21世紀の最初の年である2001年は、ヒンディー語映画界にとって転機となる非常に重要な年だった。まずは何より「Gadar: Ek Prem Katha」と「Lagaan」のWブロックバスターヒットが話題になった年だった。特に「Lagaan」はアカデミー賞外国語映画賞にもノミネートされ、その後の実験的娯楽映画の流れを作り出した。この2作のインパクトがあまりに強すぎるが、2001年は他にも良作に恵まれた年だった。スマッシュヒット「Dil Chahta Hai」は、若手監督による新感覚の青春群像映画であると同時に、年上女性と年下男性の恋愛など、ヒンディー語映画界において斬新なテーマに果敢に取り組み、マルチプレックス映画のパイオニアとなったし、カラン・ジョーハル監督の第2作「Kabhi Khushi Kabhie Gham」が公開されたのもこの年の末だった。ミーラー・ナーイル監督の「Monsoon Wedding」がインドで一般公開されて興行的に成功し、ヒングリッシュ映画の流行を作り出したのもこの年だったし、マドゥル・バンダールカル監督が「Chandni Bar」によって台頭を始めたのもこの年であった。だが、2001年には他にも歴史に埋もれてしまった重要な1作がある。それはパンカジ・アードヴァーニー監督の「Urf Professor」である。
「Urf Professor」は検閲局から上映許可が下りず、映画館での公開に漕ぎ着けなかった曰く付きの作品である。よって、一般の人は全く知らないだろう。だが、映画愛好家の間ではセンセーションと共に口コミで噂が広まり、何らかの手段でこの作品を鑑賞した人々は口々に「インド映画史上最高のブラックコメディー映画」と高い評価をし、パンカジ・アードヴァーニー監督は一躍時代の寵児となった。しかしながら、あまりに時代を先取り過ぎた作風だったため、彼の作品が日の目を見ることは「Urf Professor」以後もしばらくなかった。パンカジ・アードヴァーニー監督の作品中一般公開されたのは「Sankat City」(2009年)のみ。このときは「『Urf Professor』の監督の新作」として大いに注目を集めたものだったが、惜しくも同監督は2010年に心臓発作で亡くなってしまう。享年45歳。まだまだこれからの時期であった。ヒンディー語映画界は1人の奇才を永久に失ってしまった。
現在「Urf Professor」はインターネットで鑑賞することができるが、小さなスクリーンで映画を観る趣味はないので、観る機会がなかった。しかし今回、ジャワーハルラール・ネルー大学(JNU)の有志が国内外の問題映画を集めた映画祭を開催し、その中で「Urf Professor」の上映も行ってくれたため、映画館と似た環境の中でこの隠れた名作を鑑賞することができた。インターネットから(おそらく違法で)ダウンロードした動画ファイルによる上映で、画質・音声ともに劣悪だったが、レアな映画であるため仕方がない。同作では、若き日のシャルマン・ジョーシーや、現在とんと名前を聞かなくなったアンタラー・マーリーなどが出演しているが、主演と言えるのはマノージ・パーワーである。
監督:パンカジ・アードヴァーニー
制作:デジタル・トーキーズ
音楽:シルク・ルート
出演:マノージ・パーワー、ヤシュパール・シャルマー、シャルマン・ジョーシー、アンタラー・マーリー、クルシュ・デーブー、ヘーマント・パーンデーイ、デーヴァーング・パテール、シュリー・ヴァッラブ・ヴャースなど
備考:JNU SSS-Iオーディトリアムで鑑賞。
殺し屋プロフェッサー(マノージ・パーワー)は宝くじのチケットを買うのと、セックスに関する本を図書館で借りるのが趣味で、相棒のフーダー(ヤシュパール・シャルマー)と共に粛々と殺人稼業をこなしていた。
