指一本で列車を止めるラジニーカーントのような一騎当千のヒーローに事欠かないインド映画界であるが、ハリウッド型のスーパーヒーロー映画が作られるようになったのは「Krrish」(2006年)辺りからであった。その後も「Zokkomon」(2011年)、「A Flying Jatt」(2016年)、「Minnal Murali」(2021年)などのスーパーヒーロー映画が作られてきた。
しかしながら、インドにおいて元祖スーパーヒーローといえば二大叙事詩のひとつ「ラーマーヤナ」に登場する猿の将軍ハヌマーンである。2024年1月12日公開のテルグ語映画「Hanu-Man」は、ハヌマーンの力を授かった青年を主人公にしたスーパーヒーロー映画だ。
監督はプラシャーント・ヴァルマー。テルグ語初のゾンビ映画「Zombie Reddy」(2021年)を撮るなど、若手の有望株である。主演はテージャ・サッジャー。子役俳優として2歳の頃から映画に出演しており、ヴァルマー監督の「Zombie Reddy」で初めて主演を務めた。やはり新進気鋭の俳優だ。
他に、アムリター・アイヤル、ヴァララクシュミー・サラトクマール、サムティラカニ、ヴィナイ・ラーイ、ヴェンネラー・キショール、ラージ・ディーパク・シェッティー、サティヤなどが出演している。
題名の「Hanu-Man」は、「Hanuman」から来ているのだろうが、間に差し込まれたハイフンが気になる。映画の中ではスパイダーマンやバットマンのような米国のスーパーヒーローが言及されるし、インド土着のスーパーヒーロー、シャクティマーンにも触れられる。スパイダーマンやバットマンの「~マン」とシャクティマーンの「~マーン」は全く別なのだが、東西のスーパーヒーローの名前が偶然「~man」になっていることから、それを連想させるために「Hanu-Man」とされたのであろう。
オリジナルはテルグ語だが、ヒンディー語、タミル語、マラヤーラム語、カンナダ語の吹替版も同時公開された。鑑賞したのはヒンディー語吹替版である。
アンジャナードリー村に住む青年ハヌマント(テージャ・サッジャー)は、姉のアンジャンマー(ヴァララクシュミー・サラトクマール)と共に住んでいた。アンジャンマーは働き者だったが、ハヌマントは自堕落な生活を送っていた上に手癖が悪かった。特技はパチンコだった。ハヌマントは子供の頃から密かにミーナークシー(アムリター・アイヤル)に恋していたが、想いを伝えられていなかった。ミーナークシーは医者になって村に帰ってきていた。 アンジャナードリー村はガジャパティ(ラージ・ディーパク・シェッティー)という暴君に支配されていた。ガジャパティは屈強な力士たちを従え、自身も村一番の力持ちだった。邪魔者は相撲の試合に無理矢理引き込んで殺してしまっていた。村人たちはガジャパティに逆らえなかったが、ミーナークシーだけは違った。ガジャパティは部下を使ってミーナークシーを殺そうとするが、ハヌマントに助けられる。だが、ハヌマントは崖から落とされてしまった。川に落ちたハヌマントは海に流れ着き、海底でハヌマーンの血が入った宝石を手にする。 大怪我をしたハヌマントは村に運び込まれる。意識を取り戻したハヌマントがその宝石を太陽にかざすと、みるみる内に力がみなぎってきて、傷も治ってしまった。どうやらその力は太陽の出ている間だけ有効で、力が欲しいときはその都度太陽にかざす必要があった。調子に乗ったハヌマントはガジャパティに立ち向かい、彼の背骨を折ってしまう。ハヌマントは選挙で村のリーダーを選ぶことを提案する。 そこへ突然ヘリが降り立ち、マイケル(ヴィナイ・ラーイ)とその部下の科学者スィリー(ヴェンネラー・キショール)が出て来る。マイケルは幼少時からスーパーヒーローに憧れ、スィリーを使ってスーパーヒーローになる研究をしていた。彼は自らを「メガマン」と名乗っていた。たまたま彼はハヌマントの力をSNSで目にし、その秘密を探りにやって来たのだった。マイケルは、ハヌマントが持つ宝石に力の根源があると気付き、それを奪おうとする。ハヌマントはマイケルの邪悪な野望に気づき、宝石を奪われまいとするが、混乱の中で最愛のアンジャンマーを殺されてしまう。ハヌマントは絶望し、宝石を投げ捨ててしまう。 マイケルは宝石を見つけるため、アンジャナードリー村に総攻撃を掛ける。ハヌマントはスィリーやガジャパティを仲間に付け、マイケルに立ち向かう。ハヌマントはマイケルを殺すが、その過程で宝石は破壊され、ハヌマーンの血がハヌマントの目に注がれる。ハヌマントを導いてきたヴィビーシャナ(サムティラカニ)は悪魔の復活を予感し、ヒマーラヤ山脈で修行をするハヌマーンを召喚する。
