により忠実に作られていたと言える。チェータン・バガト自身の協力もかなり得られたようである。
映画の題名は「2 States」、つまり「2州」ながら、インド中の大都市が舞台となる地理的スケールの大きな映画でもあった。グジャラート州の最大都市アハマダーバード、デリー、タミル・ナードゥ州の州都チェンナイ、マハーラーシュトラ州の州都ムンバイーなどが出て来る。IIMアハマダーバードのシーンでは、実際に現地でロケが行われている。米国人建築家ルイス・カーンによるモダニズム建築の傑作を背景とした贅沢なロケである。
「2 States」は、州間恋愛を通してインドの地域間差別を取り上げた作品だ。ヒンディー語映画は、インド映画のリーダーとして、この地域間差別の解消に努めているように見える。もうすぐ、マニプル州の女性ボクシング選手メアリー・コムの半生を題材にしたヒンディー語映画「Mary Kom」(2014年)が公開されるが、これもその一貫と捉えることができる。もちろん、それが市場拡大にもつながるからなのだが、それだけが目的だと考えるのはいくら何でも意地が悪すぎる見方だ。やはり地域間差別が限度を越したところまで来ており、それはあらゆる方向から解決の糸口を探って行かなければならない。「2 States」はそういう意味で意義ある一歩を踏み出した映画だと言える。