一方、ラージュー(シャルマン・ジョーシー)は安い車ばかりを狙うこそ泥だったが、あるときガレージを持つ相棒にそそのかされて高級車を狙う。だが、それはプロフェッサーのメルセデスベンツで、車には死体と大金が乗っていた。だがそんなことに気付かずにラージューはベンツを走らす。その途中、一人の美しい女性がヒッチハイクを求めていた。ラージューはついついその女性を乗せてしまう。彼女の名前はマーヤー(アンタラー・マーリー)。だが、実は有名な泥棒で刑務所から出たばかりだった。マーヤーはラージューから車を奪おうとする。ところがトランクに死体が入っていることに気付き、気絶してしまう。ラージューは仕方なく彼女をガレージへ連れて行き、まだ気を失っていたマーヤーをそこに下ろして、死体の入った車を車通りの少ない道に置いて来る。ところがマーヤーのバッグが車の中に残ってしまった。その中には彼女と彼女の叔父の住所が書かれた手紙も入っていた。ラージューとマーヤーは車まで取りに行くが、今度は大金の入ったスーツケースを見つけてそれに気を取られてしまい、またもマーヤーのバッグを置いて来てしまう。
プロフェッサーは偶然自分のベンツを見つけ、マーヤーの手紙も手に入れる。プロフェッサーがマーヤーの家に押しかけると、ちょうどそこにはラージューとマーヤーがいた。二人は逃げ出し、またもベンツを奪って逃走する。だが途中でマーヤーはラージューを下ろして一人で去って行ってしまう。マーヤーは叔父の待つガソリンスタンドへ行くが、そこでは既にプロフェッサーが待ち構えていた。マーヤーは殺されそうになるが、追いかけて来たラージューに助けられる。プロフェッサーの撃った玉でガソリンが点火され大爆発が起こる。ラージュー、マーヤー、叔父は間一髪で逃げ出し、プロフェッサーは大火傷を負う。三人は途中でベンツを乗り捨て、バスに乗り換えて逃げるが、ラージューが居眠りしている間にマーヤーと叔父は金を持ってバスを下りてしまう。密かにマーヤーに惚れていたラージューは失望し、今後は真面目な職に就くことを誓う。
大火傷を負ったプロフェッサーは闇医者ダールーワーラー(クルシュ・デーブー)のクリニックで治療を受けていた。そこへフーダーが遺体と共にやって来る。それはマフィアのボス、アントニーの息子で、マフィア間抗争で殺されてしまった。間近で撃たれたために顔が吹っ飛んでいた。そこでプロフェッサーは凄腕の死体化粧人サルヴィのところへ遺体を持って行き、整形させる。サルヴィは、これほどグチャグチャになった遺体を元に戻すのは無理だと考えたが、もしそれができないとプロフェッサーにいたぶられて殺されてしまう。いっそのこと自殺しようと考え、自分で墓穴を掘るが、そのとき話しかけて来た乞食はマフィアの息子にそっくりで、彼を遺体の代わりにすることを思い付く。プロフェッサーは整形の出来に驚き賞賛するが、いろいろ注文を付ける内に額に弾痕が必要だと感じ、面倒になって銃で撃ってしまう。死体の振りをしていた乞食は本当に死体になってしまう。
アントニーはライバルマフィアのナワーブ暗殺をプロフェッサーに命じ、彼はそれを実行する。ところでそのとき彼が読んでいたのはセクササイズという本であった。プロフェッサーは宝くじの券をその本の中にしおり代わりに綴じ込んでいたが、そのまま忘れて図書館に返却してしまう。
その本は俳優志望の若者で司書のボーイフレンドの手に渡る。彼はビデオ映画の主演オファーに喜び勇んで出掛けるが、行ってみるとポルノビデオで、失望する。しかし、本の中に挟んであった宝くじが2,000万ルピーの当たりくじであることを知り大喜びする。ただしその本は司書のガールフレンドが勝手に返却してしまっており、しかも次の借り手に貸し出されていた。帳簿から借り手の名前と住所を調べ出し、彼はそこへ乗り込む。ところがそれはポルノビデオの撮影現場で鉢合わせたポルノ女優ローズであった。その場には彼女の愛人テディーも駆けつけ、叩き出される。また、その宝くじが当たっていたことはプロフェッサーにも知れる。プロフェッサーは司書とそのボーイフレンドからローズの住所を聞き、フーダーと共に直行する。ちょうどローズとテディーは交合の最中で熱中しており、プロフェッサーとフーダーが入って来たことにも気付かなかった。フーダーはテディーを窒息死させ、宝くじを奪うが、それに気付いたローズはフーダーの首を噛みちぎる。プロフェッサーは銃を撃ってローズを殺す。