微妙に子供向けのスーパーヒーロー映画だった。そう見えたのは筋書きがお伽話的で単純だったこともあるが、コンピューターグラフィックスが稚拙だったのも原因であろう。スーパーヒーロー映画にはド派手な視覚効果が欠かせず、この映画も例外ではなかった。近年のインド映画のCGIはハリウッドと比較しても遜色ないレベルに達しているが、この「Hanu-Man」についてはCGIにあまり予算を掛けられなかったと見え、10年前くらいの品質に留まっていた。
様々な南インド映画のパロディーが詰め込まれていたのも安っぽさの原因かもしれない。冒頭のプロローグ部分は「Baahubali 2: The Conclusion」(2017年/邦題:バーフバリ 王の凱旋)そのままであるし、アンジャナードリー村の光景は「Baahubali」シリーズの舞台となるマーヒシュマティ王国に似ていた。ファイトとダンスを融合した「Avakaya Anjaneya」は「Ala Vaikunthapurramuloo」(2020年)の「Sitharala Sirapadu」とそっくりだった。ラジニーカーントやアッル・アルジュンの真似もあった。
しかしながら、導入部は成功していた。スーパーヒーロー映画で一番大事なのはスーパーパワーを持つまでの過程である。まずは悪役マイケルの生い立ちが描かれる。マイケルは幼少時からスーパーヒーローに憧れていた。何も知らない観客はてっきりマイケルが主人公かと勘違いするが、すぐに彼が主人公にはふさわしくない闇を抱えたキャラであることが分かる。なかなかスーパーパワーを得られず思い悩んだマイケルは、スパイダーマンやバットマンに両親がいなかったことを思い出し、自分の両親を殺してしまったのである。マイケルはそのまま悪役になっていく。
次にやっと主人公のハヌマントが登場する。テルグ語映画のお約束で、やたらと格好いい登場の仕方をするが、素の状態ではてんで弱い。彼は最初からスーパーパワーを持ったスーパーヒーローではなく、海底で偶然手にした宝石によってスーパーパワーを得てスーパーヒーローになる。その宝石の中にはハヌマーンの血が入っていたのである。
ただ、しっかり弱点も用意してある。宝石が効果を発揮するのは日が出ている間だけである。夜だったり太陽が雲に隠れたりすると途端に力を失う。完全無欠のヒーローではなく、ちゃんと弱点を用意しているところに巧さを感じた。
また、スーパーパワーを手にした後もハヌマントは挫折を味わう。最愛の姉アンジャンマーを失うのである。実はインド映画には姉を持つ男性主人公の例は少ない。「Hanu-Man」はレアなケースであったが、早々に死でもって退場させてしまった。やはり姉の存在というのはインド映画があまり好まない設定なのだろう。
「Hanu-Man」はプラシャーント・ヴァルマー・シネマティック・ユニバース(PVCU)の第1作に位置づけられている。エンディングにはハヌマーン本人が登場し、続編の題名が「Jai Hanuman」であることが明かされる。2025年公開予定とのことである。「ラーマーヤナ」やその他のインド神話を題材にしたスーパーヒーロー映画のシリーズになっていきそうだ。
気になるのは公開のタイミングである。アヨーディヤーにおいてラーム生誕地寺院の開眼供養式が行われる10日前に「ラーマーヤナ」を主題にしたこの映画が公開された(参照)。ここ数年間、「ラーマーヤナ」関連の映画公開が続いており、まるでヒンドゥー教徒の宗教心を高めようとしているかのようだ。中央で政権を握るインド人民党(BJP)が何か裏で手を回しているのではないかと疑う人もいる。
「Hanu-Man」は、低年齢層を客層に想定しているかのような妙な安っぽさのあるスーパーヒーロー映画であった。だが、スーパーヒーロー映画のお約束がキチンと守られていたこともあって、それなりに楽しんで鑑賞できる作品だ。「ラーマーヤナ」を知っているとさらに楽しめるだろう。「ラーマーヤナ」をそのまま映画化した「Adipurush」(2023年)よりよほど面白い。興行的にも大成功しており、2024年初のヒット作になった。観て損はない映画である。