宝くじを手にローズの家を出たプロフェッサーだったが、外では司書のボーイフレンドが待ち構えており、プロフェッサーに奇襲する。プロフェッサーは銃を取り出して反撃しようとするが、持病の喘息が発病し、倒れて死んでしまう。一方、ボーイフレンドは宝くじを口の中に入れて守ろうとしていたが、プロフェッサーが死んだことで大喜びし過ぎて飲み込んでしまう。大慌てしていたが、そこへ闇医者ダールーワーラーが通りがかる。事情を聞いたダールーワーラーは2000万ルピーを独り占めすることにし、その男を殺して体内から宝くじを抜き出す。そのお金のおかげで、彼のオンボロクリニックは立派な病院となる。
その病院に客を乗せてやって来たのが、タクシードライバーになっていたラージューであった。病院の前で客待ちしていたところ、1人の女性が慌てて乗り込んで来る。よく見てみるとそれはマーヤーであった。マーヤーは相変わらず警察に追われていた。だが、ラージューはマーヤーを乗せて逃げ出す。
10年前の映画なので古めかしさは否めない。さらに、元々低予算映画なので、いろいろと安っぽい。それでも、「Bheja Fry」(2007年)から「Tere Bin Ladin」(2010年)まで、21世紀後半の低予算高品質コメディー映画全盛の先駆けと評価するに十分の作りで、当時高い評価を受けたことは納得できる。派手なアクションではなく、洒落た台詞の応酬や場の空気で笑いを取るところなどは正に現在のヒンディー語ブラックコメディー映画の原型である。
ただ、「Sankat City」を観たことがある人なら、「Urf Professor」のかなりの部分が「Sankat City」の下敷きになったことに気付くだろう。特に「Urf Professor」中でシャルマン・ジョーシーが演じたラージューのキャラは、「Sankat City」でケー・ケー・メーナンが演じたグルとほとんど同じである。だが、「Sankat City」の方がさすがに後から作られただけあってまとまりがある。「Urf Professor」の方は次から次へと新しい登場人物が登場し、ストーリーが拡散していて収束性がない。よって、いかに当時名作と評価されようとも、「Sankat City」を観た後ではその感動は薄い。
また、「Urf Professor」が検閲を通過しなかった理由もよく分かった。まずは性描写がかなり露骨である。かなりストレートなセックスシーンもあるし、台詞の中で放送禁止用語も多用される。成人向けのいわゆるピンクなジョークも多い。エロだけでなくグロの要素も多少ある。2001年と言えば、性描写が話題となった「Raaz」(2002年)や「Murder」(2004年)よりも前の時代である。その頃にこのような映画が検閲を通る余地がなかったことは不思議ではない。こんな映画を大学で上映してしまって良かったのだろうかという疑問も浮かんだ。ちょうどJNUでは、学生が寮で撮影したと言うポルノMMSが流出して全国ニュースとなり、一騒動となった直後だ。もう少し映画の選択には慎重になるべきだと思った。
マノージ・パーワー、ヤシュパール・シャルマー、シャルマン・ジョーシーなど、現在活躍中の俳優が多数出演するが、その中でも気になったのはアンタラー・マーリーの存在である。アンタラー・マーリーはラーム・ゴーパール・ヴァルマー監督に見出され、「Company」(2002年)や「Naach」(2004年)などに出演したが、「Mr Ya Miss」(2005年)で監督兼主演に挑戦したきり、表舞台から遠ざかっている。だが、「Urf Professor」のときの彼女はまだブレイク前で、初々しい演技を見せていた。
「Urf Professor」は、10年前の低予算映画で、現代の観客が手放しで楽しめるような作品ではないが、2001年に作られながらも、あまりに時代を先取りし過ぎて検閲を通過せず、公開されなかった曰く付きの映画であることを念頭に置けば、歴史的価値のある作品だと評価できる。「Sankat City」を観ていれば、わざわざこの映画を観なくても故パンカジ・アードヴァーニー監督の才能は分かるだろうが、彼の死を偲ぶ目的でも鑑賞の価値はある。何より、インド映画愛好家の間では長らく伝説的映画の扱いを受けて来ているため、21世紀のヒンディー語映画シーンを語るためには観ておいて損はない映画だと言える。